エピローグ

At last

   ◇◇◇


 いつのまにやら、夏が来ていた。


 教室から留名るなちゃんがいなくなっても、私たちの日常は、不思議なほどに円滑に進んだ。最初こそ、ヨーコや千乃ちのちゃん姉妹は戸惑っていたし、悲しんでいたんだけど、いつのまにやら留名ちゃんの不在にも慣れたのか、会話の中に登場する頻度も減っていった。


 親の転勤の都合による、急な転校。そういう表向きの理由を、谷川たにかわ先生が用意してくれたおかげかもしれない。私たちには、受け入れる以外の選択肢は無かったのだ。


 これもまた、変化だ。喪失、と呼ぶべきなのかもしれないけれど、なにも私たちと留名ちゃんの間にあった楽しい毎日が失くなったわけじゃない。だから、やっぱり変化なのだ。


   ◇◇◇


 暁月あかつきさんと私の生活にも、変化はあった。


 小さなところで言えば、家事を分担するようになった。洗濯は私、掃除は暁月さん。ゴミ出しも私で、料理も私……のはずだったんだけど、正直、暁月さんが作る料理の方が百億倍美味しいから、専属料理人のポストは譲ってあげることにした。私ってば、優しい。


 そして、私は彼のことを「暁月さん」と呼ぶようになった。外出するときや、学校にいるときだけでなく、家の中でも、だ。


 あの日。灯台の麓で、私たちは対等になることを望んだ。パパと娘から、暁月さんとくるみへ。とはいえ、やっぱりまだ気持ちが追いつかないところはある。十二年間続けてきた私たちの関係性を、現在の私たちが望む関係性へと作り変えるのって、わりと難しいものだ。


 それでもできるかぎり、私たちは対等を装っている。その感覚が骨の髄まで染み付くには、まだ時間がかかるだろうけど、ゆっくりそうなれたらいい。今はそう思っている。


「暁月さ~ん、そろそろ出ないと遅れるよ~。はやく~」


 ところでいま、私は玄関に立ち、まだ二階から出てこない暁月さんを待っていた。

声をかけてしばらくすると、彼が大きなキャリングケースを手に降りてきた。


「すまん。荷物の準備に手間取ってさ。……なに持っていけばいいか分からなくて」

「ねえ。だから言ったじゃん。ちゃんと相談した方がよくない? ってさ。なのに、別にテキトーでいいだろ、とかあしらうから。あーあー、ヤダヤダ。頼りない男だ」

「……おー。さすがに今のはクリーンヒットしたな。ぜーんぜん重傷だ」


 真顔で冗談を言い合って、私たちは玄関の外へ出た。照りつける日差しが眩しい。


「じゃあ、目的を慰安旅行に変更といこうじゃん。暁月さんの心の傷を癒すための旅だ」

「加害者と共に行く慰安旅行、って新しすぎるだろ」


 そして私たちは、まるでイタズラを企てる少年少女みたいに、あるいは同時に白線を踏み越える合図みたいに、微笑み合った。


 いよいよ始まる。今日から、私たちは夏休みに突入する。


   ◇◇◇


 旅行の目的は、いわゆる、音楽ライブの遠征、ってやつだった。


 開港祭から一週間ぐらいたった頃、ヨーコに教えてもらったあるバンドがあり、私はそれがとても気に入った。しかも七月から全国ツアーが始まるという情報を得て、私は思い立ったわけだ。人生でたった一度きりの、高一の夏なのだ。これは、デカいことをするしかないでしょ。


 それに私には、果たせてない約束もあることだし。そいつを叶えるチャンスじゃないか。


 全国ツアーの情報を得てすぐ、私は次々に電話をかけた。


「お、どーしたん? 遠征? ははっ、いーね。めちゃくちゃ賛成。すぐに予定組もうよ」

 まずはヨーコ。次に、

「くるみっちの誘いだったら、そんなん乗るに決まってんじゃんね。でも、いいの?」

「せっかく暁月とのデートだってのに、お邪魔してさ。さすがに宿は別にしようか?」

 野暮なことばかり口にする千乃ちゃん姉妹。そして、

「……なに、急に」電話越しの彼女の声はいつも通りのロートーンだった。「てか、そういえばスマホ返してよ。なにフツーに普段使いしてんのさ」

 そのことは笑って誤魔化した。そのあとで、私は単刀直入に、

「まあ、いいじゃないですか。ところで、夕辺ゆうなべ先輩。この夏のご予定は?」


 かくして私たちは夏休み初日から新幹線に乗って、遥か遠くの地、東北の知らないライブハウスを訪れている。私、暁月さん、ヨーコに千乃ちゃん姉妹、それから──夕辺先輩も一緒だ。


 千乃ちゃんたちは、ふたり揃って驚いていた。まさか、半不登校で幽霊部員の先輩が、この旅行に同行するだなんて思わなかったらしい。


 どういう心境の変化だ、と困惑したのちに、私にいくらかお金を積まれたのか、というズレた邪推をし、最終的には爆笑していた。部活には顔を出さないのに、旅行はちゃんと行くんかーい、と同じ身振りでツッコミを入れていた。なんていうか、愉快でいいや。


 ヨーコだけは、私の意図に気づいていたらしい。


 そう。この旅の目的の一つは、ヨーコと交わした約束を果たすことにあったのだから。


「ね、ねえ……。くるみさ、先輩のこと、どーやって口説いたわけ……? マジで」


 まあ、少し強めに訝んでいたけれど。でもまさか、ミアキスを知っているというキッカケで、多少お近づきになりまして……なんて言えるわけもない。


「まあ。あれじゃないかな。ヨーコも来るって話したから」


 と嘘をついておいた。でもちょっとやりすぎたかもしれない。その言葉を聞いたヨーコは、顔を真っ赤にして、日本語とは思えない言葉を次々にはいて、見るからにうろたえていた。


