第9話 骨


 馬鹿な話で、国芳先生の元を去り、陳信先生の元で修業をつづけているとき、ささいなことから、兄弟子と喧嘩をするはめになったのでございます。

 ええ、他人の喧嘩ではありません。

 わたくしが始めた、わたくしの喧嘩でございます。


 あの火事の翌年、十七、八のころであったと思います。

 さほど力の強い兄弟子では無く、殴り合いというよりは、つかみ合いの喧嘩となりました。

 そのとき、どういう拍子か、わたくしは兄弟子の右手を両手でつかむと、足を滑らせたのでございます。

 こう、なんといいますか、兄弟子の手を逆にねじったまま、背中に回り込むような形で、この、こういう……。はあ、立って説明せずともよいと。

 これは、つい興奮してしまいました。申し訳ございません。


 ええ、ええ、折り重なって倒れると、兄弟子の肩の辺りから、ゴキリという不気味な音がしました。

 はい。わたくしは、勢い余って、兄弟子の肩の骨を外したのでございます。

 兄弟子は悲鳴をあげ、周りの兄弟弟子たちも「止めろ、止めろ」と、慌ててわたくしを抑えにかかりました。


 わたくしは、呆然とし、自分の手を見ておりました。

 兄弟子の肩の骨が外れた響きが、感触が、その手の平にしっかりと残っておりました。

 わたくしは、そのとき初めて、人間には、皮の下に肉があり、骨があることを実感したのでございます。


 もちろん、それは誰でも知っていることでございましょう。

 ただ、わたくしは、人や動物を描くときに、目に見える皮膚や着物しか描いてなかったということに気づいたのでございます。

 皮膚の下に肉や骨がなければ、それは、ただの人の形をした袋でありましょう。

 人をゲンコツで殴れば、肉の向こうから骨の固さが拳に届きます。

 国芳先生が「喧嘩をせい」とおっしゃったのは、それを理屈ではなく、感覚として理解せよと言うことであったのでしょう。

 そして、人を描くならば、見えぬ骨までも表現すべきであると。


 兄弟子の骨を外した瞬間、わたくしは、そのことを理解いたしました。

 このことで、わたくしの技量は、一皮むけたのではないかと思います。

 描く絵にも、厚みと共に凄みのようなものが現れ、臓腑の底に巣食う画鬼も、飢えを鎮めていくようでございました。


 陳信先生も思うところがあったのでございましょうか。

 わたくしは、本来なら十二年をかけて修行を終了するところ、特別に九年で、修行終了を言い渡されました。

 十九歳で修業を終え、洞郁陳之の号を頂いたのでございます。


 それは絵の技量が秀でていたからではなく、ただの厄介払いだと陰口を叩く者もございましたが、案外、それが真実なのかもしれません。

 お役人さまも、そう思われますか。


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