第4話 賢者
「悪いけどぉ、帰ってもらえるぅ?」
玄関扉を開けた賢者(と思われる男)は、
賢者に会うための作法通り、3回ノックをしただけで、まだ何も言っていない。
名乗ってすらいない私達は、呆気に取られ一瞬固まってしまう。
賢者は鼠色をした羊毛のローブを帽子まで被り、鼻先から口元までの下半分しか、顔を見る事が出来なかった。
袖からのぞいた腕は、骨のように細かったので、細身であろうことは分かった。
そして帽子の分を引いたとしても、ルーより頭一つ
今私は白鳥の姿をしているので、ルーの身長を正確に把握していないが、恐らく特別に低いという訳では無さそうだから、賢者がよほど背が高いのだろう。
「
私よりも早く意識を取り戻したルーが、再び扉を叩いたが、今度は完全に無反応だった。
どうやら居留守を使うつもりらしい。
居留守も何も、既に居るのは分かっているのだが。
「うーむ、困った」
ルーはそう言って眉を下げると、扉の目の前でうんうんと唸り出してしまった。
「諦めて帰るしかないだろうか。無理を押し通すのは申し訳ない」
「コォコォオ(あんた、それ本気で言ってる?)」
「……いや、本当はどうにかして願いを叶えたいんだが」
ルーは眉間に皺を寄せると、ううんと考え込んで頭から煙を出し始めた。
この男は本当に、頭を使うのは得意ではないらしい。
ま、私も賢者に用があるし、ルーにはグレズリーから助けてもらった恩もある。
ひとつどうにか考えてみよう。
このまま再び扉を開けてくれるまで、ノックし続けるという手も無くは無いが--
先程の賢者の様子から見て、これはあまり良い策とは思えない。
門前払いをするということは、それ相応の理由がある筈である。
だというのに、更に迷惑を掛ける形で扉を開けさせたとして、その後の交渉が上手くいくとは思えない。
相手は賢者。
しかも迷える子羊ウェルカムでは無い方の賢者である。
本は言っていた、賢者とは基本的に曲者が多いものである。
しかしその肩書きゆえに、無下に断ることも出来ない存在であると。
「コオコォコォォ(ルー、ちょっとこの辺りを見て回りたいのだけれど)」
「ん? いいぞ」
「コオコオ(それじゃあまず、この家の裏手へお願い)」
どれだけ悩んでも、良い案など出てきそうにないルーに、任せてはおけない。
ルーはすぐに言われた通り、私を頭に乗せたまま、まずは家の裏手へ歩き出す。
まずは、煙突から出る煙。
この時期に暖を取るために、火を焚いているとは思えない。
夜は肌寒いが、日中は過ごしやすい季節である。
それから、賢者はこの時季にはあまり着ないであろう、羊毛のローブを頭まで被っていた。
「コォコォコォ(分かって来たわよ!)」
「おぉ、何が分かって来たんだ? 俺は何の事だかさっぱり」
全く分かっていない様子のルーは放っておいて、私は更に考察する。
もう昼間だというのに、欠伸をしながら出てきたということは、まぁ眠いか寝起きかのどちらかであろう。
煙突の煙は恐らく、食事の支度である。
であれば、昼食前ということになる。
そう考えれば眠かったというよりは、直前まで寝ていたと考えた方がしっくり来る。
「コォコォコォ!(とどのつまりはこういうことよ! 遅く起きて昼食を作っていた所に私達が訪ねてきたから、その辺にあったローブを適当に被って、寝起きの
「なるほど、分かった」
ルーは言われた通り、素直に炊事場の方へと向かってくれた。
案の定、炊事場からは昼食の匂いがただよっている。
窓をこっそり覗き込めば、賢者は暖炉で鍋をぐつぐつさせていた。
間違いないだろう。
しかしここで気になる点がもう一点。
