第18話 決着

「お姉さま! ご無事ですか、お姉さま!」


 エーデルのかしましい声で目を開けた。


 辺りでは未だ砲撃の音が鳴り響き、男達の野太い雄叫おたけびで酷く騒がしい。


 投石器とうせききによる投石までもが雨あられのようにルーを攻撃している。


 いつの間にか地面に投げ出されていた私は、ハっとして上半身を起き上がらせた。


「ルー!」


 並みの砲弾や岩ひとつでは殆ど効果が無いようだが、それでも何発も打たれ続ければ話は別だ。

ルーは全身に衝撃を負い続け、見るからにふらふらしながらも、攻撃を防ごうと腕を振り回す。


 その動きが森の木を倒し、地面を揺らし、人々に恐怖を与え、攻撃はより一層激しくなる。


「エーデル! やめさせて、彼は! 彼は」


 思わずルーに駆け寄ろうとするのを、エーデルの両腕に肩を抑え込まれることで阻止された。


 妹のその行動の意図が読めずに、私は気付けばエーデルを睨み付けていた。


「離してエーデル!」

「いいえ、離しませんお姉さま。どうか国へお戻りください」


 エーデルの言葉に、私は目を見開く。


「全て真実の鏡が明らかに致しました、お姉さまが私を守る為にグラスの擦り替えを行った事も、私の婚約者とお母様が裏で繋がっていたことも」


 エーデルの瞳は真っ直ぐに私を見詰めていた。


「その事が明るみになったことで錯乱さくらんしたお母様がお父様を刺しました。恥ずかしながら私は、そうなるまでお姉さまのいうこの世界の厳しさを、汚さを、まるで分かっていなかった。そう気付いたら、私の呪いはいつの間にか解けていたのです、お姉さま」


 心臓が耳の中で脈打っているようだった。


 鼓動以外何も聞こえない、エーデルに言われたことがぐるぐると頭の中で回って気持ちが悪い。


 エーデルは今何を言っている、そう言えばもう醜い顔は元通りに戻っているではないか。


 本当に呪いというのはいい加減なものなのね。


 私の呪いに込めた歪な願いは、図らずも成就したということか。


 そんなことで。


 そんなことで、呪いは。


 妹が私の苦しみをやっと分かってくれた。


 たったそれだけで、こんなにも簡単に呪いとは解けてしまうのか。


「家臣達は皆心を入れ替え、私を守ろうと悪役となったお姉さまに敬服しております。私もお姉さまの知恵と勇気に対し自分の浅ましさを恥ずかしく思います」


 エーデルは言葉と共にうやうやしくスカートを上げ、私に頭を下げた。


 その後ろで兵達も私に向かい敬礼している。


「王と王妃を同時に失い、今我が国は混乱しております。救えるのはお姉さま以外にはおりません。解呪かいじゅについては賢者より伝え聞いております。鏡の呪いは強力で、この方法を除いて解くのは至難の業だと。ですからどうかお姉さま、この粉を使って呪いをといて下さいませ。そしてどうか国へお戻りくださいませ」


 妹がそう言って差し出したのは、私が賢者からもらった革の巾着。


「人に危害を加えた人狼は、討伐するのがこの世界のルール。あれは最早化け物なのですお姉さま」


 ルーの絶叫が響き渡り、私は夢からめたようにハっとして振り返った。


 そこには数多あまたの砲弾や岩で傷付きぼろぼろになったルーの姿。


「ルー!」

「お姉さま!」


 そこからの全ては、とても緩慢かんまんに感じられた。


 弟の少年が狼の姿でルーを守ろうと前に飛び出して、岩を受けそうになったのをルーが前かがみに抱き締めるようにしてかばう。


 その所為でルーは多くの岩や砲丸に打たれ、遂にけたたましい音を立てて地面へと倒れ込んだ。


 弟狼が泣いている。泣いてルーの首筋にすがっている。


 私は動けなかった。


 今、喉から手が出るほどに求めていたものが、エーデルと共に私のもとへやって来た。


 羨望せんぼうの眼差し、尊敬の念、手にすることなど出来ないと諦めていたものが目の前にある。


 今国に戻れば、今まで受け続けて来た苦しみも、幾多いくたと重ねた努力と共に報われる?


 私を嘲笑わらった奴等、私をさげすんだ奴等、全てを見返して私は女王になれるのだ。


「お姉さま、さぁ! 早くしなければ夜が明けてしまいます!」


 エーデルが縋るような瞳で私を見つめている。


 直後、ルーの怒り狂った咆哮が響き渡った。


 人々の悲鳴と共に木々がなぎ倒され、大地が抉られ、けたたましい轟音が辺りを包む。


 まずい、弟を傷つけられそうになったことを切っ掛けにルーが怒りに我を忘れている。


 このままでは死者が出る。


 そうなったらもう討伐を止められない。


 革の巾着を握り締め、私は気付けばルーのもとへと駆け出していた。


 自分の事なんて、今は何もかもどうでもいい。


 ルーを死なせたくない。


 ただ、それだけだ。


 けれどもそんな私を嘲笑う様に、東の空が少しずつ白け出し、やがて緋色の真っ直ぐな光が差し込み始めた。


 夜明けだ。


 手足が消え、真っ白い羽が辺りに散る。


 私はすっかり白鳥の姿に戻ってしまっていた。


 この姿で、ルーのもとへは余りにも遠い。


「コォコォ!(ルー! しっかりしなさい、ルー!)」


 彼を助けるには、この願いが叶う粉をルーに振りかけるしかない。


 けれども私のこの姿では、夜が完全に明け切るまでにルーのもとへ辿り着き、粉を振りかけるなど不可能だ。


 月明りが無ければ願いは叶わない、けれども次の夜までなどとそんな悠長なことを言っていたらどうなる?


