第1話 追放

「スワン、今ならまだ酌量しゃくりょうの余地があります」


 謁見えっけんの間。

 玉座の前に両膝を突いて座らされた私は、王と王妃、つまり父と母に見下ろされていた。

 王妃は悲し気に目を細めている割に、凛然りんぜんと声を発する。

 しかし黙り込み返事をしない私に、どこからか「なんてふてぶてしい」と陰口が聞こえた。

 その声の方向を、私はぎろりと睨み付ける。


「ひっ」


 声の主は私と同じ歳ほどの貴族の子弟だった。「俺がお前と遊んでやろうか」と、舐めた口を聞いて来たから、思い切り足を踏んでやって以来、何かと足を引っ張って来る器の小さい男である。

 まぁ、あの程度の小男に、本当に足をすくわれるほど私は馬鹿ではない。


「何故、何も言わないのです」


 そんなやり取りにも気付かない風に、王妃は再びそう言って涙を浮かべた。

 白い肌に、黒真珠のような瞳、黒檀のような美しい髪。

 老いてもなお衰えない美貌。

 白雪の王妃。


「ですから、順番がおかしいでしょう? まずは私が犯人だという証拠を見せて下さいませ」


 まぁ、そんな証拠はないけれど。

 毒林檎を使った祖母とは違う、私が使ったのはあくまで呪い。

 しかもこの国の者達が知りようもない、極秘に手に入れた魔女の禁書を用いたものだ。

 林檎酒はあくまで引き金、呪いの儀式は事前に済ませ、証拠は全て焼き払ってある。

 つまり証拠など突きつけようが無い、ということだ。

 私にとって、この妹への呪いはあくまでも序の口。

 そう、本命はこの女、王妃をこの場に引きずり出すこと。

 だからここまでは思惑通り。


「まぁ、証拠だなんて」

「ありませんでしょう? それなのに決めつけて、おかしいですわ」

「だって、貴方がやったのでしょう?」


 けれど、思っていたよりこの女は狡猾こうかつだった。

 さすが私のお母様、といったところだろうか。

 妹と同じように、純真無垢じゅんしんむくで、清廉潔白せいれんけっぱくなふりをしておきながら、中身は私のように醜悪しゅうあくで、作為的さくいてき。二面性がある時点で、私よりも遥かに賢く強敵だ。


「やっておりませんわ、お母様」


 しかし私は屈しない。

 あんのじょう、次に王妃は困ったように王へと視線を向けた。

 本当ははらわたが煮えくり返っているのだろうに、か弱い振りがお上手なことだ。


「スワンよ、証拠など必要は無い。分かっているのだろう?」


 今まで黙っていた王は、さも大儀そうに口を開くと、右手を翳してみせた。

 それを合図に、玉座の背後へと家臣が一人回り込み、天鵞絨びろうどの幕を開ける。


 現れたのは“真実の鏡”。


 私は思わず背筋を伸ばすと、滅多にお目に掛かれないその国宝に、目を見開き口角を引き上げる。

 そう、私はこれを待っていたんだ。


「真実など、鏡に問えばあきらかである」


 家臣達からもどよめきが起こった。

 何せこの鏡は、“封印されていた”いわくつきなのだ。


「あぁ、やめてください、やめて、あなた」


 王妃は見るからに狼狽し、王に縋りついた。

 しかし王は動揺一つ見せず、ただ静かに瞳を閉じ、押し黙る。

 この鏡はかつて、母の命を脅かした祖母の遺品だ。

 それを知る者にとっては王妃のこの醜態は、然も当然に映ったことだろう。誰も咎める者はいない。

 だが私は分かっている。

 この女が焦っている真の理由を。

 鏡に問えば“真実”が暴かれる。

 それは人望も信用も無い私が多くを喚くより、ずっと確実で最良の一手になる。

 王妃は目を瞠って王を見詰めていたが、反応が無いと分かると、静かに拳を握り締め、何かを呑み込む様にぐっと息を呑むと、私を見た。


「真実の鏡は残酷です、使うことは許しません! スワン、どうかこれ以上嘘で罪を重ねないで下さい。私は貴方の口から聞きたいのです」


 王妃は言う。悲し気に私を見詰める艶めいた黒真珠の瞳。

 私はもともと切れ長な瞳を更に細めて、王妃を見た。


「いいえ王妃、どうか鏡に問うて下さい。妹を害したのはいったい誰なのか」

「あぁ、なんて恐ろしい子でしょう! これは“呪い”の鏡なのですよ!」


 王妃はよろめいてみせた。

 その瞬間、その場の空気が一斉に変わる。

 かつて私の母、白雪姫は実の母にこの鏡が原因で殺されかけたのだ。王妃の反応を疑う者などいない。

 けれどもこれは、確かに“真実”の鏡なのだ。

 私は妹を呪った。

 あの子を憎たらしく思う、この気持ちに嘘はないし、長年嫌っていたあの子を醜い顔に変えた時、私の胸はひどくスッとした。

 けれどもだからこそ、私は私の計画を邪魔する者を知っていた。

 給仕が手に持っていたグラスのフチには、毒が仕込まれていのだ。

 私は自らの計画を実行する過程で、事前にその情報を得ていた。

 だからあの日、妹の下へ来るであろう給仕の目星をつけ、観察をしていた。まんまと毒をつけるその瞬間を、私は見ている。

 あとは給仕がやって来た所で私が邪魔に入り、妹に渡すグラスとは別のグラスにすり替えて、手渡しただけ。

 結果、毒ではなく妹は私が用意した呪いにだけかかった。

 作戦は成功、けれどもまだ終わりじゃない。

 妹を殺そうとした犯人を白日の下に晒すため、真実の鏡が必要だ。


「あぁ、白雪。そうだな、お前の言う通りにしよう」


 けれども王のその言葉で、私は悟った。

 王は王妃の言いなりで、私の言葉を聞く気が無い。

 この男も結局は、真実だとか国だとか公平だとか、そんな王たるものが守るべきものよりも、母の美貌に心酔しんすいしているのだろう。

 分かっていた、分かっていた筈だったのに!