「コオコオコオ(ルー、どこかに隠れて賢者の家を見張りたいのだけれど)」
「見張りか? うーん、こそこそするのは性に合わないが、分かった!」
ルーと私は適当な石積みの塀の陰に隠れた。
そしてしばらくして、予想通りのことが起きる。
--トン、トン、トン。
「賢者様ぁ、今日こそは叶えて下さいませぇ」
ルーがしたのと全く同じ、マナー通りのノックをする人影。
「賢者様ぁ!」
「悪いけどぉ、帰ってもらえるぅ?」
今度は灰色をしたリネンのローブを着て、帽子を被っていない賢者が扉を開けた。
栗毛に近い茶色の髪を、顔周りは短めに切り揃え、腰ほどまで伸びた後ろ毛は、麻紐でひとつに束ねている。
端正と言うには少し間延びした顔。
眠そうに半開きになった、
唇はいかにも血色が悪い。
私は訪問者に言葉を投げかけた直後、賢者がこじんまりとした鼻を啜ったのを、見逃さなかった。
「コォコォ(ビンゴ、やっぱり賢者の奴、風邪を引いてるわ)」
扉は無情にも、バタンと閉められる。
声の質から女であろう訪問者(帽子のついた外套を被っており、その姿までは確認できなかった)は、また明日も来ますからと言い残して去って行った。
「コォコォ(ルー、相手は風邪よ。つまりこう言えば中に入れてくれるはず)」
「ん? なんだ?」
「コォ(サンジーバニー・ブーティを持って来た、出来るだけ大声でこう言うのよ)」
「サンジーバニー・ブーティ?」
「コォコォココォォ(えぇそうよ。これは知る人ぞ知る、東洋に伝わるあらゆる病を治す伝説の薬草なの。賢者は絶対に知っているはずよ、だから私達を家に入れない訳にはいかなくなるはず)」
ルーは未だによく分かっていないようだったけれど、首を傾げながらも「分かった!」と頷いた。
相手が悪い奴で、実は自分を騙そうとしていて、言う事を聞いたらピンチに陥るかもとか、本当に考えないのだろうか、この男は。
私は少し呆れながらも、愚直にこちらを信じてくれるその信頼に、少しくすぐったさを覚えていた。
◆◆◆
「
正午を過ぎた頃、ルーは私に言われた通りの台詞を告げて、再び賢者の家を尋ねた。
すると扉が勢いよく開いたかと思えば、次の瞬間、ルー(とルーの頭の上に乗っていた私)は、賢者の細腕からは考えられない力で、家の中へと引きずり込まれる。
扉が閉まる音が響き、その扉の前で、賢者はぜいぜいと肩で息をしていた。
「よくもまぁ大声で言ってくれるねぇ? まぁいい、さぁ渡してくれ」
「ん? 何がだ?」
手を差し出す賢者。
しかしその手にルーは反射的に自身の手を乗せた。
不愉快そうに眉を吊り上げ、額に青筋を浮かべた賢者は、首を傾げるルーに、いかにも剣呑な様子で眉間に更に皺を寄せた。
しかし、呑気に笑顔を浮かべ続けるルーを不思議に思ったのか、その視線が突如ぎょろりと、頭の上の私へと向けられる。
そして賢者は、瞳をぎらりと輝かせて、言った。
「そうか、君かい」
目が合って、ドキリとする。
「よく僕が風邪だと気付いたね? しかもそれを隠そうとしている事も。あんな遠回りな脅し文句初めてだよ」
賢者は酷くいぶかしそうに、眼を細めて私を睨んだ。
「まぁいい、事情はだいたい察したよぉ」
しかし一方的にそう言い終わると、賢者は暖炉で火にかけていた大きな鉄製の鍋から、木のおたまでお湯を掬い出し、小さ目のポットへ注ぐ。
するとそのポットから、ハーブの良い香りが漂い、ルーは少しだけ顔を顰めた。
彼には臭く感じたのだろう。
「さぁ、席に着いて。お茶は僕のだからあげないけれど」
賢者はそう言って、やっぱりずずっと鼻を啜った。
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