第5話 養子
(五)
おれは翌日、伊一郎君に登ったことを告げた。伊一郎君は、
「ウッ」、
と発してから、信じないというふうに強くいった。
「登れるわけがねえ。ウソだナ」
おれはそのままそこを去った。こりゃー駄目だ、何をいっても信じてもらえないと、自分で決めて溜息もつかず伊一郎君に背をむけた。
和上さまのことはいわなかった。誰にもいわなかった。苦痛ではなかった。約束を守る、それだけのことだと気持ちを切りかえていた。
おれはあの和上さまが好きだった。父も母も和尚さまをたっとんだ。だから安心して好きになれた。いつだったか、和上さまはいった。
「坊、お坊さんにならんか」
おれは返答に窮した。そういうことを考えたことがない。ちょいとでも浮かべたこともない。いや、ちょっとだけ浮かべたことがある。母が、
「長元坊、和上さまが養子にほしいとゆうとるが、ゆくか」
といったときだった。母は養子なんぞに出すつもりは毛頭ないのだったが、和上さまに自分の子どもが気に入られたことが自慢でそういったのだった。
「長元坊と、名前もそろっておるし、可愛がってもらえるナー」
母はそう誘い水をかけてきた。おれはおもいきり母の袖をぶんなぐって駆け出した。往還の手前まで走ってゆくと、鬼山がいた。でっかい鬼の手をひろげて、
「うォッ」
といった。おれは小粒の涙をふきながら返した。
「おっかなかねえやい」
また、鬼山がいった。
「うォッ」
「おっかねえもんか」
鬼山が笑った。おれも笑った。そのあと、母は養子の話を出すことはなかった。
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