塩むすび

藤泉都理

塩むすび




 俺は今、よくわからない光景を目にしている。

 十歳未満だろう空色の甚兵衛を着た少年が砂浜にしゃがみ込んで、まんまるおむすびをくるくる回しながら海水につけているのだ。

 地面に落としたおむすびを洗っているのだろうか。

 それならば、食べ物を大切にしていて偉いと褒めるべきなのだろうか。


「な、なあ。おまえ。何してんだ?」

「おむすびに海水を付けて、塩むすびを作ってる」


 凄いだろと言わんばかりに鼻の穴を大きくしてそうのたまった少年の首根っこをいつの間にか掴んでは、俺の家に連れて行っていた。

 本物の塩むすびを食わせてやると言って。






 揚浜式塩田あげはましきえんでん

 かん水を取る為の装置。

 天候の悪い日や冬場は作業せず、春から秋口に行われていた。




 午前五時、肩荷棒にないぼうにぶら下げた二つのかえ桶で海水を運ぶ。

 十回程度運んで引桶しこけに海水を溜めて行く。

 海面より高いところの地面を平坦にならし粘土で固めてできた塩田に、打桶おちょけで海水を撒く。

 撒いた海水の水分を早く乾燥させる為に、細攫こまざらえという道具で塩田の砂に筋目を入れて行く。

 ここまでの作業を午前六時までに終えて、その後八時間程度太陽熱と風に当てて乾かす。

 八時間程度乾燥させた砂を塩田の中央に集める。

 しっぱつという道具で集めた砂を垂舟たれふねと呼ばれる木製の箱を組み立てて入れる。

 砂の入った垂舟の上から海水を流し込み、砂についている塩の結晶を垂舟下部の溜池に溜め、その溜まったかん水を釜屋まで運んで釜炊きが始まる。

 かん水を採った後の砂は「はね」を使って垂舟から塩田へ戻し、砂の厚みを均一にする為、再び細攫えで砂に筋目を入れて、翌日の作業に備える。

 かん水を六時間程度荒焚きする。

 荒焚きしたかん水を一日程度冷まし、竹炭・黒炭・砂が層になった胴桶どうけでろ過する。

 かん水を十六時間程度本焚きする。

 焚きあがった塩を釜から取り出し、い出場でばに入れ、四日間寝かせて、苦汁にがりを切る。

 不純物の除去と梱包をして、完成である。






 祖父が日記帳に残した揚浜式塩田を真似て、一人でできる範囲で行う事、十年。

 近所の人たちとの物々交換から、金銭を受け取れるようになり始めた今日この頃の事だ。


「俺さあ。俺さあ。自分で編み出した海水塩むすびが好物なんですけどー」


 言外におまえの塩むすびを食いたくねえと意思表示された俺は、けれど腹を立てる事なく、いいから一度食ってみろよと朗らかに言った。


「近所の人が作った米と俺の作った塩を組み合わせた塩むすびは、世界で、いや、この世の中で一番うまいぞ~」

「いえいえ、俺の海水ちょいづけ塩むすびがこの世で一番うまいんですけどー」

「まあまあ。ちょうどたっきたての白米に~。できたてほやほやの塩が~。奇跡の出会いを果たしまして~。ばしゃんばしゃんばしゃんばしゃんえいさっさっさほいさっさっさ。ほれ。塩むすびの完成だ。食ってみろ」

「………衛生上どうなんですかね?見知らぬ男性が直に素手で作った塩むすびを食べて大丈夫なんですかね?お腹を痛めたら、これ、用意できますか?」


 親指と人差し指で円を作る少年に、わかったわかった手袋をつけて作り直してやるよと言った。


「つーか。海水を煮沸しないで直接米につけて食べるのはいいのかよ?」

「俺はー特別なー人間なんでー俺が手ずから作ったものはー平気なんですー」

「………そうですかー。ほらー。作り直した塩むすびですー。どうぞお召し上がりくださいませー」

「しょうがないですねー。食べてあげますよー。お腹を痛めたらー、これ、用意してくださいねー」


 新手の当たり屋かな、もしかして本当はお腹を痛めてないのに痛めたじゃねえかおら金を寄こせと両親が怒鳴りに来るパターンかな、ここの評判を聞きつけてターゲットにされたのかな、今からでも塩むすびを少年から取り上げた方がいいかな。


 懸念が駆け巡ったが、俺は少年から塩むすびを取り上げる事なく、黙って食べ終わるのを待っていた。


「どうですかー?あなた様の海水ちょいづけ塩むすびと比べてー、どちらが美味しかったですかー?」

「ふふん。比べるまでもなく俺の海水ちょいづけ塩むすびの方が美味しいけど。けどさあー。これはこれで悪くないって言うかー。まあまあ、時々ならー。食べてもいいって言うかー。あ。でもー。俺が作った方が美味しくなるって言うかー。うん。うん。そうだよ。俺が作った方が絶対にうまくなるよ。だから。俺があんたの弟子になってやるよ。塩作りの弟子」

「………ちなみにあなた、どこの子?」

「そういう個人情報をすぐに教えるわけないだろ。あんたの仕事次第だな。けど、名前だけは教えてやる。あんたの塩むすびをまた食べてもいいって思わせたからな」

「それは光栄の至りです。それで、あなた様のお名前は?」

匠吾しょうご。あんたは?」

「俺の名前は、蒼士そうしだ。よろしくな」

「よろしく」


 俺は匠吾の手を取った。

 まさかの弟子の爆誕である。

 性急な判断だったかとも思うが、反面、まあいいかとも思ってしまった。

 体力仕事である。

 弟子として揚浜式塩田から、逃げ出してもいいし、残るなら残るでいい。

 とっても軽い気持ちである。


(さて、ご両親の了承を得ねばな。話のわかるご両親ならばいいのだけれども)


「なあなあ。俺が作った海水ちょいづけ塩むすびも食べてみろ。腰を抜かすほどうめーからな」

「………何事も経験。か」


 俺は俺が作ったおむすびを海水につけて食べてみた。


 うん。何か、うん。海って、複雑な味がするんだなあ。

 もっと、しょっぱいだけかと思っていたよ。

 それとも、米と合体したからかしら。


「やっぱり、俺の作った塩むすびがこの世で一番うまいわ」

「ふふん。味のわからないやつめ。しょうがないなあ」











(2024.8.11)



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塩むすび 藤泉都理 @fujitori

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