第13話 誘拐



 我が人生最大の失敗であった。


 そう言い切れるほど現状は最悪である。


 そもそも誰があの話の流れでプロポーズしたと勘違いされると予想できただろう。


 いや、無理だ。断じて不可能だ。


 今私は、牢獄に入れられている。


 正確に言えば、塔の上の牢獄のような部屋に、だ。


 どこの廃墟か知らないが、そこかしこに蜘蛛の巣が張り、いたるところ壁が崩れたその部屋に、何故私は閉じ込められなければならないのか。


 飛べない自分をこれほど悔やんだことはない。

 白鳥の姿をしているから万に一つでも飛べる可能性があるのでは、と何度も窓辺には立った、けれど無理だった。


 塔の窓から見た外の景色は余りにも高く、地上が遠い。

 それだけで全身が震えて足がすくんだ。


「コォコォコオオオ!(Shitシット! 次に会ったら絶対に脳天砕いてやるわ!)」

「あぁスワン! 部屋は気に入ってくれたかい? メイド達が失礼をしていないだろうか?」


 突然大きな音をたてて扉が開き、私は跳び上がって驚いてしまった。


 こんなボロボロの廃墟の癖に、扉だけは頑丈で、鍵がかかるのだから憎らしい。


 さて、入って来たのはルーである。


 ルーはどこかうっとりとした表情をしている。


「今、結婚式の準備を城の者にさせているところだ。夜には準備が出来るから、それまでどうか羽を休めていてくれ」


 羽だけにな、と言いそうになるのをぐっとこらえて呑み込んで、私はルーを睨んだ。


 先ほどからずっとこの調子なのだ。


 メイド、なんてこの場所に連れて来られてから一度たりとも見かけていない。


 城の者、と言うがメイドどころかこの城で私とルー以外誰一人として見かけていない。


 何なら彼が言う城というのも、見ての通りボロボロに崩れて辛うじて形を保っている程度の、まるっきり廃墟だ。


 それなのにルーのその瞳には、この城が栄えていた頃が見えているかのように、いかにも王子然おうじぜんとふるまって、誰も居ない虚空こくうと会話をしているのだ。


「コォコォ(想像以上に怖い)」


 私は天を仰いだ、お手上げである。


「真っ白なドレスを用意したんだ! きっとスワンによく似合う」


 言って手(羽)を取られ、口付けされそうになる。

 私は咄嗟とっさにルーの頬を渾身こんしんの力ではたいた。


 それは私なりの反抗の意思表示だったのだが、いかんせん羽毛である。


 ルーはひとつも効いていないのか笑顔で「どうしたんだ、Ma cherieマシェリ」と囁き再び両手(両羽)を絡め取られる。


「コォコォ!(触らないでよ!)」


 だから今度は必殺、くちばし突きである。


「あぁ、スワンから口付けしてくれるなんて嬉しいよ!」


 けれども私が額を突いたその攻撃は、世にもおぞましい額へのキッスと勘違いされてしまった。


「コオオオオオオオオオ!(最低よぉぉおお!)」


 だが生身でなかっただけ良かったのかもしれない、白鳥の姿だからまだこの気持ち悪さに対して心的ダメージが少なく済んでいる。


 もう狼というよりは、まるきり犬のように尻尾を振って目を輝かせるルーに、私は今一度厳しい視線を向けると(とはいえ白鳥のつぶらな瞳でしかないが)有りっ丈の怒りを込めて言った。


「コォコォコオオ!(ちょっとルー、本当にどういうつもりなの!?)」

「どういう? 俺が君の呪いをといて、その後で俺も自分の願いを叶えてもらう。そうすれば二人とも幸せになれるんだ、名案だろう!」


 頭が痛い。


 何故ならば、ルーの目が本気だからだ。


 もう気が違っているのではないかと思うほどに、真っ直ぐで純真な目だ。


 ここまで頭が悪いとは思わなかった。


「コォコォ(あのねぇ、ルー! 私はあなたと結婚なんて一言も)」

「あぁスワン、まさか君まで他の女性と同じように俺を裏切ったりはしないよな?」

「コォ(は?)」


 次の瞬間、羽が軋む程の強さで両手を掴まれた。


 何をと思った時にはもう、ルーの顔が間近に迫っており、食い入る様に見開かれた瞳に、私は恐怖で心臓が絞り上げられたように震える。


 だってルーの表情が、まるで心など何処にも無いように、無表情だったから。


「それじゃあスワン、また来るよ」


 手が離れ、体が離れ、また笑顔に戻ったルーは、ご機嫌な様子で部屋を出て行った。


 ガチャリと錠が閉まる音。


 私はその瞬間、思考を高速で回転させる。


 何故こうなった?


 私はあの気に入らない女と結婚するのに狼の姿を消すことは本当の愛ではない、本当に愛しているなら狼の姿も受け入れてこそだろうと、そう彼をそそのかそうとしただけだ。


 まんまと騙されたルーがオディールのもとへ向かっている内に、最後の一人を追い払ったと賢者に伝え、私の願いを叶えてもらおうという完璧な計画、だった。


 けれど今になればこれは何て杜撰すざんで愚かな計画だったのだろう。


 まずオディールとルーが恋仲になったというのは私の勝手な妄想だった。 


 次に、何故ルーが狼の姿を捨てようとしていたのかも、憶測でしかなかった。


 極めつけにはルーが私にキスを迫っていたことを、彼の好意だと素直に受け止める事が私には出来なかった。


 けれどいつから?