 例え私が権力を振りかざし、自国の攻撃を辞めさせたとしても、暴走状態のルーによる被害が大きくなるほど、別の国が彼を討伐すべく動くだろう。


 いや、犠牲が増えれば自国の軍さえ私で抑えられるかどうか。


 嫌な予想しか出来ない、ルーが討伐される未来しか見えない。


 考えろ、考えるんだ。


 どうすれば、ルーを救える?


「お姉さま、まだ月明りは残っています、まだ間に合います! この夜をのがせば、お姉さまはもう二度と元には戻れないのですよ!?」


 エーデルがそう言って白鳥となった私を抱き上げた瞬間、私は視界に入ったそれに向かって思い切り羽ばたいた。


「キャア!?」


 一か八かだった。


 今まさに打たんとする投石器の石に舞い降りた私は、石と共に大空へと舞い上がる。


「お姉さま!?」


 エーデルの悲鳴がみるみるうちに遠ざかっていった。


 私の体は思ったよりも上手く飛び立つことが出来て、あとは無我夢中で羽ばたいて、巨大化しているルーの真上へと飛んで行くだけ。


「コオオ!(お願い、元に戻って、ルー!)」


 そして私は、翼をばたかせルーのもとへと辿り着いた。


 あとはもう、無我夢中でくちばしを使って革の巾着を振り回し、辺り一帯に虹色の粉が舞い広がる。


 まだ朝日は昇り切っていない、月は出ている。


 けれども、確かに粉はかかった筈なのに、ルーの姿は戻らぬままだ。


「コォ!(ルー!)」


 大きな体、少し硬い灰褐色の毛。その肩に止まって大きな顔に体を摺り寄せる。


 白鳥の体では、彼を抱き締める事も叶わない。


 それだけがもどかしく、悔しく思う。


「コォォ(元に戻って、お願いっ)」


 私は気付けば涙を流していた。


 貴方の過去を知った時、意地なんか張らずに、プライドなんか捨てて、私は言うべきだった。


 もう貴方が頑張る必要なんて無い。


 痛みを我慢する必要もないし、無理に王子様を気取らなくても良い。


 自分を隠さなくても良い。抑えなくても良い。


 貴方の狼の姿を否定したりしないで。


 全部私が、受け止めてあげるから。


「コォココォ(ごめんなさい、ルー)」

「スワン……?」


 声がする。


 少しだけ情けない、けれども聞きなれた鬱陶しいあの声。


「コォ(ルー?)」


 目の前には、耳と尻尾の生えた人間の姿のルーが、傷だらけの姿で横たわっていた。


「コォ!(ルー!)」


 羽を広げる。


 あぁほら、私は貴方に抱き着く事すら出来ない。


 そう思いふっと私が諦めた直後。


「スワンっ!」


 ルーの腕が、強引だけれど気遣う様に、優しい手付きで、私を強く抱き寄せた。


「すまないスワンっ、俺は君の気持ちも聞かずに……だけれど俺は、やっぱりどうしても君が良いんだ」


 ルーは泣いていた。


 私はそんな彼の頭を撫ぜてやりたかった。


 いいや、撫ぜればいいのだ。


 そう思い羽を動かせば、何とかそれらしく撫ぜてやることが出来た。


「コォコォ(馬鹿ね、もう貴方を縛る物は何も無いのよ。何もかも捨てて、自由に生きれば良いのよ、ルー)」

「あぁそうだ、俺はずっとこの国の亡霊に縛られていた。それだけが俺の生きる意味だった、そう思い込んでいたから」


 ずずっと鼻をすする音がする。


 こういう時まで格好の付かない男である。


 けれど。


「だけど、これからはスワンを守る為に生きたい。君の事が好きなんだ」


 そう言って私を見つめながら、眉を下げて笑った顔が、息を呑むほどカッコいいと、思ってしまった。


 あぁ、悔しい。


 私はこのお人好しで馬鹿で、どうしようもなく優しい男が、好きなのだ。


「コォォォ(白鳥だけれどね)」

「どんな姿でもスワンはスワンだ」

「コォコォ(可愛げだってないし、目付きも悪い)」

「スワンは可愛いぞ、誰よりも、世界で一番可愛い」

「コオコココォ(私はみんなに愛される白雪姫じゃないわ)」

「? 俺は白雪姫じゃない。魔女だって、白鳥だって構わない。君が好きなんだ、スワン」


 恥ずかしげもなくルーはそう言って、満面の笑みを浮かべた。


 私は長い首を丸めて、顔を隠すようにルーの胸にうずめる。


「キス、しても良いだろうか?」


 返事はしない。


 その代わりに、私はくちばしをそっとルーに向けた。


「ありがとう、Ma cherieマシェリ


 朝日はいよいよ燦燦さんさんと辺りを照らし出し、風が光る。


 ルーの顔がそっと離れて、私達は見つめ合った。


 残念ながら、キスで呪いはとけなかったようだ。


「コォ(ほらやっぱり、とけないじゃない)」

「じゃあ賢者に願いを叶えてもらいに行こう!」

「コォコォ(言ってなかったけど、もう願いは叶えてもらってしまったわ)」

「何!?」


 ルーが焦っておろおろしている姿を見て、私は優しくその額をつついてやった。


「コォコォコココォ(もういいのよ、あなたが生きていれば、どうだって)」

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