 ほんの少しでも、王を信じた自分の弱さが憎らしい。

 握りしめた拳が、少しだけ痛んだ。


「スワンよ、仮にも王女であろう。いさぎよく自ら罪を認めよ」

「スワン、さぁ謝りなさい」


 勝てる訳が無かった。

 王妃の目は勝ち誇り、私に懇願こんがんしろと言っている。

 目の前の女に、王に、私を囲む家臣達に、無能な馬鹿どもに、減刑を懇願しろと。

 私は「はっ」と息を吐く。

 妹は殺そうとしたくせに、母は私のことは生かして屈服させたいらしい。

 私には次期王妃としての利用価値がまだあると、そういうことか。

 あぁ、そんなの、冗談じゃないわ!


「最高の贈り物だったでしょう? 美しい妹は、さらに美しい顔になったのだから」 


 だったら、罪を受け入れてしまった方が良い。

 立ち上がると、控えていた衛兵がすぐに斧槍ふそうで行く手を塞いだ。

 けれども私は眉一つ動かさず、頑然と背筋を伸ばし周囲をぐるりと見渡す。

 「ひっ」などと情けの無い声が、目線を動かすたびに漏れ聞こえた。

 最後に視線を鏡の前に立つ王妃へと向け、私は微笑む。

 優雅に、不敵に、高慢に。


Yesイエス、私がやりましたわ。だって私はずっとずっとずぅっと、あの子が大嫌いだったのだから!」


 あまりに堂々と言い放った私に、母の体がほんの僅かによろめいた。

 その瞬間、真実の鏡に醜い顔をした私が映し出される。

 眉間に皺を寄せ、眦を吊り上げ、皮肉げに口角を上げる醜い私が。

 そしてその私が、鏡の中で不意に悲しげに目を細めた。


「!?」


 真実の鏡に映った私は、直後閃くような光を発し白鳥へと姿を変える。

 私は目の前で起こったその出来事に息を呑み、思わず周囲を見渡した。

 けれども私以外は、誰一人動じていない。その状況で、私はあれを見たのは私だけだったとすぐに悟った。

 あぁ、なんてこと。

 あれを見たのが私だけならば、周りから見た私は刑を恐れて動揺したかのようじゃないか。

 再び鏡を見たが、既にそこに私は映っていなかった。


「罪人、スワン! 妹のエーデルを呪った罪で、王女の称号を剥奪し、追放の刑に処する!」


 しかしことの真偽を確かめる暇もなく、王は高らかに私への処罰を下した。

 王妃が目を瞠り、僅かに眉を吊り上げる。

 私が無様に減刑を乞うとでも思っていたのだろう。思いもよらず罪を認め、追放となったことに僅かだが動揺したようだ。

 それはそうだろう、あの女は私にはこの国にいて欲しいのだ。面倒事は、全て私に押し付けたいのだから。

 私は最後の最後に、母に一矢報いてやったことにほくそ笑むと、衛兵に縛られ、腕を引かれて、謁見の間を後にする。


「真実の鏡に問うのが怖いのですか、お父様!」


 去り際に振り返り、そう尋ねてみせれば、王は不機嫌そうに背を向けてしまった。

 王妃はと言えば、もうさめざめとその麗しい瞳から美しい涙を流していた。

 その唇が零す。


「あぁスワン、意地など張らず、素直に謝ってくれていたら」


 娘を失った悲劇の母をもう演じている、本当に面の皮の厚い女。

 けれどもそれは、殺されるよりはマシだろうと、妹を呪った私も同じなのかもしれない。

 そもそも、妹が狙われていると知るより前に、私は呪いをかけようと決めていたのだ。


 さてはて、強引に引かれた腕が縄の締め付けで痛いとか、もう少し優しく出来ないのか、冷血漢どもだとか。

 そんな悪態を吐いていたら、気付けば私は身ぐるみをはがされて、下着同然の見すぼらしい姿で、城の外へと放り出されていた。

 城門が閉まる。

 外は森で、もう夜半よわも近い。

 露の降りた湿気しけた匂いにくしゃみをひとつして、私は寒さに身震いしながら歩き出した。

 春とは言え陽の落ちた夜は肌寒い、ほぼ下着姿なのだから尚更である。

 温かな灯りが零れる城を振り返る。

 もう二度と、この城に戻ることなど無いのだろう。

 白亜の城とうたわれた、白雪の名に相応しい美しい城。

 その何もかもが、私にとっては不相応だった。

 悔いも未練も、もうありはしない。

 そうして私はよわい十七にして、国を追放されたのである。

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