第22話 夜明け
幻想の夜空の下、雪斗の右人差し指がシグナの眉間に狙いを定めた。
「『汝を苛む——」
「……っ!? 全員散りなさいっ!」
シグナの指示に『鍵』の構成員が散開、雪斗を取り囲むように陣形を整える。
「——不可思議の弾』」
半透明の弾丸が空を駆け、その場から飛び退いたシグナの左耳を抉るように透過した。
「がぁああああっ!?」
実弾に耳を飛ばされた痛みの錯覚にシグナが悶絶する。
しかし、目は死なず。左手が射撃命令を下した。
一斉掃射。
フレンドリーファイアを厭わぬ鉛の弾幕が雪斗を取り囲み、『原典』諸共蜂の巣へ変える。
——そんな、幻を見る。
「一体、どうなっているのですか……っ!?」
憎悪を隠そうともしないシグナの呟きの先、質量を持った雪斗の幻影が水泡のように弾けて消えた。
背後に、足音。
「『——
ケープを揺らした無傷の雪斗がシグナの背を取り、右手が手刀の形を取った。
「その技は知っています!」
演習室の
他者の五感を惑わせ幻を見せる
背後を取るという雪斗のパターンを読んでいたシグナが、雪斗の手刀より早く拳銃の引き金を引く。
「知っていれば対処は可能です!」
鉛玉は
「……。『
「——、は?」
それすら、泡のように弾けて消える。
「次はどこに……っ!」
『ぐあああっ!?』
泡を食ったように雪斗を探すシグナを他所に、シグナの部下に当たる構成員たちが悲鳴を上げ次々と倒れ伏す。
それは、理解の及ばない光景だった。
「なんだこいつ、銃が効かないのか!?」
「出たり消えたり……どうやって移動を!」
楠木雪斗の実体は、確かにそこにある。
手で触れる。
匂いがある。
弾丸で貫ける質量と、確かな体温がある。
だが、誰一人として捉えられない。
その存在を、確定させることができない。
「こんなもんどうやって相手すれば——がはっ!?」
まるで幻のように生まれては消え、夜空の下で神出鬼没。
「し、シグナ様! 指示を……ぎゃあっ!!?」
「我々では対処が——。」
一人、また一人と倒れてゆく。
幻が、楠木雪斗の姿を映し。
感覚が、実在を訴える。
逆説的に、雪斗の存在が確定する。
そこは、幻想の王の領域なれば。
敵対者に、逃れる術はない。
「ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるな……!!」
シグナは、目の前の理不尽に喉を掻きむしるように悶える。
その表情は、怒りではなく——恍惚。
「ふざけるな、ふざけるな……ああ、なんて
自分の部下が蹂躙されることを一切
「ああっ、やはり我々の考えは間違っていなかった! 失われたはずの『原典』……なんて素晴らしい!! やはり、道標にはこれしかない!! なんという、望外の証明……っ!!」
感極まったように涙を流すシグナの表情は狂信そのもの。
彼は調整が済んでいない、『地脈の情報の逆算』から生み出された自然
「楠木雪斗……否、『原典』よ! もっと! 私にその可能性を見せてくださいっ!!」
担う奇跡は、
要するに、レーザー兵器そのものである。
荷電粒子砲……レーザービームが放たれた。
亜光速の一撃は、この至近距離では発現と着弾に誤差はなく。
眩い一条の光が一帯を瞬きの間に薙ぎ払った。
◆◆◆
眩い光に目を焼かれたレンジュが目を開けた時、そこは空中だった。
「レンジュ、怪我はない?」
「……ええ、ユキトのお陰で」
自分をお姫様抱っこの要領で抱え、当然のように空を泳ぐようにステップを刻む雪斗に、レンジュは混乱しながらも何か話さねばと口を開いた。
「ユキト、貴方……王様だったのね」
「うん。そうだった
「……ん?」
どうにも曖昧というか、本人も困惑気味の回答にレンジュが眉をひそめた。
「みたいって、どういうこと?」
さらなる疑問に、雪斗は普段の……レンジュが見慣れた穏やかな表情で困ったように笑った。
「僕もついさっき知ったんだよね」
「さっきって?」
「クロがそう言った時、かな」
その時、雪斗のそばで滞空し雪斗に付き従う巨大な本……『原典』から、半透明の黒猫が姿を現した。
「クロが『原典』だったのも、本当にさっき知ったばかりなんだ。ね、クロ?」
《うむ。妾、どうやら『原典』だったようじゃ》
「し、知らなかったの!? 嘘でしょ!?」
少しだけ喋る元気を取り戻したレンジュのツッコミに、主従は揃って苦笑いを浮かべた。
「そうなんだよねえ」
《とんと自覚がなかったのう》
「あ、あれだけノリノリで煽ってたのに……!?」
《その場のノリでついやってしまったのう》
格好つけて『鍵』の構成員を煽っていたあの口上が、まさかの
「無自覚だったのに、来たのね」
「算段がなくても来たよ」
非難めいたレンジュの視線に、雪斗は穏やかに笑う。
「友達を助けるためだからね」
「…………、そう」
