第2話 人狼

「コォ! コォコォコォー!(Why!? どうなってるの!?)」


 夜明けと共に、私は思わず叫んでいた。


◆◆◆


 夜中よるじゅう、森の中を隠れる様に歩き回り、足はへとへと、お腹もぺこぺこ。


 遠くから聞こえる狼の遠吠えに恐れおののき、とりあえず木の上に登って震えながら夜明けを待っていた。


 あまりにもみすぼらしい姿。


 素材が悪いのに、外見までこうも汚くなってしまったら、最早もはや目も当てられないでは無いか。

 強がってはいるものの、私は今の自分があまりにも憐れで悲しくなり、涙が出そうになった。

 今更こんなことで、本当に泣いたりしないけれど。


 いっそ名の通り、真っ白い白鳥にでもなれたらどれだけいいだろう。


 人間の美醜にこだわるのは、もう嫌だ。


 結局は、実の娘を殺そうとした祖母と同じように、嫉妬でエーデルに牙を剥いた王妃を見て、私は心底いやになった。


 いつまでも美しさにしがみつこうとして、余りにも愚かじゃないか。


 だったらいっそ、白鳥に姿を変えて、ただありのままに空を飛べたなら。


 その日私は、そんな事を思って夜を過ごした。


 そうしてようやく、東の空が紫がかり、太陽が東の空に昇る頃。

 私の体は朝日を浴びた瞬間に、「ポン」などという小気味よい音をたてた。

 そして気付けば視界に見えるのは、羽毛なのである。


 何を言っているのか自分でも分かっていない。けれど、とにかく私の手は羽に、声は情けの無い鳴き声に変わってしまっていたのだ。


 私は焦って木から落ちた。

 しかし、傷一つ負うことなく地面へ着地する。

 嫌な予感に頭が痛くなりそうなのを堪え、近くに見えた湖へと走った。


 思う様に走れない、足が足ではない、目線も明らかに低いように思う。


 そもそも首が変だ、頭の下の首が長い。

 足が短い、腕が無い、何もかもがおかしい。

 今の私はバランスすら思うように取れない。


 それでも何とか、前へ前へと足を動かす。

 そして辿り着いた湖。

 映し出された自分の姿に、全身が脱力する。


 私は、真っ白い羽が美しい、一羽の白鳥になっていた。


「コォーコッコー!(Oh my god!)」


 一体何故なのか、これはまさか誰かの呪い?


 王妃の呪いか、もしかしたらエーデルの?


 いや、違う。

 私は昨日、鏡に映し出された光景を思い出す。

 もしかして、これは鏡の呪いなのだろうか?


 真実の鏡の前で、嘘を吐いた私への!


「ウ~ララ~」


 すっかり混乱し青褪めていた私は、湖のちょうど対岸から響いた、その間抜けな声に、反射的に顔を上げた。

 視界に飛び込んだのは、うっそうと茂る森の低木から、顔だけを出した男である。


 大きいけれど、釣り目がちな目元。

 瞳は金色で、中心の瞳孔が黒く目立って見える。

 見間違えでなければ、開いた口からは涎が垂れている。

 覗き見える犬歯は、人間のものとは思えないほど太く鋭い。

 ふさふさと毛が生えた動物の耳が、頭頂部でひょこりと動く。

 髪は薄い灰褐色の短髪。

 太く剛毛な毛並みを、前髪から全て撫でつけて、後ろに流したような、いわゆる紳士的な髪型。

 けれど、私は本能で悟る。

 あれは本で読んだ、“人狼”の特徴そのものである。


「コォォォォ!(食べられる!)」


 そこからは無我夢中だった。


 慣れない体で、それでも私は短い水かきのついた足を、必死で動かし必死で駆ける。

 何故飛ばないのか、答えは簡単。


 生まれてこのかた、飛んだこともないのに、急に飛ぶことなど出来る筈も無い。


 けれども、次の瞬間だった。


 恐ろしい唸り声と共に、私の目の前には巨大なグレズリーが、凶悪な口を開けて襲い掛かって来ていたのだ。


「コオオオ!(こっちもぉ!?)」


 まさに後門の狼、前門の熊。


 私が絶望した次の瞬間、何かが疾風はやてのごとく目の前に現れる。


「力比べなら、王国一さ!」


--ドーンッ! パラパラパラ


 その声と同時に、地面に何かを打ち付けたけたたましい音と振動が、森にこだまする。

 何が起こったのか分からなかった。

 けれども、顔を上げたそこには、私をまるで守る様に、頼もしい背中が熊との間に立ち塞がっていたのである。

 そして熊は大木に投げ飛ばされて、気を失っているようだった。

 目の前で揺れる灰褐色の大きな尻尾に、ぴんと頭の上に立った、ふさふさの耳。

 振り返った人狼は、いかにも人のよさそうな笑顔を浮かべていた。


「大丈夫かい? マドモアゼル」


 そう言った直後、人狼の腹からまるでほら貝のような音が鳴り響いた。


「コォォオオオオオ!(助けてーーーー!)」

「いや、すまない。本当にすまない! 腹は減っているんだ、だが君を食べたりしない、信じてくれ」


 男は言いながら、私の体をひょいと持ち上げる。

 それから、私の顔を自身の顔の前に持って来ると、目線を合わせた。

 直後、バチコンとでも音が鳴りそうな勢いで、片目だけを思い切り瞑ってみせた。


 何かの合図か儀式だろうか、太い眉に大きい目、筋の通った高い鼻。

 全体的に濃さしか感じない男の顔で、それをやられても恐ろしいだけである。

 そこまで考えて、私ははたと気が付いた。


「コォコォコオ!?(貴方、私の言葉が分かるの!?)」

「ん? あぁ、俺は人狼だからな」


 そう名乗った男は、清々しい程に爽やかな笑顔を浮かべていた。

 やはり人狼か。


 しかし人狼と言えば、平民然へいみんぜんとした、麻の簡素な服を着ているものだと思っていた。

 しかし目の前の男はどうだ。

 森の中を歩くというのに、上下ともに真っ白な、よく見れば誂えの良い羊毛の服を着ている。

 前裾が短い燕尾の上着は、水縹みはなだ色の立て襟と、胸元には銀のボタンを挟んで、月桂樹を模したこれまた銀の刺繍が施されている。

 下はシンプルな白いズボンに、膝まで覆う黒いブーツ。これはどこからどう見ても、王族の服装ではないか?

 それに人狼と言うには、少し体型も細身のように見える。(それでも十分がっちりと筋肉質なのだけれど)


「コォコォ(貴方、いったい何者?)」

「俺か? 俺は人狼王国第一王子、ルー・ガルーだ! お見知りおきを、マドモアゼル」


 言いながら、ルーと名乗った男は私の羽をすくい上げ、キスを落とした。


 瞬間全身に怖気おぞけが立ち、私は反射的にルーの額に思い切りくちばしを突き刺していた。

 スカーン!と、小気味の良い音を立てて、ルーは後方へと倒れ込む。


「ココォ(やめて)」

「ふふ、照れ屋さんだな、セラヴィ~」


 しかし、無意識なのか根性なのか。

 倒れた拍子に、抱き上げていた私を放り出すことが無かったことは、褒めてやっても良いかもしれない。

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