第5話 業
はて、それはもう、人間の業としか言いようがないのではないかと。
美人画、役者絵、武者絵なども人気がございますが、それと同じぐらいに、妖怪画、幽霊画なども人気が高うございます。
これは、人というものが、滅多に見ることのできぬもの、見たことのないもの、見てはいけないものに心を惹かれるからでございましょう。
見世物小屋がにぎわうのも、そういうことでございましょう。
……納得なされましたか。それはようございます。
はい。絵師も同じでございます。
ただ、見ることよりも、それを己の手で描き表すことに心を惹かれるのでございます。
これが蛙の首であれば、わたくしもわざわざ拾うような真似はいたしません。
男の生首でございますか?
家に持ち帰り、筆をとって一枚、二枚と描くうちに、それに気づいた家人が大騒ぎをいたしまして、結局は存分に描くことはかないませんでした。
拾った場所に捨ててくるよう、父に厳しく命ぜられました。
はい。神田川に戻した生首が流れていくようすは、今でも鮮明に覚えております。
拾うた仔犬と別れるようで、それは哀しゅうございました。
あの生首は、どうなったことでしょうか……。
このことで、父と母からは、こっぴどく叱られましたが、国芳先生だけは「周三郎は、見所があるのう」と、大笑いをしながらほめてくださいました。
先生の言葉もまた、わたくしの画狂の種に、こやしを与えてくれたのでしょう。
しかし、父は、国芳先生に預けることが心配になったようで、翌年、わたくしは、国芳先生の元をはなれ、狩野派の絵師、前村洞和先生へ弟子入りすることになりました。
もっとも洞和先生は体を壊され、わたくしは、すぐに、洞和先生の師匠にあたる、洞白陳信先生の所へ再入門となりました。
懐かしい日々でございます。
描けば描くほど、まだ描きたい、まだ描き足りぬと、朝から晩まで、餓鬼のように筆を走らせる毎日でございました。
描く魅力というものは、恐ろしいものでございます。
生首を拾うて描いたことなどでは、とうてい満たされるものではございません。
そんな折、本郷の実家の近くで火事が起こりました。
そろそろ十六歳になろうかという、弘化三年、正月十五日のことでございます。
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