第2話 狂


 「そうです」

 ジョサイアは、若者たちに対して、優しくうなずいた。


 彼らは建築ではなく、絵画を学ぶ若者たちである。

 ジョサイアが河鍋暁斎の弟子であったことを知り、訪ねてきたのだ。

 しかし、錦絵や日本画を学ぶ者はいない。

 油絵、水彩画などの西洋画を学び、絵師では無く、画家を目指す若者たちである。

 一抹の寂しさがあるが、それも時代の流れであろうとジョサイアは思う。


 ただ、ジョサイアが来日したころ、絵師を目指す若者たちは、迫りくる新しい時代をただ受け入れるのではなく、その筆を持って歯向かい、逆に飲み込んでやろうというような強さ、したたかさが感じられた。

 今、目の前に並ぶ、若者たちに、そういう気概はあるのだろうか……。

 ジョサイアは、暁斎の生き様をもって、彼らにそれを問おうと思っていた。


 「今となっては、ずいぶんと昔の話になります。

 明治三年。わたしが、まだ来日する以前のことです。

 そのころ、暁斎センセイは、『暁』ではなく、狂うの『狂』の字を使い、河鍋狂斎と名乗っておられました」


 河鍋狂斎は、不忍弁天の長酡亭で杯を重ね、その勢いで、明治政府を手ひどく揶揄する風刺画を描いた。

 これを知った捕吏が長酡亭に踏み込み、酔いつぶれていた狂斎を捕縛し、罪人を取り調べる大番屋に引っ立てた。

 目が覚めた狂斎は、なぜ自分が大番屋にいるのか、しばらくは理解できなかったと言う。

 これが『筆禍事件』である。


 「わたしは、そのころの話を暁斎センセイから聞きました。

 センセイがお亡くなりになる、ほんの十日ほど前のことでした」

 若者たちは無言で耳を傾けている。


 ジョサイアは、暁斎の門人であるとともに、かけがえのない友人でもあった。

 暁斎が胃がんで息を引き取る間際、その手を握っていたのはジョサイアであったと言われている。


 「長く投獄された狂斎センセイは、不衛生な獄中で皮膚病に掛かり、いったんは帰宅を許されましたが、回復後、再び出頭を命じられました」

 若者たちが小さくうなずく。そのあたりのことは知っているようであった。

 「出頭した狂斎センセイに対し、法吏は傲慢な態度で詰問したと言います」


 ジョサイアは、法吏を真似てか、わざとらしく口髭に触れ、眉を寄せてしかめっ面をつくると、声を甲高くしてみせた。

 「貴様、絵は、いつごろから描いておったのだ」

 ジョサイアの稚気に、若者たちの表情がゆるんだ。


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