オムライス
友未 哲俊
・・・ 🖋
遠藤氏が玄関のドアを開けると何だか良いにおいがする。錠をロックし、靴をきちんとそろえて上がると、ダイニング兼用の居間のテーブルの上に大きなオムライスが載っていた。
「何だ」
氏は目を白黒させてしばし立ち尽くす。それから、通勤バッグを腰掛に置いて、誰かいるのだろうかと恐る恐る部屋を点検した。独り住まいの1Kルーム。浴室とトイレを覗けば他に捜る場所とてない。ついでに衣装棚も奥まで調べ、万年引かれ放しのレースのカーテンまで開けて窓を確かめるがどの鍵もしっかり掛っている。窓を開けて下を覗く。まだ色あせしていない外壁が5階下の地上までのっぺりと続いているだけで猫の子いっぴき見当たらない。
遠藤氏は無意識にネクタイを緩め、テーブルの前に戻って茫然とオムライスを眺め続けた。大きいのにきちんと姿の整った立派な出来栄えだ。おまけにまだほくほくと美味そうに湯気を上げている。今どきのデミグラスソースやホワイトソースではなく、氏の好みに沿ってきちんとケチャップがかかっていた。誰だろう?一体何者が鍵のかかった部屋に侵入してオムライスを作り密室に戻して消えたのだ。全く心当たりがない。誰かに玄関のキーを渡した覚えもないし、料理を作っておいてくれるように頼んだこともない。田舎から親が尋ねて来たのだろうか?だが、それなら連絡のひとつくらいはあるはずだ。
おもむろにスーツを脱いで背もたせにひっかけ、念のためにチェストとクローゼットの引き出しを確かめておく。もともと貴重品と騒がなければならないほどの物は置いていないが、通帳も印鑑もあり、荒らされた形跡はない。ふと思いついて冷蔵庫を開けてみた。卵は四つ残っていたが、そもそも何個あったのかを覚えていなかったので何の手がかりもつかめない。炊事口はフライパンも小道具もいつも通り本来の場所に片付いている。
どうしよう?遠藤氏は途方に暮れた。さすがにこのままオムライスを食ってしまえるほどの胆力はない。警察に連絡したものか?だが、その前に訊いておくことにする。電話で正面入り口の管理人室を呼び出した。
「507号室の遠藤です。留守中、誰か訪ねて来なかったでしょうか」
「… いえ、どなたも来ておられませんが?」
相手は少し戸惑っている。
「そうですか …」
どうしたものか。
さんざん考えあぐねた挙句、警察に届けるのも気が進まず、結局モラトリアムを極め込むことにした。このまま捨ててしまうのもどことなく憚られて、とりあえず一晩、
翌朝、遠藤氏が出社すると、オフィスにいた顔なじみの女子職員が、驚いたように笑顔を向けた。他には誰もいない。
「あら、遠藤先輩」
「おはよう、… えっと …」
とっさに名前が出て来ない。
「どうされたんですか?」
「…」
「日曜日なのに、何か?」
日曜日?そうだったか。
「わたし、半日当番なんです。きのうは、あれからいかがでしたか?」
「…」
「美味しくできまして?オムライス。あんなに張り切っていらっしゃったから、あとで邦子たちと噂してたんですよ」
あぁ、そうだった。遠藤氏は、はたと思い出す。
きのうは家に帰ってすぐに腕をふるい、見事なオムライスをこしらえ上げたのだ。皿に盛ってテーブルに置いたあと、背もたせにかけてあった上着を着て何気なく出社しかけたが、マンションの入り口を出た所で、たった今退社して帰って来たばかりだったことを思いだし、帰宅し直したという訳だ。
遠藤氏は胸をなで下ろして苦笑した。
「なんだ、犯人は俺だったか」
「あ、先輩」
出て行こうとする氏を彼女が呼び止める。
「これ、先輩の手帳でしょ?タイムカードの横にあったそうです。これで三度目ですよ」
「有難う」と、うわの空で遠藤氏。
早く帰って、あの素敵なオムライスを温めてやろう。
オムライス 友未 哲俊 @betunosi
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