side.王国第一騎士団

 王城敷地内の一角にその建物は勇者街に寄り添うように、監視するように佇んでいた。腰ほどの高さの白い壁に囲まれ、外観は簡素でありながらもどこか威厳を感じさせる。屋根は深い赤褐色の瓦で覆われ、長い歴史を感じさせる古い趣があった。


 王国第一騎士団本部――三百年を超える歴史を持つベルテール王国、最後の砦にして最高の守護者たちが駐在する場所である。


 その建物の最上階である三階の一室に男はいた。


「ふぅ、出来るだけ言葉で従わせる…ってのは疲れるねぇ~」


 彼の名はジャン・マルタン。貧乏男爵家三男という生まれながらも己の才覚で第一騎士団副団長にまで上り詰めた傑物、自称しがないおじさん。


 彼は今しがた任務からこの執務室へ帰ってきたところだった。


 その任務内容はかなり大雑把で本日召喚された勇者たちを暴走させないというもの。王国が誇る人間最終兵器、騎士団長ヴィクトル・ド・ベルフォールは国王陛下より直々に詳細な内容を伝えられていたはずなのだがいつの間にか彼の手によって超簡潔化されていた。


 曰く、結果が同じであれば過程はそれほど重要ではないとのこと。


 その過程を考えるこっちの身にもなってみろとマルタンや他管理職の騎士たちは声を大にして叫びたい。が、騎士団長のお陰でかなり自由に好き勝手動けている自覚があった彼らは暴力に頼りたい気持ちを抑えその第一段階を完璧に熟した。


 それは双方無血で初日を乗り越えること。


 拉致同然の召喚を行いつつも協力的姿勢でいて欲しいという矛盾を抱える王国にとって鬼門となる初日。一番勇者の機嫌が悪いであろう召喚直後にマルタンたちは幾重にも重なる策を労した。


 尊大で在らねばならない国王との接触を最小にしつつも魔術という未知の力で最大の衝撃を残した。

 覚醒後、超常の力をその身に宿した四十人の勇者たちを王国兵士僅か百名という数で囲い続けた。

 容姿の整った貴族令嬢の口から、丁寧に、王国の現状について説明することで同情を誘った。

 そして唯一の直接的暴力、勇者の心と行動を縛る楔となる四連撃をここぞという場面で打ち込んだ。…吐瀉物は出たが血は流していないのでセーフ。


「いやはや、結構本気で打ち込んだつもりなんだけどねぇ」


 既に治癒士によって完治させられている両拳を見つめながらマルタンは苦笑いする。素人のちょっと鍛えられた腹筋でヒビが入るほど軟な鍛え方はしていない。覚醒直後で満足に能力も使えないというのに、ふざけた存在だ。


「二年で私を越えろかぁ~…越えられたくないねぇ」

「副団長、イザベルです」

「ど~ぞ~」


 自分が勇者に対して放った言葉を反芻していると執務室の扉が叩かれた。扉の向こうから騎士団長の娘さんの声がしたので、マルタンはナンバーツーらしからぬ気の抜けた声で入室を許可する。


「お疲れ様です副団長」


 そう言って入室してきたのは鳴瀬やヘータたちの世話役として任務にあたっていたイザベル・ド・ベルフォールだ。王城内では公爵令嬢らしくお高いドレスでお洒落をしていた彼女であるが今は顔の化粧を落とし女っけがゼロである騎士の礼服に身を包んでいる。


「イザベル嬢、お疲れさん」

「その呼び方は止してください。私は公爵令嬢である前に一人の騎士です」


 騎士であることに拘る若人のなんと可愛いことか。ニマニマと自分を見て来る上司に顔を顰めながらイザベラは報告する。


「タケシ・ニシムラを除く勇者三十九名、十班全て、勇者街にある生活拠点への移送が完了いたしましたことを報告致します。また第一班、第二班、第三班、第七班の計四班が勇者街に入った瞬間、何やら違和感を覚えた様子であった…と各班の案内役を務めた令嬢たちから報告が上がっています」


 移送完了の報告を受けたマルタンは取り敢えず初日は乗り切ったと安堵した。そして追加の報告に興味を抱く。十六名の勇者は何を感じ取ったのだろう。


「ほう、違和感とな。続けて」

「はい、彼女たちの報告を纏めますと皆共通して勇者街で暮らす住人の顔が自然過ぎると言っていたそうです」

「自然過ぎる……あ~そういうことか、賢いね」

「賢い…?」


 少し考え込んだと思えば、すぐに愉し気に相貌を崩したマルタン。しかしイザベルはついていけていない。移送完了以外に何か追加の情報を…と思い、試しに言ってみただけの彼女としては面白くない。


 そんな可愛い新人騎士ちゃんの様子を察したマルタンがまたニヤリと笑う。


「あれ、分からない?」

「……少々お待ちを、今考えますので」


 考え込むイザベルはマルタンが笑顔の裏で嗤っていることに気付かない。


(上級貴族の人間は一生分からんよ)


 王権が絶対的であるベルテール王国において国王陛下とは即ち神だ。神の意志一つで白が黒に、黒が白に変わる光景を常日頃から近くで見ている上級貴族たちはその恐ろしさを誰よりも知っている。


