第11話 密談

「私を食べようっていうの!?」


 陽が落ちて、夜が来た。


 いつも通り獣へと姿を変えたルーだったが、その直後ちょくご、先ほどまでルーにベッタリだったオディールの表情が、さっと青褪あおざめる。


 ルーはそれを見て「しまった」と思った。


 スワンがあまりに普通に接してくれるから、忘れていた。


 国の外の女性はみんな狼をおそれ、すぐに逃げてしまうことを。


「ち、ちがっ、俺は君を食べたりしないうが」

「いやっ! 来ないで! 夜の森で変身してそんな白々しい言い訳、信じるものですか!」

「これは、わざと変身したんじゃないうが!」

「ひっ、触らないで!」


 オディールは見るからに怯え、尻餅をついたかと思うと、ルーに背を向け一目散に夜の森の中へと逃げ去った。


 それはもう、何度も経験してきたことである。


 そもそもルーは王となるため、条件であるつがいを探すべく国を出たのだが、出会う女性はみんな、ルーの夜の姿を見ると逃げてしまう。


 かと言って、ルーは自分の姿を制御することが出来なかった。


 満月の夜以外は、制御できるはずなのだが、ルーは昔から、何故か変身を制御することが出来ない。


 そのせいでつがい探しも難航しており、ついには賢者に縋ることになった。


「やっぱり俺は、駄目な奴なんだうが」


 釣り上がった恐ろしい金の瞳から、光が消える。


 その肩と耳は、心なしか少しだけ情けなく、垂れ下がっているようだった。


◆◆◆


「ただいまうが」

「あぁ、おかえり狼くん。スワンちゃんなら奥の寝室で寝ているよ」


 ルーが賢者の家に帰りついた時、居間にはランプの灯りだけがゆらゆらと灯されていた。


 窓際の椅子に座って本を読んでいた賢者は、本を閉じながら立ち上がると、ルーを案内するように奥の部屋へと歩いて行く。


 それに誘われるまま着いて行けば、スワンは苦し気に、賢者のものであろうベッドで眠っていた。


「熱があるみたいだね、夜になったら急に女の子の姿になって倒れたから驚いたよぉ」


 賢者はそう言ってから、ひとり先に寝室を出ていった。


 扉が閉まり、月明かりだけが照らす部屋でスワンとルー二人きりになる。


「う、ううん」


 と、急にスワンが苦しげに身を捩ったので、ルーは思わずびくりと体を跳ねさせた。


 オロオロしながらゆっくりと近づけば、スワンはまだ眠っているようで、目を閉じたまま表情だけは険しく、眉間に皺を寄せていた。


 汗がすごい、黒檀のように黒い髪が、ベッタリと雪のように白い肌に張り付いている。


 ルーはその汗を拭ってあげたかったけれど、大きすぎる毛むくじゃらの手には、長くて太い爪が付いている。


 この手ではどうにも彼女を傷つけずに汗を拭ってやることが出来ない気がした。


「スワン、大丈夫うが?」


 返事はない。


 けれどもスワンは「ううん」と唸り声を上げると、被っていた布団を乱暴に払い除けた。


 その時、窓から入り込む月気げっきがスワンを照らし出す。


 肌はますます青白く、その四肢は病的

に細い。

 その体躯はルーに、今にも壊れそうなガラス細工を思わせた。


「俺は」


 じっと手を見る。


 賢者は彼女を上手く看病したのだろう。


 それに比べて、自分はこんなにも恐ろしい姿で、よくも今まで彼女に軽々と触れていたものだ。


 そう思った途端、心臓がきしんだ。


 この手は、この体は、全てを簡単に壊してしまう。


 もう一度スワンを見た。


 熱で少しだけ赤く火照ほてった頬に、ゴクリと喉が鳴る。


 けれどもれられない。


 こんな出来損ないの、化け物の姿では。


