第14話 脱走

 日が暮れ、夜が来た。


 人間の姿に戻った私を少年は驚いたように見ていたけれど、下着姿なのをみとめると、少しだけ赤くなってすぐにそっぽを向いてしまった。


 それから「行くぞ」とすすだらけの隠し通路へと躊躇ためらいなく突入する。


 私は一瞬だけ躊躇ちゅうちょしたものの、どうせ既にみすぼらしい姿なのだしと意を決して飛び込んだ。


 そして、今。


「なんてことうが! スワン! スワンはどこうが!? スワン!」


 まるで城をも震わすような絶叫を背に、私は少年の尻尾を必死で追いかけている。


 人一人ひとひとりが腹ばいになって、やっと通れるほどの狭い石積みの隠し通路である。


 光も届かない暗闇のトンネルを、目の前を行く少年の服が擦る音だけを頼りに前進する。


「スワンまで、俺を裏切るうが!?」


 壁を挟んだ遠くから聞こえて来る、ルーの嘆き、激昂げっこうする声。


 そんな自分勝手な狼の言い分に私は思わず舌打ちをすると、湧き上がる怒りを原動力に、この居心地最低最悪いごこちさいていさいあくな隠し通路を邁進まいしんした。


「音がするうが、こっちうが?」


 しかし、直後聞こえて来た台詞に私は思わず全身が硬直する。

 恐怖からか無意識に息までひそめていた。


「大丈夫だ、兄さんはこの通路を知らない。それより急げ」


 けれども少年の声と文字通り地を這う《はう》ずり、ずりという音が鼓膜を震わせ、私はルーのものであろう乱暴な足音にびくびくしながら、指先が震えそうになるのをぐっとこらえ、前進を再開する。


 ずりずりと、どこまでも続く暗闇に気が狂いそうである。


「聞きたいのだけれど、この城はいったいどこの廃城はいじょうなの?」


 たまらず話しかけた。


「ここは人狼王国。“元”、だけどな」

「元? あなた何を言っているの」


 人狼王国が領地を移動したなんて話は聞いたことが無い、そこまで考えて私はある恐ろしい結論に達し、「まさか」と漏らしていた。


「そのまさかだよ、人狼王国は一夜にして滅びた」


 そんな馬鹿なことがあるか、私は混乱した。


 この数十年、国同士の戦争も国の中での動乱も聞いたことが無い。


 国が滅ぶような出来事は私の記憶や知識には一切ない。


 けれどもそれならば納得がいくことが多すぎる。


 ルーの異常な様子も、この少年が平民服を着ているのも、城がぼろぼろなのも、何もかも。


「何があったっていうの?」

「聞いてどうする?」


 私の呟きに間髪入かんぱついれず少年は返した。


「どうするって、それは」

「そもそも聞いて何の意味がある」


 少年はそれを最後に、何も言わなくなってしまった。


 そして私も何も聞けなくなってしまったのだ。


 だって私はルーから逃げるのだし、どんな事情があったとしても私は彼を裏切り、出し抜いて、賢者に願いを叶えてもらいたいのだし。


 ここでこの国は滅びた理由を知ったところで、私は何も変わらない。


 それはつまり、これはただの好奇心で当事者達への冒涜ぼうとくに等しい。


 だから押し黙るしかない。


 やがて少年ごしに淡い光が視界に飛び込んだ。


 出口だ。


 そこは月明りの照らす森。


 私はあの高い塔から隠し通路を螺旋のように下り、城壁の中を通って、人狼王国領の外へといたったようだった。


「それで、どこにあるんだ」


 少年はそう言って、隠し通路から出たばかりの私を睨む。


 その視線に急き立てられながらも、私はまずは服の汚れを払った。


 すすほこりまみれで、いよいよもって王女だった頃の面影は無い。


 ぼろぼろの髪の毛、白い肌まで薄汚れて、元々美しさなど持ち合わせていない私は、さぞ見すぼらしい姿になっているのだろう。


 みじめだと、思った。


 どうせ惨めなら、今更保いまさらたもてる体裁ていさいなんてあるだろうか?


 あとはこの少年を騙して逃げるだけ。


 だったら、この胸にかかった重苦しいもやを解消すべきなのではないか。


 だって私は優しいお姫様なんかではない。

 性悪な魔女だ。


 何を恐れて押し黙る必要があっただろうか。


「ねぇ、あなた」


 ルーを兄だと呼んだ少年。

 彼もかつては王子だったのだろう。


「やっぱり教えなさい、私は知らないままは気持ちが悪くて仕方が無いのよ」


 出来るだけ声を張って、凛と背筋を伸ばし、私は命令をした。


 そうだ、気持ちが悪い。


 ルーのあの変貌ぶりも、この城でまだたったひとり王子であろうとしている、まるで正気でない姿も。


「この国が滅びた原因を知っているのならば、あなたの兄の為にも話すべきだわ」


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