第7話 平


 炎の中で筆を走らせる己に、酔っていたのかも知れません。

 気がつくと、実家は跡形も無く焼け落ちておりました。


 わたくしの腹の中の画鬼は、炎をたらふく喰ったことで、少しは鎮まるかと思いましたが、これがなかなかどうして、逆に増々と飢え、描き足りぬとわたくしを責めるのでございます。

 いえ、そのころから、内なる画鬼の声は、少し違うてきました……。

 書き足りぬではなく、もっと上手く、もっと上手く描けと責めるのでございます。このような絵では満足できぬと、わたくしを責めるのでございます。


 こう見えましても、すでにそのとき、わたくしの技量は、陳信先生の門下の中でも一、二であろうと自負するところでありました。

 しかし、何かが足りない。

 その何かに、心当たりはありました。


 国芳先生の門下であった頃でございます。

 先生が弟子を集めて、わたくしたちに、キリリとした江戸弁で、こうおっしゃられたことがあったのです。

 「お前ェたちの絵は、平べってェんだよ」と。


 はい、その通りでございます。

 紙に筆で描いたり、版でもって刷るわけですから、絵は平べったくて当たり前でございます。国芳先生の絵にしても、別に盛り上がっているわけではございません。


 しかし、たしかに、わたくしたちの絵は、先生の絵に比べると明らかに厚みがありませんでした。

 おかしな言いようになりますが、切って紙に貼ったような絵でございます。

 それに比べて国芳先生の描かれる役者や武者は、みな腰をどっしりと据え、厚みを感じさせるのでございます。


 この厚みは、丁重に描いたからといって出るものではございません。

 描き方に根本的な違いがあるように思われました。

 「どのようにすれば、先生のような絵を描けますか」と、わたくしが問えば、国芳先生は、あっけらかんとおっしゃいました。

 「そりゃあ、喧嘩だな」

 はい。殴り合いの喧嘩のことでございます。


 「町を回って喧嘩をさがせ。

 ここはお江戸じゃ。町を歩けば、喧嘩のひとつやふたつ、すぐにも見つかるわい。

 喧嘩を見つけたなら、目玉をひんむいて観ることじゃ。

 できることなら、その喧嘩に参加せい」と、こうおっしゃるのです。


 描くことではなく、殴り、殴られることで、絵を学べとおっしゃるのです。

 なんとも乱暴な話ではありませぬか。

 特にわたくしは、そのとき、まだ七つか八つでございました。

 はあ、そのころならば、殴り合いは日常茶飯事だと。

 さすがは薩摩のお役人さまでございますな。わたくしなどは、人と殴り合うなど、怖ろしゅうて、とてもとても。


 わたくしの面相をごらんくださいまし。

 はい。この面でございます。

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