#2 手紙

 突然、手紙を書くことを許してほしいと思います。おおよそ手紙というものを初めて書くことになるので、ちぐはくなものになってしまうであろうことも。言うまでもないことですが、君にはこの手紙を読まない権利があります。ここまで読んで、ごみ箱に放り込んだっていいのです。いま、君にとって僕が何なのか分からないので、こんなことを書いてしまうのだと思います。


 君に出会ったのは、春、お互いに二十歳の頃でしたね。僕たちは同じ大学の、違う学部に在籍していました。けれども君がいつも一人でいることは以前から知っていました。僕もまた一人でした。僕は単に寂しかったのだと思うのですが、図書館で君に初めて声をかけたとき「何を言っているのか分かりません」とでもいいたげな微笑を浮かべ、首を横に傾けていたことを覚えています。そのときの僕はまだ子どもで(いまだって大人になりきれていないけれど)、幼さを残していました。だからそんなことで敏感に傷ついていました。君は僕と違って一人でいることが平気な強い人なのだと思っていました。

 初めて言葉を交わしたのは、開校30周年を記念して建てられた特別講堂の前で、学生が弾き語りをしている場面でした。その演奏はお世辞にも上手とは言えなかったけれど、僕たちが似たような音楽を愛好していることが分かって、嬉しかったのです。


 僕たちは色々な話をしましたね。でも、何を話したのか、そのディテールは明らかでないのです。まるでたくさんの糸が絡まって記憶の球を形成しているみたいに。言葉の断片をたぐりよせて、記憶を再現しようと試みたことは何度も何度もあります。上手くいくこともあれば、いかないこともあります。上手くいかないことの方がずっと多いかもしれません。

―東京の空気は私には合わない。

 例えば君がこのように言ったことを覚えています。そして、将来は東北地方で暮らしたいと言ったことも。実際、君は東北にある地方都市の裁判所で採用試験を受け、合格しましたね。二人でレストランを予約し、ささやかなお祝いをしたとき、内心で僕は絶望していました。僕は生まれてからずっと失い続けてきた。そして今君を失おうとしている、と。

 君には自分の持っているカードを上手く組み合わせて現実と自分をコネクトし、自分なりの価値観に基づいた生活を築き上げる能力がありました。それが僕との決定的な違いだったと思います。その時の僕はといえば、君が「何もかも投げ出して私と一緒に東北で暮らそう」と言ってくれるのを期待するばかりでした。もちろん期待通りにはなりませんでした。君は僕の価値観を仮定して、それを尊重しようとしていたのではないかと思っています。僕は君に依存し、執着しているだけでした。

 

 江古田のアパートで君と過ごした時間は幸福そのものでした。君には僕に似ているところもあるし、全然違うところもありました。内心では寂しくて誰かに甘えたいのに、意地っ張りで強がりで、一人で傷ついているのは同じでした。誰といても一人ぼっちでいるような気がすることも。そして君だけがその例外であることも。

 君が僕をしきりにきれいだと言っていたことを覚えています。でも、その審美眼は少し疑わしいと思っています。僕は痩せすぎていたし―君はすらりとしている、という言葉を使っていましたが―目と口はいささか大きすぎるから。

 僕は君といる間だけが本当の自分でいられる時間だと思っていました。それは事実と異なっていました。君と親密になればなるほど周囲への興味を失い、一人でいる時間は荒んでいきました。自己イメージは目まぐるしく変わりました。アパートで睡眠薬を飲んで自殺を図ったとき、君はこわい顔をして、胃洗浄を受けた僕が寝ている病院のベッド、その傍らにある丸椅子に座っていましたね。意識がもうろうとしていたにも関わらず、そこでした会話はよく覚えています。

―君、よっぽど絶望してるんだね。

―してる。

―逃げないの?

―何から?

―私から。

―一人で?どこへ?

 退院したあと、僕たちは短い時間話をしました。そして、僕たちはもう二度と会わないほうがいいだろう、という結論に至りました。語るべき言葉はもう残っていませんでした。僕たちはかけちがえたボタンのようにズレていって、もはや修復は不可能な状態になっていました。


 このようにして、僕たちはそれぞれの孤独へ帰っていったのですね。唐突に聞こえると思うのですが、僕は十四歳の君に会いたいと思っていました。十四歳の君に会ったら、今度は十二歳の君に会いたいと思うのでしょう。そのように遡っていって、最終的にはひとつになりたいと願うのでしょう。絶望は、僕たちが別々の人間であることがその源だったと思います。


 よく、君の夢を見ます。夢の中で君は泣いているけれど、それが僕の勝手な思い過ごしであればいいと思います。

 それとも、もし君の孤独な瞳に、もう一度僕を見つけてくれるなら、僕はどこへでも行けるでしょう。

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どこにも行けない @nonebutair

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