 故に我が子には王は神である、神の言うことは絶対なのだ躾ける。そうすれば子供の失態という計算外を未然に防ぐことが出来るから。


 子供は勇者街を見て思う。

『神様が作った街なんだ。そこに住む人々はみんな幸せだよ、当たり前のことじゃないか』


 大人は勇者街を見て思う。

『四十年掛けた甲斐があった。自然体で生活できているな、よぉし』


 異物は勇者街を見て思う。

『なんでそんな顔が出来るんだよ…気持ちわりぃ』


 イザベルが子供で勇者は異物、ただそれだけのこと。子供はある程度歳を重ねれば「王が神?いや人だよ」と理解できるようになるのだが、彼女はまだ十九。新卒一年目のペーペー。早く大人になって理解しろと言うのは酷である。


「…すみません、分かりませんでした」

「え~、じゃあ宿題ね」

「なっ、教えてください副団長!」

「これくらい一人で解決してなさい、騎士ベルフォール」

「ぐぅ…」


 素直に自分の無力を認めるイザベルの姿にマルタンは目を細めた。若いっていいなぁと。そうして騎士ちゃんを揶揄い遊んでいるといきなり扉が開いた。


「げ、」


 副団長であるマルタンの執務室に挨拶もなしに入れる人物はこの国に二人しか存在しない。一人は国王陛下、そしてもう一人は目の前で無感情に自分を見下ろす人物――我らが団長、ヴィクトル・ド・ベルフォール。


「…ベルフォールと何か怪しいことでもしていたのか」


 ヴィクトルは部屋に入って早々、半泣きの娘がいることに気付いたが無表情を貫きマルタンに問いかける。しかしマルタンはこう見えても彼が娘を溺愛していることを知っていたので冷や汗が止まらない。やばい。


「いや、ベルフォールくんから勇者を街に問題なく移送できたとの報告を受けていまして」

「…そうか。ベルフォール、ご苦労だった。もう帰っていい」

「はっ、失礼いたします!」


(あ、二人きりにしないで…)


 しかしマルタンの願いは届かず、イザベルは足早に退室していった。

 親族や長い時間を彼と共に過ごしてきた人間にはその無表情が無ではなく怒であることに気付くことが出来る。イザベルは前者、マルタンは後者である。


「ふんっ」

「いだぁ!」


 イザベル退室から十秒ほど。にへらと誤魔化しの笑みを浮かべたマルタンの頭頂部に拳骨が落ちた。中年の叫び声が執務室に響く。


「…部下を泣かせた罰だ」

「あ、私も部下です!泣いてます!」

「…もう一発いくか」

「っ、勘弁して下さい!」

「…あまり虐めてやるな、娘は悪くない」

「ですね、申し訳ありません」

「…分かればいい」


 上級貴族に対する悪感情はとうの昔に枯れていると思っていた。少々大人げないことをしてしまったと感じたマルタンは素直に謝り、ヴィクトルが許す。少しの間、何とも言えない微妙な雰囲気が室内を漂う。


「――それで、用件は何でしょう」


 先に口を開いたのはマルタンであった。ヴィクトルとは仲が良いと自認している彼であるが、用件もなくヴィクトルが「暇だから遊びに来ちゃった」と来るほどではない。というか彼はそういう人間ではない。無駄を嫌う性格であることを知っていた。


 絶対に何かある。それも途轍もなく面倒なことだ。


 マルタンが表情を引き締めたのを見てからヴィクトルは口を開いた。


「…タケシ・ニシムラの称号と固有能力が判明した」

「なんでした?」

「…称号は【魔族最後の希望を宿す者】、固有能力は【魔族化】だ」

「うわぁ…ということは倒れた原因は対魔族結界ですか」

「…それだけではない。錬魔院曰く、六年分注がれた可能性がある」

「なるほど、てもいたか」

「…そういうことだ」


 耐え難い痛みを感じたことだろう。王国のことが憎いだろう。

 今はもうこの世にいない西村に対して偽善であると理解しながらマルタンは祈りを捧げた。


「どうやって勇者たちに殺処分のことを伝えますかねぇ」


 仲間が死んだのだ…いや王国に殺されたのだ。病死と伝えるのは決定事項で、問題はいつ伝えるか。そう頭を悩ませるマルタンにヴィクトルが予想外を突き付ける。


「…いや、まだ殺処分されていない」

「は?……え、魔族ですよ?即刻殺処分すべきです。勝手に召喚しておいて、そのうえ生き地獄を味わえと、貴方は、彼に、言っていることが理解できていますか!?」


 貴方はいつから外道に堕ちた。

 マルタンはヴィクトルに対し怒りを露わにし叫び、罵倒する。その間ヴィクトルは言い返すことなく拳を強く握り、相棒の怒りを受け止めていた。


 掌から血が滲み溢れ出る。


 滴り落ちる赤色にマルタンが気づいたのは怒りをぶつけ終えた後のことだった。


「っ失礼しました」

「…よい、奴を止められなかった時点で我も同罪だ」

「ん、やつ?…っ…あぁ、最悪だぁ」


 全てを悟ったマルタンは天を仰ぐ。


「第二王子かぁ…」

「…そうだ」


 考え得る限りで最悪の人間に渡ってしまっていたから。

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男子校勇者 海堂金太郎 @kakechankakka

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