第0話 魔女

 かしましい声、私を非難する声。

 耳障みみざわりな怒声、私を糾弾きゅうだんする声。


 あふれ返った喧騒けんそうの中、私は眉一つ動かさず頑然がんぜんと立っている。


 大輪たいりんの華のようなシャンデリアを中心に、背丈せたけよりも高いアーチ型の窓に囲まれ、臙脂色えんじいろ絨毯じゅうたんが敷かれたダンスホール。


 色とりどりのドレスを身にまとった淑女しゅくじょたちも、黒ばかりの燕尾服えんびふくを着こなした紳士しんしたちも、皆そろって私を睨み付けているのだから可笑おかしくてたまらない。


 群衆の中心には私と、そしてもう一人。


 黒檀こくたんのような髪、雪のように白い肌。


 これは私の目の前にうずくまる妹エーデルと、姉である私スワンの数少ない共通点である。


 けれども残念なことに他は全く似ていない。


 妹は“白雪姫”。

 薔薇ばらのような唇に、艶めかしい髪、二重ふたえでバンビのように可愛らしいつぶらな瞳、林檎りんごのように美味しそうな頬。健康的ではつらつとした肌にふっくらと女の子らしいカーブを描いた身体はどんなドレスも着こなしてしまうだろう。

 ただそこにいるだけで、皆に愛され守られる妹。

 この子は世界に祝福されている。だから愛されることを疑うことも無い。

 おっとりとして優しい妹。


 対して、私は“魔女”。

 滅多に陽に当たらないお陰で白を通り越して青白い肌に、小食の所為でちっとも肉が付きやしない細くて骨ばった体つき。

 涼やかと言えば聞こえが良いけれど、一重の瞳は烏の羽のように細くて鋭い。

 睫毛まつげが長いのだけはお母様に似たかしら。

 血色の悪い唇、髪も肌も貧相で、豪華なドレスがまるで似合わない。

 ただそこにいるだけで皆に疎まれ、邪険にされ。

 世界は私を見放している、生まれながらに愛される権利を失った。

 魔女によく似た恐ろしい女。


「うぅ、どうしてっ、どうして?」


 妹は顔を両手で覆い隠し、この世の終わりのように全身を震わして泣いている。


「何ということを! 実の妹にどんな恨みがあるというのですか!」


 妹をかばうように肩に手を添えているのは私を初見しょけんで振ったくだんの王子だ。


 今日は妹の十六歳の誕生日で、多くの来賓らいひんを招いたダンスパーティが開かれていた。


 そこで妹は金髪碧眼きんぱつへきがんのこの王子と、華々しく婚約を発表する予定だった。


 しかし、私はこの時こそを待っていた。

 妹に最も注目が集まる今日というこの日を。


 その思惑はまんまとはまり、いつもにこやかで聖女のようだった妹が、群衆の真ん中で、この世の終わりのように泣いている。


 私は妹を見下ろした。


 上質な絹で織られた光沢のある白いタフタのドレスがまるで花のように広がっている。

 うずくまる姿もなお美しい、その名の通り一輪のエーデルワイスのよう。


 対して私は羊毛で織られた紅いベルベットの生地に黒い羽飾りをあしらった少し重厚感のあるドレス。

 自らの名である白鳥とはほど遠いよそおいでまるで魔女の使いの鴉のよう。


 そんな私は王子から見れば悪魔か魔物かのように見えるのだろうか、見たことの無い殺気立った顔で私を睨み付けている。


「王女、例え貴方とて許されませんぞ?」


 低く唸るような声で言及したのはこの国の宰相。

 王女と呼ばれた私は、この白雪王国の第一王女。


 第二王女であり私の妹であるエーデルがこんな目に遭っているのに、姉である私に真っ先に疑いの目が向けられるのだからこの国は本当に良い国だわ(これは嫌味だけれど)。


「あら、なぜ証拠も無く私が犯人だと断言するのかしら?」


 赤いハイヒールで絨毯を突き刺すように床を踏み鳴らす。

 思いのほか鳴り響いた鈍い音で群衆がびくりと怯んだのが分かった。


「あ、あなたが持ってきた林檎酒を飲んだらこうなったではありませんか!」

「あれは給仕が持って来たものを私が目の前で妹に手渡しただけ。それとも誰かあれに私が呪いをかけたのをご覧になって?」


 宰相が唸る。

 そう、ここで断定されてしまっては元も子もない。


 私は犯人が私でありながら、私である証拠を残さぬように細心の注意を払ったのだから。


 私を犯人と断定したいのならば、この国での方法はたったひとつ。


 それこそが私の最終目的。


 何も言えなくなった有象無象うぞうむぞうに、私は思惑通おもわくどおりだとほくそ笑む。


「あぁ可哀想なエーデル、お母様に似た可愛らしい顔がなんてこと!」


 そして一歩、また一歩と妹に近寄りその傍らにしゃがみ込んだ。

 鋭く伸ばした爪の先で、その柔らかい肌が傷付かないよう優しく頬に触れ、あごをすくうようにして顔を上げさせる。


 その瞬間、群衆はどよめいた。


 妹の顔は世にもみにくく、まるで狼のように耳まで口が裂けていたのだから。

 私はその顔を見て、得も言われぬ高揚感こうようかんに胸が震えた。


 天使のようだった妹の可愛らしい顔が、ずっと私を劣等感れっとうかんさいなめていた憎たらしいあの顔が、今この瞬間、なんてあわれなのだろう。


 その時初めて、私は妹の涙を可愛らしいと思った。


「よく似合っていてよ、可愛いエーデル」


 耳元で小さく囁いたところで、王子が私と妹の間に割って入った。

 外見至上主義のクソ男、先程からチラリとも妹の顔を見ようとしないのね。


 外聞を気にして演技をしていても群衆は見ていたんじゃないかしら、貴方が醜い妹の顔を見て愕然がくぜんと嫌悪を示したあの表情を。

 まんまと化けの皮が剥がれたってところかしら。


「この女をひっ捕らえよ!」


 けれども宰相の一声で衛兵たちが一斉に動いた。

 まるではかっていたかのように私は一瞬で後ろ手に拘束され顔を床に押し付けられる。


 聞こえて来るのはいつも通りの罵詈雑言ばりぞうごん


 祖母に似て悪辣あくらつな女。

 魔女のように恐ろしい顔。

 知恵ばかり付けて姑息こそくで不気味な女。


 聞き慣れてしまった私を表す鋭利な言葉たちが会場中に溢れかえっている。


「あはははは! ねぇ知っていて? エーデル!」


 だから私は笑う、みじめに押さえ付けられてもなお、妹を見開いた瞳で睨み付けながら。


「この世界は貴方が思うほど、甘ったるくはないってことを!」


 妹の瞳が揺れる。


 私はその目が嫌い、何をしても何を言っても、汚れを知らず、人を疑うことを知らない、真っ直ぐで純真な、その瞳が。


 あぁ、心から、世界で一番大嫌い。

 でもね、エーデル。


「第一王女スワン! 妹を呪った罪で貴様を勾引こういんする!」

 

――私は貴方を殺したいほど、憎んでいる訳ではないの。


 白雪姫は私じゃない。


 そう、白雪姫は私の母だ。

 そして今は妹が白雪姫と持てはやされている。


 私は母を殺そうとした祖母によく似た残酷な魔女。


 さて、妹を呪ったのは誰かって?

 そんなの、私に決まっているでしょう!


 けれど、この物語の真実はそうじゃない。


 本当に“白雪姫”を恨んでいるのは、いったいだぁれ?

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