エピローグ そして朝日を待ち侘びる

少しだけ、その後の話をしよう。

 シグナを筆頭とした『鍵』の構成員のうち、恭介と雪斗がそれぞれ制圧した者たちは軒並み拘束された。


 しかし、治安維持局の内部に潜入していた内通者は逃亡、行方は未だにわかっていない。


 学術都市の治安維持を一手に担う治安維持局。

 そこに潜んでいた内通者の存在、更にはそれを起点とした腐敗。

 の暴露を発端にした世論の大炎上は、局の火消しが間に合わない速度で燃え広がった。


 そんな混乱の中で、一人の少女が指名手配されていたという事実はあっという間に消え去った。

 その指名手配すら、局内部の腐敗が原因だったと多くの人の中で自己完結したのだろうと。


 篠原恭介は、濃い隈ができた両目を虚ろに、眠そうに語った。





◆◆◆




 雪斗が目を覚ましたのは、レンジュ救出から丸二日経った夕方だった。


《ようやく目が覚めたか、雪斗よ》

「…………、クロ?」


 寝起きでふわふわと揺れる視界に、真っ黒な毛玉が映り込んだ。


《お主、丸二日寝ておったぞ》

「そんなに……っいだだだだだだだだだ!!?」


 雪斗は自分の胸元でひょいと顔を上げた識神を撫でようとして、全身をこの世のものとは思えない激痛に悲鳴を上げた。


「な、なに……これ?」

《筋肉痛と疲労による亜脱臼。あちこち肉離れも起こしておったそうじゃ》

「そんなに」

《三日間、走り続ければ妥当じゃ。疲労も何もかも、自分の脳に幻を見せて誤魔化すなんぞ狂気の沙汰じゃ》


 病院関係者の説明をかいつまんで説明したクロは、主人の無茶に苦言を呈した。


《雪斗よ。流石に無茶が過ぎたぞ》

「……運動の習慣、つけないとね」

《反省しておらぬようだのう》


 半眼を向ける従猫に、雪斗は目線で頷いた。


「後悔してないからね。……レンジュは?」

「——隣で寝てる」


 枕元から聞こえた平坦な声に、雪斗はやっとの思いで少しだけ首を動かした。


「鏡花?」

「ここ、病院だから。私はお見舞い」

「——お前も患者だろ有栖川。点滴から逃げるな」


 雪斗の疑問に先回りして答えた鏡花を、探しに来た恭介が捕獲した。


「むう」


 首根っこを掴まれた鏡花が、少し不満そうな表情を浮かべる。目に見える表情の変化、つまり相当嫌がっていた。


「注射は、嫌。痛い」

「堂々と情けない発言すんな」

「私だけ仲間はずれは嫌。同じ病室がいい」


 鏡花のわがままに、恭介は面倒くさそうにどデカいため息をついた。


「ったく、わかったよ。医者に相談してやるから、ちゃんと点滴受けるんだぞ」

「任せろ」


 当社比10%のドヤ顔で親指を立てた鏡花は、肩を落とした恭介の拘束を振り解いて雪斗の枕元へ椅子を寄せた。


「レンジュ、かなり危なかった。雪斗のおかげで間に合ったって」

「……そっか。良かった」

「ちなみに、雪斗も危なかった。雪斗の方が危なかった」

「え、そうなの?」


 意外そうに目を瞬かせた雪斗に、鏡花は瞬きと同じ回数頷いた。


「過度の脱水症状と、神経の極端な鈍化。心臓が止まりかけてたって」

《……雪斗よ》


 まず間違いなく、幻想の力の過剰使用が原因だった。

 クロの半眼に、雪斗は今度こそ申し訳なさそうに冷や汗をかいた。


「……うん。次からは気をつけるよ。ちなみに恭介さん、鏡花はどうして入院を?」

「普通に過労でぶっ倒れた。三日間都市に向けてぶっ通しでハッキングしてたんだから当然っちゃ当然だな」


 まさか本当にやり抜くとは思わなかった、と呆れる恭介に、鏡花は得意気に鼻を鳴らした。


「履歴書に書けることが増えた」

「んなもん書いたら一発アウトだ頓珍漢。あと俺の教育が疑われるから絶対に辞めろ」


 雪斗が知らない間に、恭介は随分と鏡花の扱いに慣れた様子だった。


「……鏡花」

「呼ばれた」


 なんともなさそうにしながらも、目の下にしっかりと隈が浮かんでいる鏡花に、雪斗は眼球しか動かせないことを口惜しく思いながらも精一杯の笑顔を浮かべた。


「……ありがとう。鏡花の助力があったから、レンジュを助けられた」


 お礼に対して、鏡花はグッと親指を立てる。


