第43話 Day2 驕る心と現実
私の皮肉は通じず、猿神はこちらをみて、満面の笑みを浮かべていた。
まるで、おもちゃが手に入ったと喜ぶ子供のようであるが、その実情は醜悪極まりない。
猿神は群れの狒々達を捨て駒にして、私達の気をひかせて、罠をはったのだろう。
自分以外を何とも思っていない、その思考はまさにモンスターと言ったところだと思った。
「加賀見さん。こちらは、何とか全員生きてます。ただ、上木と真壁が重傷です。」
榊原さんの声にちらりと視線を向かわせると、上木さんは頭と足を怪我したのか血を流しており、真壁さんは盾が砕かれ全身に破片が刺さってしまっていた。
上木さんは、真壁さんから離れていたため、後ろに回り込めず巻き込まれたとみられる。
真壁さんはその身を挺して、後ろの畑中さん、田代さんを守ったのだろう。
畑中さんがすぐさま、スキルで治療に当たっているが、まだ意識を取り戻すには時間が必要と思われる。
「二人はすぐに動けない。つまり、こいつを何とかしないといけないってことか。」
猿神は、笑っていて何もしてこない。
私は、素早く畑中さんに近づき、「亜空庫」を操作して、医療キットと、食料、水を分ける。
「畑中さん。万が一、私が負けたら後はお願いします。」
畑中さんは、その言葉に驚き問いただす。
「加賀見さん!?何を言っているんですか。貴方がここでリタイアすることは、このゲームに負ける可能性が非常に高くなるんです。もしも、成功率をあげるなら、切り捨てなければいけないのは、・・」
「畑中さん。それ以上は、言わないでください。私は、ここで誰かを見捨てるつもりはありません。それをするなら、そもそもここにはいないんです。それに私は、自衛隊員じゃないから、自由行動で良かったですよね?」
そう言うと、畑中さんは観念したようだが、どこかほっとしているようだった。
「わかりました。私も全員で生き残る方に賭けたいと思います。どうかよろしくお願いします。」
私が物品を渡し終わり、再び猿神の前に立つと、猿神は舌を出し、こちらを嘲笑ってきた。
「その変顔を今に真顔にしてやるよ。」
こうしてボスモンスター、猿神との戦いが始まった。
「まずは、こっちからいかせてもらう。」
私は、仲間を傷つけられた怒りから、今すぐ槍を突きたててやりたい気持ちを抑え、牽制の一撃を放つ。
”シッ”
何千と繰り返した一撃は、私の心とは裏腹にいつも通りの軌跡を描いた。
猿神は、「ウギャ」という言葉と共に、巨体らしからぬ俊敏さで、後方にジャンプして躱す。
そして、当たっていないことを確認すると、またこちらを馬鹿にするように笑うのだった。
「こいつ、本当に遊んでやがるな。まるで奴のような、悪辣さだ。」
どこかで、「僕はそんなサル顔じゃないよ!」という、声が聞こえた気がするが、まあ、気のせいだろう。(そもそも、声以外知らんし。)
「槍だと、逃げ一辺倒のあいつには当たらないな。なら、魔法はどうだ。」
私は雷槍を形成し、猿神に向かって投射する。
だが、猿神はまるで知っているかのように、その軌道を回避して見せた。
「あいつ、やっぱりさっきの戦闘を観察していたのか。技が見切られてる。」
先ほどの戦闘で、槍の軌跡と雷槍は使用していたので、それを見ていたのだろう。
とはいえ、数度見ただけで、見切る辺り流石はボスモンスター。
警戒度を一段と上げ、猿神に再度攻撃を仕掛け、攻略法を模索した。
五分後、戦いは膠着状態が続いていた。
私の攻撃は猿神にあたらず、猿神は避けるだけで攻撃してこない。
とはいえ、猿神も立ち去る様子を見せないことから、隙を見せればまずいことは想像できる。
なんとか倒すか、少なくとも撃退しなければ、負傷者を抱えた状態での撤退は不可能。
そう覚悟を決めて、奥の手を切ることにした。
「これは、まだ見せてないからな。避けるなよ!」
そして、槍の範囲外で構えたままの私を、猿神が爆笑している隙に、足元を強く踏み込む。
そう、力学スキルの高速移動からの突きを繰り出す、とっておきである。
瞬時に猿神の懐まで入り込んだ私に、猿神はぎょっとした表情をするが、もう遅い。
私の魔力と体重をのせた渾身の一撃が、猿神の土手腹に突き刺さった。
「ギャー」
猿神が人間のような叫び声をあげる。
私は一度距離をとり、様子を窺うが、確かにダメージを与えた感触があったので、一安心していた。
もし、これでダメージが無ければ、ほぼ攻撃の手段がないからである。
しばらく、猿神は騒いでいたが、やがて大人しくなる。
そして、こちらを見る表情が、笑いから、怒りに変わったところを見て、これからが本番なのだと、気を引き締める。
