第15話 犠牲


 その狼の子は、とても強い力を持って生まれました。


 けれども頭が悪かった。


 王と王妃は、その王子を厳しく育てました。

 時にはムチで打ち、自由を奪い、一日中寝る間も惜しんで勉強や作法を学ばせる。


 上手く出来なければ怒鳴り、叱り、罰を与える。

 しつけは昼夜続きます。


 王子は辛くて、辛くて、何度逃げ出そうと願ったか分かりません。

 でもそれをしなかったのは、王子はとても優しい心の持ち主だったから。


 彼がいなくなれば、次に彼と同じ目に合うのはまだ幼い弟でしょう。

 王子には弟が居たのです。王子は弟を大切にしていました。


 王子は耐えました。

 王子は努力しました。


 しかし成果は出ず、しつけと称する暴力は年々ひどくなるばかり。


 王子は王と王妃の叱責を自分の所為だと嘆きます。

 それが自分の為の愛だと思い込むことで、不条理を正当化するしかなかったのです。


 王子は昼は必死で立派な王子様のふりをして、けれど夜になると自分の力を制御することが出来ず恐ろしい狼の姿へと変貌し続けました。


 その未熟さを糾弾され続け、それでもどうしても姿を制御する事は叶わず、結局次の王は二番目の王子にすると王が決めた夜。


 人狼王国は滅びたのでした。


◆◆◆


「兄が国を滅ぼしたんだ。でも兄はその現実を受け入れられず、今も滅びた国の中で生きている」


 少年はそこまで話し終えると、丸太に座ったままハラハラと涙を流して見せた。


 私はと言えば、少年の横に腰を下ろして押し黙ったまま、空にぽっかりと浮かぶ三日月を見上げている。


「そしてある日、兄は王になるにはつがいが必要だからと旅に出た。何度も何度も求婚しては、狼の姿やこの国の現状を見られ、女性に逃げられて」

「まぁ、それはそうでしょうね。この世界では狼は悪しき者、忌避きひすべき者だもの」

「黙れっ!」


 少年は逆上し思わず立ち上がったが、私がただ静かに見詰めると怯えたように座り直した。


 まぁ、中にはそんなこと気にしない人間もいるのだろうが、人狼を恐れるのは人の本能だ。


 少し、可哀想かもしれないけれど。


 私は少年の話を聞いて、全ての疑問に合点がいった気がした。


 ルーが狼の姿を捨てたいと願うのは、つがいを見つけるためというのもあるのだろうが、根本的にはあの姿でしいたげられ続けたことが理由だろう。


 自分で自分を忌み嫌う気持ちは分からないでもない。


 同族である人狼王国の中で狼の姿でいることを否定され続ける。


 その気持ちが、私には痛いほど分かる。


 人間と狼の時であれだけ性格が違うのも、一種の自己防衛的人格乖離じこぼうえいてきじんかくかいりだったのだろう。


 そして国が滅びてもなお、彼は自由になることはなく亡国の幻の中に囚われている。


 つがいを見つけ王になろうとするのも、彼の父と母に自分を認めて欲しい一心なのかもしれない。


 もう、王も王妃もいないのに。


「その夢物語に他人を巻き込もうなんて、百年早いわね」


 私は立ち上がった。


「何処へ行く!?」


 少年がはっとしたように立ち上がり、耳と尻尾をぴんと立ててこちらを見詰める。


 私がそれに振り返りもせず「賢者の家へ帰るのよ」と吐き捨てると、背後から「は!?」と頓狂とんきょうな声が響いた。


「お前っ、薬草の話は!? やっぱり嘘だったのか、僕を騙したのか!」

「あら、私は貴方の兄を助けるために薬草を取りに行きましょうなんて一言も言ってないわよ?」

「は?」

「薬草は本当に存在するわ、東洋にね。それに助けられるかもとは言ったけれど助けるとも言っていない。あとは貴方が勝手に選択しただけ」

「そっ、そんなの屁理屈へりくつだ!」


 気付けば風のように駆けて来た少年が私の前に立ちはだかっていた。


「違うわ、だまされる方が悪いのよ」


 少年を押しのけて私は進む。


 何とか人間の姿で居られる夜中よるじゅうに賢者の家に辿り着きたいのだ。


 邪魔をしないでほしい。


「あ、あんたは血も涙もない悪魔か!?」

「懐かしいわねその台詞。よく言われたわ」

「……っ見た目も心もみにくい女だな!」


 ぴたり、足が止まる。


 私はほとんど無意識で少年を振り返り、烏の羽のような鋭く黒い瞳で睨み付けると、氷よりも冷え切った表情を浮かべた。


「誇り無き者に与える慈悲じひなど無い、努力は王族のせきであり義務ぎむよ。貴方のお兄さんは当然のことをしていただけ、例え教育の仕方がやり過ぎであったとしてもね。それで、あなたはそんなにも大切そうにしているお兄様のために、何かをしたことがあったのかしら?」

「!」

「ルーがあそこまで苦しむ前に、あなたに出来ることがあったと思うけれどね」


 そうハッキリと言い捨てると、私は二度と振り返らないつもりで少年に背を向け歩き出した。


 そうだ、全ては今更だ。何故苦しんでいる時に助けなかったのか。


 壊れてから気付いて治そうなんて、遅すぎる。


 傍観者ぼうかんしゃはいつだってそう、差し出せる手があったとしても、その手を差し出すことは無い。


 生い茂る森と森の間に細く伸びる夜空。


 そこにぽっかりと浮かんだ三日月が、歩いても歩いても何処までも私を追いかけて来ているように感じる。


 三日月め、私を笑っているのか?


 やがて少年が見えなくなるほど歩いた頃、ふくろうの鳴き声がホーホーと闇夜に響き、私は立ち止まる。


 目の前には漆黒のローブをフードまで深く被り、空に浮かぶ三日月のような口元だけを覗かせた賢者が、一人待ち構えるように立っていた。


「君が最後の一人だね?」

「えぇそうよ、私があの狼を追い払ったわ。さぁ願いを叶えて頂戴」


 賢者はフードを取ると、その半月はんげつのような黄色い瞳で私を捉えた。


 相変わらず感情の読み取れない気味の悪い目だ。


「ぎりぎり間に合って良かったねぇ、呪いを受けてから七晩が過ぎたら、君のその呪いは僕にはとけなくなるところだったよぉ」


 賢者はふところからかわ巾着きんちゃくを取り出して言った。


「ここには姿を元に戻す妖精の粉が入っている。月明りと一緒に浴びるんだよ」


 言いながら賢者は手を伸ばし、私に巾着を差し出した。


 私は賢者に一歩近づき、巾着に手を伸ばす。


 それはちょうどその瞬間に起きた。


 何かが崩れ落ちる轟音ごうおんが辺りに響き、地面が揺れる。


 私は音の方を驚いて振り返った。


「な、何!?」


 そこでは城を突き崩してそびえる、月をも掴めそうな程に巨大化したルーが、正気を失った凶暴な瞳で夜空に向かって咆哮ほうこうしていた。

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