「友達のため。だから当然」

「そっか。凄いね、鏡花は」


 その一言を発するのがどれほど難しく、実行に移すのがどれほど困難であるかを知っている雪斗は、当たり前のようにやり切ってしまった新しい友人が眩しくて目を細めた。


「雪斗の方がすごい。ところで——これ、何?」


 鏡花は、携帯を操作しとある記事を雪斗に見せた。

 記事の見出しは——『旧建設区画で大規模破壊』——まさしく、雪斗と『鍵』が交戦した場所であった。


「これは……」

《派手に乗っておるのう》

「問題はこっち」


 見出しに注目していた二人の視線を、鏡花は見出しへと向けた。


「《あっ——》」


 一人と一匹がぴたりと動きを止めた。いや、雪斗は元々動けていないが。


「この小見出し、“局所的な流星も”ってある」


 鏡花が名探偵のように目を光らせた。


「押収された『鍵』の持ち物の中に、それっぽいものはなかった」


 味を占めた鏡花は、予め作っておいた治安維持局へのを使い、入院中もしれっと局の情報セキュリティを出し抜いていた。


 情報の出所を察して頭を抱える恭介を他所に、鏡花はずいっと雪斗に顔を近づけた。


「かっこいい決め台詞のあと、通信が狂ってなにも観測できなかった。雪斗、何したの?」

「うーんと、話すと長くなりそうというか、一言でも終わるというか……」


 雪斗が視線でクロに助けを求めると、彼の猫は目を閉じてやれやれと首を振った。


《隠すのは不義理であろう。それに、恭介にも話しておくべきじゃ》

「そうだね。結論から言うと、クロは幻想の『原典』だったんだ」




◆◆◆




 クロの正体が幻想の『原典』だったこと。

 そして雪斗はその担い手である“幻想の王”であり、剥がれ落ちる夜空は『原典』が有する権能のうち一つだったこと。

 『原典』の解放は不完全であり、識力が幻想に染まり切った雪斗であっても、解読は到底不可能であろうこと。


 雪斗とクロは、自分たちに話せる可能な限りのことを鏡花と恭介の二人に話した。




◆◆◆




「あ゙あ゙〜〜、意味わかんなすぎて狂いそうだ」


 あらまし聞き終えた恭介は、ぐったりと机の上に体を投げ出した。


「あのクソババア、とんでもねえ厄ネタに巻き込みやがって」


 恭介の言うクソババアとは、楠木孤児院の院長、季一である。

 雪斗の後見人になることを頼まれた際、渋々ながらに了承した過去の自分をぶん殴りたくなる衝動に駆られながらも、恭介は『仕方ねえか』と達観したように諦めた。


「つか雪斗、それ使ったってことはシグナとか見てんだよな? 大丈夫なのか?」


 『原典』の存在が漏れるというのは、はっきり言ってヤバいのだ。

 とんでもなく、現存する形容詞では表現不可能なくらいにヤバい。


 なにせ数十世紀に渡って行方不明だった存在であり、一部には存在そのものが疑われているのだから。

 恭介が厄ネタ呼ばわりするのも当然であり、衝撃のあまり意識が吹っ飛んだり奇声を発したりしなかっただけ、とても理性的だったと言える。


「……恭介さんも、鏡花も。疑わないんだね」


 実のところ正気を疑われると思っていた雪斗は、二人の口から『あり得ない』という言葉が出なかったことに驚いていた。


「私は、雪斗が嘘をつくとは思ってない」


 鏡花は、傍目にも驚いていますとわかるくらい固い表情で冷や汗を流していたが、理知的な双眸は雪斗の言葉を信じていた。


「それに、そうだったらから」

「有栖川が何言ってんのか俺にはサッパリだが……まあアレだ。俺は後見人だからな。信じてやるのも俺の役目だ」


 二人の回答に、雪斗は小さく微笑んだ。


「ありがとう。恭介さんの心配は大丈夫だよ、ちゃんと、見たもの全て、記憶と結びつかないように細工してあるから」

《それくらいであれば、不完全な『原典』でもできるからのう》

「ヤベェな、『原典』。つか幻想がイカレてんのか」


 頭痛を堪えるようにこめかみを抑えた恭介は、『こんなもんか』と膝を打って立ち上がった。


「それじゃ、俺はそろそろ学園にしてくるわ。お前らの帰る場所、用意しないとだからな」

「頑張ってね、恭介さん」

《健闘を祈るぞ》

