第6話 変身
暮れなずむ森の中、私とルーは野宿するべく、大きな樹の下で火を起こしていた。
と言っても、準備をするのはルーだけで、白鳥の私はただ座って待っているだけなのだが。
「コォ(もうすぐ日が暮れるわね)」
太陽はもう西へと傾き、木々の間から橙色の光が、少し眩しいくらいに差し込んでいる。
間もなく夜が来るだろう。
私はルーをただじっと見ていた。
しかしいくら待っても返事が来ない。
「コォ!(ちょっと、何とか言ったらどうなの?!)」
痺れを切らし苛立ちをそのままぶつけるように叫んだ、直後。
「!?」
陽が沈む。
それと同時に東の空からは月が昇っていた。
「うがぁぁぁあああ!」
私が異変を認識した時にはもう、ルーは頭を抱えて白目をむき、
顔から、手足から、灰褐色の体毛が生え出し、細身だった体がみるみるうちに巨大化し始め、顔の形までも変形していく。
口が裂け、眼は更に釣り上がり、牙が剥き出しとなったかと思えば、立派な尻尾が背後でゆらゆらと揺れている。
それに呆気に取られていると。
--ポンッ。
突如、耳障りの良い音を立てて、私は真っ白い煙に包まれた。
あぁもう、忙しいな、なんだこの夕暮れは!
「一体何が起こってるって言うのよ!?(コォココォォ!)」
白い煙に未だ包まれ、視界が悪い。
思わず叫んだ私は、ふと違和感を感じ押し黙った。
少しずつ煙が晴れていく。
「これは、まさか(コォコォコォ)」
間違いない。白鳥に慣れ過ぎて、台詞と鳴き声が逆になってしまっているが、これは絶対にそうである。
「姿が戻った!」
白い煙が晴れ現れた自分の体に、私は思わず歓喜の声を上げた。
見慣れた白い手、見慣れた長い脚、見慣れたこじんまりとした胸。
服装は追い出された時と同じリンネルの下着(ワンピース)のままだが、
「オーマイガッ! 呪い何て一時的なものだったのね」
完全に舞い上がっていた私は、先程までルーが叫びながら巨大化していたのを、すっかり忘れていた。
辺りはすっかり日も暮れて、焚火の灯りが届かない場所は、とっぷりと暗く闇が広がっている。
しかし私の目の前に、不意に闇よりも更に深い影が落ちた。
それは私の背後に立った巨大な何かの影だった。
ハッとして、振り返る。
「っ」
喉が引き攣った。
私のすぐ背後には、灰褐色の毛並みの壁が聳えている。
恐る恐る視線を上へ持っていけば、そこには牙が剥き出しになった口と、金色に輝く狼の瞳。
巨体の人狼が、そこに立っていた。
「いやあああああああ!」
反射的に人狼が居るのとは逆方向に走り出そうとした。
しかし人狼は口から白く生臭い息を吐きながら、鋭い爪の生えた手で私をむんずと掴む。
そう、私を片手で掴めてしまう程の大きさである。
「助けてっ、ルーっ!」
思わず叫んでいた。
「どうしたウガ? 何か出たんだウガ!?」
そしてその返事を。
「……は?」
目の前で、私を掴む人狼がした。
「えぇ?」
「ん?」
巨大な人狼は私を見るなり難しそうな顔で首をひねると、急に手を放し「知り合いと間違えたうが、どなた様うが?」と問うた。
私は
そして同時に、何故ルーの名前を咄嗟に叫んでしまったのかと、顔に熱がどんどんと集中し、気付けば真っ赤な顔で険しい表情を浮かべていた。
と言うか、どなた様とはどういうことか、この馬鹿狼は!
「私はスワンよ! どう見たってそうでしょう!? 本当にあんたはっ」
そこまで言って、途中で言葉を切った。
今私は、人間の姿でルーの前に立っている。
細く鋭い烏の羽のような目、青白い肌、黒檀のように黒いけれど、ぱさついて整えてもいないぼさぼさの髪。
血色の悪い頬と唇。
おまけにリンネルのみすぼらしい下着姿で、細く貧弱な体が余計に惨めに見える。
思わず背中を向けていた。
何か言われる事には慣れているはずなのに、咄嗟の事で表情を隠すことが出来なかった。
今の私はまるで怯えた子供のように情けない顔をしているのだろう。
どんなことがあっても、どれだけの
それが私の誇りであり意地だったのに、今の私はそれすらも出来ていない。
人の目に
ルーに見られるのが怖い。
見て、落胆されるのが怖い。
「どうしたうが?」
そうとも知らずに、ルーは間抜けな声で私に歩み寄ると、大きな狼の手で肩を叩いて来た。
「っうるさい、見ないで! 綺麗なお姫様じゃなくて残念だったわね!?」
金切り声でヒステリックに叫ぶ。
無様だ、もっと冷静に嫌味のひとつやふたつ、いつもなら返せるはずなのに。
自分自身を抱き締め、私は泣きそうになるのを眉間に皺を寄せ必死で耐えた。
「もしかして、スワンうが?」
しかし真後ろから聞こえて来たのは、先程から寸分変わらぬ間の抜けた声だった。
「うわぁあ! ごめんうが、こんな姿怖いうがね。夜になるとどうしても人間のままでいられないんだうが、本当はこんな醜い姿見ないでほしいうが」
おろおろと、昼間のルーからは想像もできないほど動揺した、情けの無い声が響く。
それは自信なんて微塵も無い、まるで草食動物のような臆病な声だ。
私はゆっくりと振り返る。
その行動にルーの大きな体がびくりと大仰に揺れたのが分かった。
人間の時から何倍も巨体化した、全身毛だらけの狼の姿。
その勇猛な巨体で怯えたように体を縮こませているのだから、私は思わずぷっと噴き出してしまっていた。
「あっはははは! 何よ、可愛い犬っころじゃない」
「犬じゃないうが、狼うが」
「だったらもう少ししゃんとしなさいな、王子様」
目尻から滲む涙を指で
その目の中に、見すぼらしい自分の姿が映り込み、一瞬だけ身が強張る。
「あんたこそ、私に何か言うことはないの?」
唇をすぼませ、そっぽを向いた。
眉を吊り上げ腕を組む。
聞かなければ良いのに、私は馬鹿だ。
いったい何を、この馬鹿狼に期待しているのだろうか。
ちらりと見れば、ルーは澄んだ狼の瞳を真っ直ぐに私に向けていて、ドキリとする。
「寒そううが、大丈夫うが?」
しかし直後、その凶暴な野生の口から飛び出した間抜けな返事に、私の全身から気付けば力が抜けていた。
途端、確かに言われた通り急にぶるりと寒くなって、身震いする。
「
春の夜は肌寒い、下着姿ならなおさらだ。
申し訳程度に肩のあたりを擦っていたら、ふいにふわりと温かいものに包まれた。
「こうすると温かいうが」
温かかったのは、ルーの毛皮だった。
どうやら私の傍に来て、抱き寄せてくれたようである。
普段なら、こんな馴れ馴れしい男は足を踏んで嫌味を言って、鼻っぱしをへし折ってやるところなのだけれど。
「……ふん、毛皮臭いわね」
言って、その毛皮に少しだけ寄り掛かった。
毛皮だからなのか、人狼の体温のせいなのか。
確かにそこはとても温かくて、気付けば私は思っていた以上に疲れていたらしく、沈む様に眠りに就いていた。
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