第17話 選択

『どうして逃げたんだうがぁ!』


 力加減もなく容赦なく掴まれ、私はルーの顔の近くまで持ち上げられた。


 私の顔よりも大きな瞳が月明りで金色に輝き、そのままジロリと睨まれる。


 下方に見える巨大な牙の付いた口に放り込まれたら、ひとたまりもなく私は死ぬのだろう。


「逃げたも何も、初めからあなたと結婚する気なんてなかったもの!」


 ひるんでなるものか。


 私はただでさへ人相の悪い顔を更に険しくして、ルーを睨みつけた。


「あなたが勝手に勘違いをしただけよ! バカ狼!」


 次の瞬間、はらわたが口から出るのではないかというくらい、私の体は締め付けられた。


『何を言うんだうが! だってスワンは、俺のこと!』

「わ、私が、ひと、ことでも……、あなたに好きだと、言った?」


 声を出すのも一苦労ひとくろうだ。


 息ができない、その苦しい呼吸の中でそれでも私は言葉を紡ぐ。


『うが、それは』

「それに、私の、呪いは」


 激しい咳で言葉が切れる。


 ルーはそこで初めて私を締め付けていたことに気が付いたのか、怯えたように瞳を震わせ、慌てて握る力を弱くした。


 お陰でやっと息が吸える。


 ゲホゲホと咳をしながら、私は少しずつ呼吸を整えた。


 ようやく落ち着いたところで、ルーを見上げた。

 途端、私は目を見開く。


 ルーの大きな金色の瞳に、私が映っていた。


 そこに居たのは誰よりも醜い女。


 顔だけではない、性格まで醜い女、それってまさに今この私を指す言葉ではなくって?


 私の顔は、まるで物語の悪い魔女のようだった。


 口角が皮肉に上がり、こぼれ落ちそうな涙を堪えるために眉間に皺を寄せる。


「私の呪いは、あなたの、王子様のキスでなんかとけやしない。だって私は白雪姫じゃない。身勝手にも何も悪く無い実の妹を呪った、とても人間のすることでは無いことをした、稀代の悪女なのだから!」


 胸を張り、声が震えないように大きく息を吸った。


 眉ひとつ動かさず頑然がんぜんとしていたかったけれど、眉は情けなくきゅっと寄せられて、私の顔はきっと見る影もなく酷い顔をしていたのだろう。


 その証拠に、目の前のルーは大きな吊り目をさらに吊り上げて見開いている。


 それは驚愕しただろう。騙されたと思うだろう。


 私は綺麗な人間でも、正しい人間でも、清廉潔白せいれんけっぱくな人間でもない。


 私は誰よりも醜悪で残酷な女。


 あなたの言った通り、こんな女は人間じゃない。


 だからあなたを救ったりしないし、私は私のためだけに生きる。


 そうでしょう?


 お母様。


 真実の鏡は言ったでしょう、この世で一番美しいのは妹のエーデルだと。


 だからあなたはあの子を殺すことを計画した。


 でもね、私は妹が死んで、それでさようならなんて許せなかったのよ。


 私と同じ苦しみを、味わわせてやりたかった!


 だからその薬をすり替えてやったのよ!


 助けたりなんかしない、お母様よりも私の方が、何倍もあの子を憎んでいる。


 美しく死ぬなんて許さない。


 醜くなって、あの子が見てこなかった汚い世界を見るまでは!


「私はスワン! 白雪王国第二王女エーデルを呪った罪で追放された!」


 あぁどうして、涙が溢れているのだろう。


 今まで一度だって、人前で泣いたことなどなかったのに。


 私はこの男に何を求めているのだろうか。


 裏切り、罵倒し、今もあなたを見捨てようとしているくせに。


「こんな私が、あなたを好きなわけないでしょう!?」


 ルーの瞳に映るのは、矜持きょうじなど欠片も感じられない、ただのわがままな小娘ひとり。


 次の瞬間、ぐわりとルーの大きな口がワニのように開いた。


 大きな舌、その奥に見える暗闇、凶暴は牙。


 私は目をぎゅっと強く瞑ると、次に来るであろう衝撃に思わず身を縮める。


 けれど。


『どうしてそんな泣きそうな顔で自分を悪くいうんだうが!』


 ルーは、大きく口を開けて泣いていた。


『難しい事は知らないうが、でも俺にとってスワンは、狼の俺を見て笑ってくれた、頭が良くて頼りになって、だけど何処か子供みたいな、守ってあげたい女の子うが!』


 目を瞠る。


 ルーの瞳から零れ落ちた涙がべちゃりと私の顔全体を濡らした。


『結婚して欲しいうが! 結婚するなら、俺はスワンが良いんだうが!』


 目が合った。


 いつの間にか私は両手で掴まれ、彼の顔が見える真正面の位置に持ち上げられていた。


 ルーは切実な表情で私を見詰めている。


 私は。


 私は何と、答えようとしているのだろう。


 口を開きかけた、その時だった。


「お姉さま!」


 大砲が放たれる弾薬の弾けた音と、ルーの横っ腹になまりの球が直撃したのは、ほとんど同時だった。


 討伐隊とうばつたいだ。


 しかも皮肉にも、そこに居たのは妹エーデルが率いる白雪王国の討伐隊だった。

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