「ファイト」


 滲み出る『行きたくねえ』と嘆く背中にかけられた二人と一匹のエールに、恭介は右手だけ上げて応えた。




◆◆◆




 その後、結局病室の移動が認められなかった鏡花が看護師二名に両脇を抱えられ仏頂面で引きずられて行ったきり、病室の中は随分と静かになった。


 そして暫くして陽が傾き、本当の夜が訪れた頃。


「……ユキト。起きてる?」


 雪斗の隣のベッドから、小さくもはっきりとした抑揚がある声がした。


「うん、起きてるよ」


 雪斗が痛みを堪えて首を傾けると、同じように首を傾けていたレンジュと目が合った。


「君が無事で良かった」


 思わずこぼれた雪斗の安堵の言葉に、レンジュは僅かに頬を赤らめた。


「貴方のおかげよ。……お互い、ボロボロね」

「うん。ボロボロだ」

「…………」

「…………」


 互いに視線を交わし合う、無言の時間が続く。

 気恥ずかしくも心地よい空気に雪斗が身を委ねていると、レンジュが遠慮がちに口を開いた。


「ユキトは……孤児院に、帰るの?」

「……うん。いずれはね」


 雪斗の回答は、曖昧なものだった。


「夏休み、だっけ? その時には、一度帰ろうと思ってる」

「……学園は、辞めるの?」


 雪斗はレンジュに、自分は逃げるために学園に来たと、そう暴露した。

 雪斗にとって星海学園はただの逃げ場所であって、ここで成し遂げたいことなどないのだと。


「いる意味、なくなったわよね?」


 いなくなるのか——不安を滲ませるレンジュに、雪斗は頑張って首を横に振った。


「辞めないよ。——いる意味なら、できたから」


 雪斗は、真っ直ぐにレンジュを見つめる。


「君を守る。『鍵』や、君の故郷を狙う連中から」

「…………!」


 その真っ直ぐで裏表のない告白に、レンジュは咄嗟に布団で自分の口元を隠した。


「夏希や春ねえには悪いんだけど……うん。ここで放り出すのも、違うからさ」

「そ、そう。……なら、お別れはもう少し先になりそうね」

「うん。だからまた、勉強教えて欲しいんだ」

「…………」


 レンジュは、ごろんと。

 体の痛みに耐えつつ、雪斗に背を向けるように寝返りを打った。


「レンジュ?」


 もしかして、もう教えるのは嫌だと思われるくらいに壊滅的な理解度だったのか、と恐れた雪斗に。


「……いいわよ。退院したら、また教えてあげるわ」


 そっぽを向きながら、レンジュは快く承諾した。




◆◆◆




 そして。

 体力が万全でない雪斗は会話の後間もなく眠りにつき、識神のクロも体を丸めて寝息を立て始めた。


「……ユキト、もう、寝た?」

「…………」

「そう、寝たのね」


 雪斗の反応がないことを確認したレンジュは、ゆっくりと。

 まだ熱を持った体をなんとか起こして、音を立てないように雪斗の枕元まで歩いていった。


「体、動かなくなるまで探してくれたのね」


 レンジュは、自分の紫の長髪を耳にかけて。

 雪斗を起こさないように、そっと。


「さっき、言いそびれちゃったから」


 規則正しい寝息を立てる彼の口に、優しく口付けを落とした。


「助けに来てくれてありがとう、ユキト。すごく、嬉しかったわよ」


 感謝の言葉も、少女の行動も、人知れず。


 かつて、世界を創りし幻想が生み出した夜空は、全てを包み込むように優しく降り注ぎ。

 次の朝日を待ち侘びていた。











ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー







これにて第一章、完結です。

ここまで読んでいただきありがとうございました。


面白かった、続きが読みたい、と思って頂けましたら、いいねや感想、ページ下部から星(評価)を頂けると嬉しいです。

全て作者のモチベーションになるので、是非とも宜しくお願いします。



この後は、人物紹介と閑話をいくつか挟んでから第二章に入る予定です。


今後とも、『幻想の王の原典回帰』をよろしくお願いします!

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