 とにもかくにも、こうして私たちの夏休みは、最高の形でスタートしたわけだ。




 もうひとつ、秘めごとを抱えた状態で。




 そのネタ晴らしをすることになったのは、開演の五分前のことだった。


 最初に声を上げたのは、ヨーコだった。想像通りの驚き方で、私の口角は吊り上がった。


 次に風歌ふーかちゃん。一拍遅れて、星頼せーらちゃん。二人の声は、喜怒哀楽の喜に全振り、って感じで、なんていうか奇声といっても過言じゃない感じだったけど、嬉しそうでよかった。


 暁月さんは、相変わらず薄い反応。まあ、予め知っていたってのもあるけど、それにしたって、もっと全身で感情を表現した方がいいと思う。相手にも悪いしさ。


 夕辺先輩は……まあ、あんま嬉しそうじゃなかったかも。でも、私はその複雑な感情の一部をなんとなく理解していた。


 あの争いに決着がついたあと、先輩は言っていたから。


『あたし、これで良かったって心底思ってる。やっと、人間としての生活が始まるわけだからさ。……でも、心のどこかで思っちゃうんだよね。あいつもあたしと同じだったとしたら、人間になりたかったんだとしたら、憎むのも難しいなって。あいつのこと、──』

 と独白したあとで、先輩は、どこか寂しそうな声で、

『──椎名しいな留名のこと、さ』


 名前を呼んだ──その子がいま、私たちの目の前にいる。

 私たちの元を去ったはずの留名ちゃんが、いま、目の前にいた。


「みなさん……どうして、ここに」


 留名ちゃんは、目を丸くして、まるでツチノコでも発見したんじゃないかって感じの驚きっぷりを見せてくれた。その反応、本当にサプライズし甲斐があるってもんだよ。




 これが、私の秘めごと。

 内容は、留名ちゃんと皆を再会させること、だ。




 全国ツアーの情報を得たとき、私の頭に真っ先に浮かんだのが、留名ちゃんのことだった。


 留名ちゃんは、あの灯台のある地を新しい住処として、新しい生活を始めたらしかった。それは谷川先生が教えてくれたことだ。これ以上、使い魔を増やさないことと、たまに先生の仕事に協力することを条件に、制限付きの自由と平穏を手に入れたらしい。


 そういうわけで、谷川先生なら留名ちゃんと連絡を取れると思ったのだ。


「え、だって。……臥待ふしまちさんだけが会いに来るって、そういうつもりでわたくし……」


 で、実際、いとも簡単に連絡は取れたってわけだ。


「まあまあ、留名ちん。騙されたのはウチらもおんなじだしさ」

「くるみっちにやり返すためのプランでも、共に考えようじゃないか」


 千乃ちゃん姉妹に両脇から肩を抱かれ、留名ちゃんは諦めがついたように、


「そうですね。……臥待さん。あとで、覚えていなさい」


 捨てゼリフみたいな、再会のセリフをはいて、照れくさそうに笑った。




 瞬間、客席の照明が消えた。会場内に歓声が沸いた。




 どうやら、ライブが始まるらしい。ステージの後方から照明の光がビームのように伸びて、シルエットが四つ浮かんだ。ギターのハウリングが「キーーーーン」と響いて、しばらくして、そこにシンバルの音が加わった。直後、「ドッドン、」とバスドラの音。会場のボルテージが緩やかに上がっていくのを、肌で感じる。


 そうして、一曲目が始まった。それは、私が大好きな曲だった。歌詞はもちろん、秒数まで覚えるぐらいたくさん聴いた曲。この曲の尺が、三分十秒であることも私は知っていた。


 だから私は、この曲が永遠に続かないことを知っている。

 それでも、永遠に続いてほしいと願っている。


 音楽に乗って、私はステップを踏む。肩を揺らす。すると、隣でヨーコも身体を揺らした。にっこりと微笑みをくれて、肩を揺らす。次に、夕辺先輩。無表情のまま、頭だけ揺らしている。それを見てか、千乃ちゃん姉妹も手拍子をしながら揺れ始めた。そうして気づけば、フロア全体が揺れていた。驚いたんだけど、暁月さんも留名ちゃんも、身体を揺らしている。


 周りを見ればこの空間の全員が、同じ音楽を、時間を、感情を共有しているようだった。


 そのせいだろう。私の頭には、隣で踊る大好きな人のことが、浮かんだ。




 ねえ、暁月さん。私たち、いま、同じ一秒の上にいられている? 私たちは対等でいられている? どうかな。やっぱりまだ、そうはなれないかな。でも、いつかそうなれたらいいよね。


 少なくとも、いま、私はなんだか可能性を感じているんだ。だってさ、こうして踊っている瞬間が、なんだか永遠に感じられるんだもん。だからさ、例えばこういうのはどうだろう。この音楽が続く間を、ひとまず永遠と呼んでみるんだ。そうしたら、同じ音楽と同じ空間、同じ感情と、同じ永遠を分かち合えていることになるでしょ? ……無理があるかな? さすがに無理があるか。でも、無理していこうよ。無理してでも、私、あなたと一緒がいいんだ。




 そうして私は踊り続ける。永遠の上で、踊り続ける。

 三分十秒の永遠の上で、たしかに、私たちは踊っていた。




      (おわり)

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パパと娘と秘めごとだらけのシェアユース 永原はる @_u_lala_

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