第3話 蛙


   ◇◆◇◆◇◆◇


 いつと問われましても定かではありませぬ。

 ただ、親から聞いたところによると、わたくしが絵を描くことを好みはじめたのは、三歳の頃であったそうです。

 最初に描いたのは、蛙であった。そう聞いております。


 はあ、その絵はもちろん、わたくし自身、蛙を描いたという記憶すらございません。

 ただ、母が「上手い、上手い」と笑顔でほめてくれたことは、うっすらと覚えております。

 「上手い、上手い」

 この言葉と母の笑顔が、その後のわたくしの人生に、影響したことは間違いございません。

 いえ、今回仕出かしたことが、母のせいであるとか、そういう意味ではございません。

 わたくしの腹の中にあったやっかいな種が、その言葉と笑顔で、ほんの少し早く芽吹いた。そういうことでございます。

 画狂、画鬼という、やっかいな種でございましょう。


 わたくしは、天保二年四月七日、下総の古河で生まれました。生まれるとすぐに、古河藩士河鍋記右衛門の元に養子に出されました。幼名は周三郎と申します。

 翌年に父、記右衛門は、火消同心の株を買い、わたくしたち一家は、本郷のお茶の水にあった火消長屋へと移り住むことになりました。

 蛙を描いたのは、その次の年のことだと聞きました。


 母に連れられ、館林の親類の家に赴いたときのことでございます。

 母が縁者と、こまごまとした用事を済ませる間、わたくしは邪魔にならぬよう、縁側でひとり、大人しく待っておりました。

 そのとき、家人の誰かが「たいくつであろう」と、筆と紙をあたえてくれたのだそうです。


 わたくしは、筆を手に取ると、濡れた庭石にちょこんと座していた雨蛙を丹念に描きあげたということです。小雨が降る日ででもあったのでしょうか。


 それ以降も手習いの合間を見つけては筆をとり、様々なものを描いて過ごしました。

 好んで描いたのは、やはり蛙でございます。

 蛙は、ようございますな。

 小石や木の瘤の真似をしているかのように、小さな身を一層と小さくしている蛙。

 白い喉をあげ、軒から落ちる雨雫を眺める蛙。

 水面から、金色に縁どられた目玉だけをのぞかせている蛙など、どの蛙もかわいいものでございます。

 蛇に下半身を咥えられ、これは一大事だと言わんばかりに、目や口を大きく開き、前脚を爪の先まで突っ張らせた蛙も、それはそれで格別のかわいさがございます。


 筆を持たぬときであっても、何もない中空に、自分だけに見える線を走らせ、楽しんでおりました。

 蛙の頭部から腰にかけてのなまめかしい線を引けた時など、これはもう、思わずニンマリと笑みをうかべたものでございます。

 はたから見れば、ただ何もない所を見て笑う、アホウな子供でございますな。


 しかし、父は、わたくしに絵の才の片鱗を感じてくれたのでしょうか、七歳の時に、歌川国芳先生への入門を許してくれました。

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