第10話 紡ぎ手オルフェウスと二人の笑顔

「エデ」


 オルファの声がエデをたしなめる。その声が落ち着き払っているのは、エデに殺意がないからだろう。私もいつかは徴兵されるはずだった人間だ。いくら学校での武術実技が落第続きで、卒業させないわけにもいかないからと合格を押しつけられた劣等生だろうが、自分に向けられる殺意くらいは理解できる。


「……あなたが何をしたいのか、教えて」


 エデは刃を下ろさないまま言う。まだ動くつもりはないようだが、返答次第では私の喉は貫かれるのだろう。


「あなたたちの断罪には一つ、問題があります」

「それは?」

「一世代で終わってしまうこと」


 かすかに、エデの瞳が揺れる。オルファはリラックスした様子で、私たちの話に耳を傾けていた。


「聖女の断罪からは誰も逃れられません。けれど、何も知らない人間には意味を持たない。いずれエデさまの断罪は忘れ去られて、オルファさんの偉業は歴史から消える。それが、私には耐えられないのです」

「時間なんてものに逆らう方法があると言うの?」

「はい」


 私に向けられる刃はまっすぐ伸びたまま。あっけなく人の命を摘み取る凶器だが、時に剣よりも恐ろしい力を発揮する武器があることを私は新聞社で学んできた。

 

「言葉、文字、テキスト。これらは時に人を死に至らしめるほどの力を持っています。言葉というものの恐ろしさは伝播力もありますが、なによりも特異なのは、紡ぎ手が亡くなってなお世界に残る不滅性です」

 

 戦時下において芸術は無駄と言われてきても、決して消えなかった。それは芸術というものが私たちの命をこの世に残す、数少ない手段の一つだからなのだろう。

 オルファはスープの入ったマグカップをテーブルに置いて、私に問いかけてきた。

 

「ええ、あなたの言うことは正しいのかもしれない。文字だけでテレジア家は消えてしまったんだもの」

「オルファ……」

「エデ、私は大丈夫。──だからね、私は言葉の恐ろしさも、曖昧さも知っているつもりよ。事実は簡単に書き換えられて、その書き換えられた文字も塗りつぶされて、誰かにとって都合のいい真実が生まれる。そうでしょう?」

「はい。だからただ単に、事実を記録しても意味は薄い」


 オルファとエデ、二人の首が同時に傾げられた。

 二人が関係を秘めて、無言の断罪を行うだけにしているのは、世間に煩わされることを嫌っているからだろう。新聞記者として事実を広めるのは悪手そのものだ。


 だから私は作家として、の力を使う。


「オルファさんの言う通り、事実は塗りつぶされる。けれど空想を塗りつぶす人間はいません」

「空想?」

「あなたたちの断罪を物語にしてしまえばいい」


 今度こそ、エデのまぶたがぴくりと動いた。オルファがエデに視線を向けると、エデはゆっくりと刃を下ろす。尋ねてきたのはオルファだった。


「物語にして広めるといっても、そう簡単ではないでしょう? 物語を書くことからして一苦労だし、完成しても出版にこぎつけるまでどれだけ時間がかかるか」

「それなら問題ありません」


 懐から手帳を取り出す。記者として使っているものとは別の手帳には、同業者からの勧めで作っておいた名刺が挟まっている。しばらく使っていなかったが、まさかここで役に立つとは。


「申し遅れましたが、私の本業は作家です。オルフェウスと名乗って、いくつか小説を出版しています」

「え、うそ、オルフェウス!? あなたが!?」


 どういうわけか、エデが強く反応した。名刺を差し出すと、エデは食い入るように見つめている。


「あなた、エデが好きな作家さんだったのね」

「おや。知っていただけていたとは、恐縮です。というわけで、若輩の身ではありますが、私は出版社との繋がりを持っているし、物語を文章にして綴ることができる。後世に残せるかは、私の腕次第ではありますが」

「──問題ないわ」


 エデは顔を上げると、至極真面目な表情で言う。続けられた言葉は作家冥利につきるものではあるが、私個人としてはむずがゆいものだった。


「あなたならきっと、語り継がれる物語を作れるわ。ここに戻れないとき、あたしの心を癒してくれるのはあなたたち作家の夢物語だから。……あなたが言う通り、あたしの断罪は一世代で終わるものだったから、試してみるのも悪くない。オルファは?」

「ええ。エデがそこまで言うなら異論はないわ。お願いします、作家オルフェウス。私たちの真実を、空想に変えてください」

「承りました。私はこの生涯を使って、あなたたちを残してみせる」


 それに。空想はときに現実を侵食するものだ。

 史実をモチーフにした空想が、史実そのものと扱われてしまう例もあるという。私が綴る物語がそこまで辿り着けるかは試してみなければわからないが、剣奴令嬢と断罪の聖女の絆は語り継いでみせる。

 それが、二人に人生を与えてもらったことへの恩返しで、私自身のエゴだ。


「……ねえ。それはそれとして、サインもらっていい?」

「ええ、いくらでも喜んで」

「ありがと! 確か寝室に──」


 呟きながらエデはリビングから去っていった。

 リビングには私とオルファだけ。今なら、エデに聞かれることはないだろう。


「オルファさん。一つ、聞きたいことがあります」

「ええ。あなたならいいわ」

「ありがとうございます。あなたにとって、エデという女性はどんな存在なのでしょう?」


 エデがオルファへ抱く感情は教えてもらった。けれど、オルファの視点から見た話は一切聞けていない。

 オルファは私の質問を聞くと、微笑みを深める。常に笑みをたたえているオルファだが、今の表情は実に楽しげで、嬉しげで、幸福に満ちていた。


「もちろん、世界で一番大事な人よ」


 オルファの指が組まれる。女性的ではあるが、硬く引き締まった指は、オルファが立ってきた戦場を物語っているのだろう。


「コロシアムにいた私の前に、エデがやってきてからすべてが始まった。エデが失ってしまった笑顔をまた見たくて、私はザザと戦った。エデは私と一緒にいるために、リタニアと戦った。戦争が終わっても、エデは私のためにリタニアの宗主になって、戦い続けてくれている。──そんな人、人生を賭けて大事にするしかないでしょう?」


 花咲くような笑顔。このためにエデは戦っているのだと理解させられる表情だった。


 戻ってきたエデが抱えていたのは、私が初めて出した小説だった。

 少し年季の入ってきた裏表紙に、オルフェウスと刻む。徴兵されて、戦地で行方不明になった年上の幼馴染の名前を刻む。


 私がサインを書いている間に、オルファとエデは何やら髪型で揉め始めていた。

 どうやらオルファはエデの髪を弄りたいが、エデはこのままがいいらしい。昔からこのままじゃない、と言うオルファに対して、エデは強情になって譲らない。


 揉めていても、二人の表情には幸福が浮かんでいる。

 やがて折衷案に辿り着いて、編み込みとポニーテールという基本は変えないで、編み込みを更に改良することになっていた。


「まったく、こんなに器用なんだから自分のことも飾りなさいよ」

「必要がないもの。それに、私のことはエデが綺麗にしてくれるでしょう?」

「当然。誰にも譲ってやらないわ」


 エデとオルファ。断罪の聖女と剣奴令嬢。偉人と呼ばれる二人が、本当に手に入れたかったのは、私の目の前にあるありふれた日常だった。


 オルフェウス。その名前へ勝手に誓う。

 私が知った二人の真実で、この平穏は誰にも踏み躙らせない。私が紡ぐ物語で、エデとオルファ、二人の人生を歴史に残してみせよう。


【完】

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民草の罪暴く聖女 卯月スズカ @mokusei_osmanthus

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