どんな顔をすればいいのかわからなくて、レンジュはそっぽを向いた。
「え……」
その目線の先に、夜空を薙ぎ払うレーザーの光が映った。
「ゆ、ユキト! 下からレーザー……!」
レンジュの忠告虚しく、亜光速の光線が二人を薙ぎ払い——
「——ふう。危なかった」
直後、何事もなかったかのようにビルの屋上に転移した。
「どうなってんのよ、これ」
「えーっと、僕の識力を介して複合的な幻を見せてるんだよ。だから、僕の本体も、レンジュも、実はここにはいないんだ」
ただ、そこにいるように錯覚させているのだと。
雪斗の簡易的な説明に、レンジュは『余計わかんないわよ』と苦言を呈した。
「……あれ、どうするのよ」
レンジュが指を指した先では、恍惚としたシグナが再三に渡ってレーザーを撃ち放っていた。
第四世代の
「アレと真正面から撃ち合うのは正直しんどいかな」
《そうだのう》
「『原典』でもしんどいの?」
その疑問に、雪斗とクロは揃って頷いた。
「『原典』と言ってもさ、多分、今の僕が引き出せてるのは1%未満なんだ」
手探りで進める領域の奥に、見渡すこともできない遠大な奈落があると雪斗は言う。
《妾も正直、あまり実感がなくてのう。雪斗に流れ込む情報を堰き止めている自覚はあるのだが》
「要するに、不完全なのね」
雪斗が首肯する。
「だからシグナの識力が切れるまで逃げ回るのが一番楽、なんだけど……」
そこで、雪斗の表情が少し不満そうな色を見せた。
「ここまでレンジュを痛めつけたんだ。きっちり仕返ししないと気が済まない」
《うむ。当然だのう》
シグナと雪斗、二人の男の視線が交錯する。
一方は歪んだ信心から狂気に目を光らせ、もう一方は信念に眦を決した。
——決着は、一瞬。
「『——
屋上の雪斗が呟いた刹那、荷電粒子砲が雪斗を屋根ごと薙ぎ払った。
しかし、幻影。
「——こっちが本体だ」
シグナの背後に姿を現した雪斗。指には既に、半透明の弾丸が装填されている。
「『汝を——」
「遅いですよっ!」
口が裂けそうなほどに笑ったシグナが、雪斗の詠唱を追い越し粒子砲を収束させた。
その
「アンタがね!」
「——っ、レーベックさん……!」
景色を突き破るようにして飛び出したレンジュが、死力を振り絞って拘束した。
「……なるほど」
もう動けないと踏んでいたレンジュが牙を剥いてきた。
その足掻きに、シグナは憎らしくも賞賛の声を送った。
「どうやら、私の負けのようです」
シグナは潔く目を閉じ、半透明の弾丸に脳天を撃ち抜かれ意識を刈り取られた。
◆◆◆
シグナ及び『鍵』構成員の意識の消失を確認した雪斗は、三日振りに大きく息を吐いた。
識力の供給が途切れ、夜が落ちてくる。
バラバラと、世界から剥がれるように落下する夜の欠片たちは、流星のように輝き、燃え尽きて消えてゆく。
幻想の夜によって覆われていた現実のテクスチャが帰還し、雪斗の膝枕に身を委ねるレンジュの目には、雨上がりの赤赤とした夕焼け空が広がった。
「……ねえ、雪斗」
「なに?」
うつらうつらと、レンジュは眠気に瞼を落としそうになりながら雪斗を見上げた。
「少し……休んでも、いい?」
「うん。おやすみレンジュ——また明日」
「……ええ。また、明日」
髪を優しく漉くように撫でる雪斗の手の温かさに、レンジュは安心し切った表情で、穏やかに目を閉じる。
——すう、——すう、と。
すぐに聞こえてきた可愛らしい寝息に、雪斗もまた、安堵したように胸を撫で下ろした。
《——雪斗よ、休まんで良いのか? お主も三日間、ろくに寝てないであろう?》
「うん。僕は大丈夫……とは、言えないかなぁ」
雪斗は携帯を操作し、恭介に電話をかけた。
『おう雪斗、お疲れさん』
「恭介さんもお疲れ様。突然なんだけど、迎えにきてもらうことってできる?」
雪斗は、幻想で誤魔化しを繰り返してきた自分の体の悲鳴に、脂汗を流しながら苦笑した。
自転車で転びまくり、その上三日間ほとんど休まず走り続けた。
そして最後は、幻想の『原典』を開いた。
その負担は、想像を絶するものだ。
「正直、もう一歩も動けなくってさ」
『——安心しろ、迎えなら治安維持局の奴らがもうすぐ来る』
雪斗の背後で、瓦礫を踏む音と、電話を切る音が同時に響いた。
「お前はもう休め」
「恭介さん……」
ふらりと、糸が切れた雪斗の体が崩れるように横に倒れた。
「——おっと!」
間一髪支えた恭介に、雪斗は笑いかける。
「ちょっと、限界」
「——あとは任せろ。後始末は大人の役目だからな」
恭介の頼もしい一言に頷いた雪斗は。
自分の膝で穏やかな寝息を立てる少女の重みに、守ったものの確かな存在を噛み締めながら意識を手放した。
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