 ルーはスワンのいだ布団を戻すことも出来ずに、出来るだけ音を立てないよう寝室を出た。


 居間へ戻ると、賢者はダイニングテーブルで座ってお茶を飲んでいた。


 向かいの席を勧められ、言われるままルーは大きな体を少し縮こませて座る。


「よく寝てたろう、薬を飲ませてあげたからねぇ。彼女随分と病弱だねぇ。あ、僕の風邪がうつっちゃったとか?」


 ルーの大きな耳がぴくりと揺れた。


「スワンは俺のこの姿を見ても、すぐに笑ってくれたうが」


 ぽつり、脈絡もなくそれだけ言うと、ルーは賢者に視線を向ける。


「もしスワンに変な事をしてたらお前を殺すうが」

「えぇ? 病人にそんなひどいことしたように見えるぅ?」


 牙と敵意を剥き出しにした狼の顔は、肝が冷え切りそうなくらいに恐ろしい。


 けれども賢者は飄々ひょうひょうとした様子を崩す事無はない。


「あぁ、でも」


 賢者はふくろうのように目を細めて、口角を上げる。


「スワンちゃん、気が強そうな可愛い顔だよねぇ。博識だし、ちょっと気に入ってるかなぁ」


 ルーは無言だった。


 けれども胸の奥で何かがもやりと浮かび上がって、その重苦しさに眉を顰める。


 不快だ。


 けれど何が?


 よく分からずに、首を傾げた。


「ふふ。それで君は、どんな願いを叶えに来たんだい?」


 賢者は何故だか、楽しくて仕方が無い様子だった。


「スワンちゃんは白鳥の呪いをときたいんだろうね。まぁ、それもどうだか……で、君は何を叶えに来たんだい?」

「俺は」


 ゆらゆらとランプの炎が揺れる。


 ルーは中々話し出さなかった。口を開いては何かを躊躇う様に閉じる。


 けれども何度目か、ランプの灯りがどこからかの風に揺れた時、遂に口を開いた。


「俺は、この狼の姿を消したい、捨てたいうが」


 賢者が目を細める。


 ルーの瞳は真っ直ぐだった。


 その顔はまさに狼そのもの、ニ足歩行ということ以外は狼と変わりない野生の姿。


 しかしその体は通常の人狼よりも遥かに大きい。


 さぞ恐れられて来たことだろう。


「そっかぁ」


 賢者は笑みを浮かべると、「それじゃあ張り切っていかないとね!」と声を弾ませた。


「何がうが?」

「最後の一人まで追い返せって言ったろう? つまりスワンちゃんを追い返せたら、君の願いを叶えてあげるってわけ


 首を傾げていたルーだったが、一拍おいて賢者の言っている事を理解したとたん、音を立てて椅子から立ち上がった。


「俺とスワンの、二人の願いを叶えてくれるんじゃないのかうが!?」

「違うよぉ、言っただろ。最後の一人まできっちり追い返せって」

「そんなっ、ここまで二人で協力して頑張ったうが! それを追い返せなんて無理うが!」

「そう? 君なら簡単だと思うけど。なんせとっても強いんだし」


 賢者の細めた視線にルーは、一度言葉に詰まるも、すぐにまた口を開いた。


「スワンは良い奴うが! 頭も良くてすごく頼りになるし、俺のことを怖がらないし、叱ってくれるし」

「うんうん、うん?」


 賢者が頷くのをぎろりと睨んで、ルーは続ける。


「だけどたまに、まるで子供みたいに不安そうな目をするうが。だから、俺はスワンを守ってあげなきゃいけないうが。酷い事はしたくないうが」


 賢者は何とも言えない顔で、眉を上げたり下げたりしながら何かを噛み締めると、至極しごく楽しそうにその黄色い目を見開いた。


「じゃあさ、君が呪いを解いてあげればいいんじゃない?」

「うが?」

「君がキスで、彼女の呪いをといてあげればいいんじゃない?」


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