「やあ、エテ公。随分といい顔になったな。こちらの怒りも理解してくれたかい?」
そう揶揄すると、馬鹿にされたことは理解したらしく、先ほどまでとは打って変わって、攻撃に転じてきた。
”ゴオッ”
猿神の振るう剛腕が、唸りをあげている。
避けたときの風圧を体に感じながら、今後のプランを考える。
先ほどの槍の一撃が効いたので、当たれば通ることが分かった。
だが、攻撃を当てるには猿神の意表を突かないと、簡単に避けられてしまう。
怒りに任せて、がむしゃらに連打してくる猿神をみて、これならいけると感じた私は、力学スキルで拳を弾き、がら空きの胴にとどめの一撃を入れることにした。
タイミングを見計らい、猿神の拳を上部に跳ね上げ、体前面のスペースを空ける。
猿神が驚愕の表情を浮かべるのを見ながら、止めの一撃を放つ。
だが、槍が当たる直前、猿神が満面の笑みを浮かべたのを見て、私は自身の失敗を悟った。
猿神は怒り狂ったフリをしていただけだった。
そして、今の流れは最初の狒々に対して使用した戦法であり、猿神に観察されていたことを失念していた。
猿神に当たる直前の槍は、待ってましたとばかりに、弾かれていない左手で掴まれてしまう。
すぐさま槍から手を放し、離脱しようとするが、猿神の強力な蹴りが飛んできたので、転がるように避けるしかなかった。
体制を崩した私に、猿神は再度右の拳を振りかぶっていた。
拳に対し、力学スキルを展開して防御した気になった私は次の手を考えるが、その一瞬の気のゆるみが致命的だった。
数秒遅れて、振りかぶられた猿神の右腕が淡く光に覆われていることに気づく。
「まさか、猿神のスキルか!?」
脳裏に、ミノタウロスの最後の一撃がよみがえる。
あの時は、スキルを完全に使用していないように見えた攻撃だが、それでも力学スキルを打ち破る寸前だった。
あの時よりも力学スキルの熟練度は上がったとはいえ、猿神もスキルを全開で使用していると思われ、耐えきれるかはわからない。
まずい!?と思ったときにはすでに手遅れだった。
今まで破られたことがなかった四方の力場が、あっさり粉砕されてしまう。
とっさにクロスした腕での防御は、毛ほどの意味もなく、私の体は木の葉のように吹き飛ばされた。
地面をバウンドしながら、広場の端でようやく止まる。
ぐるぐると回る視界の中で、痛みにより立ち上がることどころか呼吸さえままらない。
「加賀見さん!」
誰かの声が聞こえた気がするが、返事をする余裕がない。
やっとのことで顔をあげると、猿神は元の笑い顔に戻っており、腹の傷からは血がどくどくと出ているようだが、致命傷にはなっていないことが分かる。
ふらつく足元と定まらない視界を懸命に制御し、何とか立ち上がると、再び槍を形成し構える。
猿神はふらふらの私を見て、更に笑みを深め、近づいてくる。
正直もう、技的には後がない。
さっきの一撃で足と左腕を痛めたようで、とっておきも使うのは無理そうだ。
まさか、猿に騙されるとは・・。
自身の審美眼の無さに呆れるが、今この場を切り抜けるために、倒すことは諦めざるを得ないな。
そうして、何とか猿神を撃退する方向に思考をシフトする。
「まだ、この程度で諦めるわけにはいかないんだよ。私には自分で決めた誓いがあるんでね。」
そして、猿神が目の前まで来てその拳を振りぬく直前、私は「亜空庫」から、あるスプレーを取り出し、その噴射口を猿神の顔面に向けた。
猿神は、自分に向けられたスプレーが何かわからず、これに注目し、動きを止める。
「二番煎じで申し訳ないけど、今度は食べ物を粗末にしたくないからな。ミノタウロスのよりも強烈だぞ。」
奴の目に向けて、私はスプレーの引き金を引く。
”プシュー!”
スプレーは勢いよく噴射され、中の霧状の液体が、猿神の顔面に付着する。
「ギャー?ウキャー!?」
猿神はさきほどの槍の時とは、比較にならない叫びをあげる。
「催涙スプレーを更に色々強力にしたやつだ。このタイプの痛みは自然には無いだろうから、しっかり覚えておいてくれ。」
猿神は痛みのあまり、転げまわっており、そして耐えきれなくなったのか、ギャーギャー騒ぎながら、広場から撤退していった。
猿神の撤退を見送った私は、意識が遠のいていく中で、不甲斐ない戦いをした自分を恥じる。
そして、狒々にも簡単に勝てたことで、モンスターよりも強くなったと自惚れ、猿神に対しても、どこか油断していた自分がいたことに今更気づく。
「ははっ、なんて情けない。私はこんなにも・・弱かったのに・・」
こうして私は、猿神に完膚なきまでに敗北したのだった。
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