 どうして私に好意を持ったのか?


 いいや、今はそんなことはそれほど問題ではない。


「コォコォ(あいつ、一体全体どうしたっていうのよ)」


 この廃墟に連れて来られてから、ルーはまるで別人のようだ。


 あいつはただの馬鹿で、お人好しで、こちらが嫌がることなど絶対にしない、辟易≪へきえき≫するほど優しい男だったはずなのに。


「コォォォォ(My godマイガッ、最低の気分だわ)」


 こんな最低な気分はそう、国を追放された忌まわしいあの日以来だろうか。


 私は何としてでも真実の鏡を使わせたかったのだけれど、結局鏡は使われず、は守られた。


 真実の鏡が証明しなければ、私が何を言おうとあの国では信じてもらえない。


 だから何も言わずに私は去った。


 あの時と同じ敗北感を、今再び、私は味わっている。


「コォコォコオオ!(ふざけやがって! 絶対に逃げ出してやるんだから!)」

「逃げる?」


 突如として聞こえて来た少し可愛らしい低めの声に、私は長い首をぐるりと回し振り返った。


「あんた、逃げるつもりなの?」


 リンネルの生成りのシャツに焦げ茶のズボン。


 灰褐色の髪を肩辺りまで無造作に伸ばし、金色の瞳はくりっと可愛らしいが釣り目がち。


 まだ幼さの残るあどけない顔に、狼の耳とふさふさの尻尾。


 そこにはルーにどこか似た雰囲気を持つ、人狼の少年が立っていた。


「コオココオオオオ!(あなた、いつの間に!?)」


 その少年の突然の登場に、私は思わず警戒して羽を大きく広げてみせた。精一杯の威嚇である。

 しかし人狼である少年がそんな事に恐れおののく訳もなく、いわれのない鋭い眼差しで睨まれてしまった。


「やっぱりお前も兄さんを騙したのか」


 少年はぐるると怖気立おぞけだつような音を喉で鳴らしながら、私にじりじりと歩み寄って来た。

 その目は見開かれ怒りに震えている。

 直感的に命の危険を感じた私は頭をフル回転させる。

 先程の台詞から、この少年はルーの弟なのだろう。しかし王子の格好をしているルーとは違い、私の良く知る人狼らしい恰好をしているのは何故なのだろうか。


 そして彼は「やっぱりお前も」と言った。


 それはつまり私より前にも同じ目にあった者が居たという事だ。


 私以外にも、居たですって?


 その事に何故かズキリと胸が痛んだが、すぐに怒りでかき消した。


「コオコココォ(あなた、ルーの弟ね。騙したっていうのはどういうことかしら?)」

「黙れ! お前らみたいな性根の腐った女に語る言葉は無い」

「コォコォ(あら残念ね、私ならお兄さんの病気を治してあげられるかもしれないのに)」


 少年の耳が私の言葉にぴくりと反応した。


 思った通り、兄想いらしい。


 そして彼の目から見てもルーは病気のように映っているのだろう。


 虚空に話しかけるだなどと、誰が見ても正気ではないのだから。


 さて、私はこのチャンスを逃すまいと畳みかける。


「コオコココオ(お兄さんはね、心の病気なの。それを治すにはサンジーバニー・ブーティが必要よ)」

「サンジー、バ、なんだって?」

「コォコォ(ブーティ、よ。知る人ぞ知る東洋に伝わるあらゆる病を治す伝説の薬草、それがサンジーバニー・ブーティ!)」

「なんだよそれ! 伝説の薬草何てそんなの都合よくあるわけ」

「コォ(あるわよ)」


 そう、ある。しかしそれは遠い東洋の国に、だが。


 しかし私は嘘は言っていない。


 少年はしばらく眉間に皺を寄せいぶかな瞳で私を見ていた。


 これはあと一押ひとおし必要かもしれない。


「コォコココォ(賢い選択をしなさい。もし私があなたを騙していたとしても、あなたは結果ただ私を逃がしてしまうだけ。けれども今私を信じてもしも本当にお兄さんを治せたとしたら? どちらが得かなんて、あなたにとっては簡単な選択でしょう)」


 少年は私を兄によく似た金色の瞳で見つめた。


 どこか切実さのある真剣な視線だ。


 そんな彼をだますことにわずかに良心が痛んだが、そんなの今更である。


 実の妹を害した私に、最早良心などといったものは無い。


 あっては、ならない。


「分かった、お前に従う」

「コオ(賢明ね。では、私を月夜の森に連れて行ってくれるかしら?)」


 絶対に初めは居なかった少年が、突如として現れたのだ。


 ここにも城によくある“隠し通路”が存在しているのは明白である。


 私は心の中でほくそ笑む。


 やっぱりこの少年もルーの弟、お人好しの馬鹿ね。


 森に出たら上手いこと騙して逃げ出してやるわ。


「こっちだ、来い」


 そして案の定、少年は古びた暖炉の中にあった隠し通路へと、私を案内したのだった。

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