第8話 強敵
「まだなのかい?」
目の下にもうひとつ目があるのではないか、と言うくらい濃い隈を作って、賢者は言った。
私とルーはあの女が来るのを待ち構えるべく、賢者の家の前を張っていた。
気付けば作戦を実行してから、三日目の朝である。
先程もあの女は私達の制止を諸共せず(ルーは女性に乱暴は出来ないと触れもしないし、私の非力な羽では物理的に止める事が出来なかった)、まんまと賢者の家の扉を叩いた。
いつも通り追い返されるだけなのに、何が楽しくてこう毎日尋ねて来るのかあの女は。
数々の嫌がらせにも負けず(落とし穴や牛のふん、紐を張って転ばせたり)、けれども賢者に追い返されて呆気なく帰っていく。
もうそういう
「コォコォ(どうも、あなたが願いを叶えてくれるという噂の出所も彼女みたいね)」
「賢者殿の噂の出所は彼女のようだ、と言っているぞ」
今賢者に伝えた通り、私達は訪問者を追い返しながら、噂の出所も同時に聞き込みしていた。
ルーはどうも人当たりが良く、親しみを持たれやすい性格のようで、聞けば大抵の者がベラベラと話をしてくれるのだ。
おかげで割と早く彼女が噂の出所だと判明していた。(意外な特技もあるものである)
「彼女かぁ」
賢者は呟きながら、不意に片手で手とは反対側の肩を抱き、視線を床に落とした。
「彼女のあの顔は、君には辛いかもねぇ」
そして誰へともなく、ぽつりと呟く。
「コォ(ちょっと、それってどういう意味?)」
「どういう意味、と聞いているぞ」
「ん? あぁ、こっちの話だよぉ」
賢者はへらりと胡散臭い笑みを浮かべると、「とにかく早く何とかしてよぉ」と、奥の部屋(恐らく寝室があるのだろう)へと引っ込んでしまった。
この賢者は肝心な情報をこちらに教えるつもりがないらしい。まぁ、だからこその試練なのだろうが。
私は考え込む。
そもそも何故、私がこんな目に合わなければいけないのだろうか。
私は何も悪い事はしていない。
それなのに何故、あんな結果になってしまったのか。
あぁ、嫌になる。
世界はいつだって、私には甘くない、苦くて渋い、嫌な味。
「スワン」
ふわりと、呼ばれたと同時に私の体は大きな手にすくい上げられた。
それからすっかり定位置になったルーの頭の上にぽすりと置かれる。
剛毛だけれど意外と居心地の良い、よく動く耳が少しだけくすぐったい場所。
「聞き込みに行ってみるのはどうだろう? 彼女の事が、少しは分かるかもしれない」
ルーは言って私を見上げるようにして笑った。
私は白鳥の長い首を下に向け、彼の顔を覗き込む。
いつも変わらない笑顔、貼り付けたように紳士的な表情。
私はこのお人好しの顔が嫌い。
妹も、そうだった。
私はこれが仮面であることを知っている。
「コオコオ(あんたにしては良い考えね)」
「よし、じゃあ行こう!」
私達が去った後、賢者は居間に出て窓から外を眺めた。
その窓から見えるのは私のルーの後ろ姿。
僅かな風に乗って、囁き声の歌声はルーのよく聞こえる耳にだけ届いた。
「“Roses are red, Violets are blue, sugar is sweet, And so are you.”」
◆◆◆
私とルーは途方に暮れていた。
もう日没が近い、太陽は西で真っ赤に燃え上がり、紫がかった雲から
あれから近くの村や旅人、目に映る人から人へ、私達は隅から隅まであの女の情報を探し歩いた。
けれども、無いのだ。
あの女の情報は何処にも無い。
あんなに毎日来るのだから、近くに住んでいるか
女の一人旅なら尚更に人目を引く筈だ。
そうでなくても噂を広げたのがあの女だというのに、あの女のことを尋ねると、誰もあの女の顔も、姿も、思い出せない。
まるで煙でも掴もうとしているかのような、気持ち悪さが喉に
「何だか願いを叶えてもらうんだって言ってる女が居て、村でも噂になって、それが隣町でもそうだったってんで、あぁでも、誰が初めに言い出したんだろう?」
積み藁をしていた農夫は、そう言って首を傾げた。
それを最後に、私とルーはもうすっかり宿泊地となった、森の大きな木の下へと戻って来て、丸太に座り込む。
日が沈んだ。
いつも通りルーは狼男に、私は人の姿に戻る。
いい加減まともな服を着たいが、今はルーがくれた青いマントを羽織るだけで我慢しよう。
丸太に巨体のルーと二人では座れないので、私は寒さしのぎに今日も彼の獣臭い膝に座る。
「Shit《シット》! 何だって言うの、あの女」
「スワン、何だか体が熱いうが、大丈夫うが?」
怒りで自分の体調など気にも留めていなかったが、ルーに言われて何だか少し熱っぽいことに気が付いた。
もともと私は病弱だ、それなのに連日この薄着で野宿をしていれば、体調を崩すのも
「大丈夫よ」
そうは言っても、自覚してしまえば途端に駄目で、体がずっしりと重くなる。
息苦しい、頭がぼうっとする。
「少し寝るわ」
「そうするうが、俺の膝で寝ると良いうが」
ルーの返事を聞き終わらないうちに、私は気付けば眠りの世界へと落ちていた。
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