第19話 たどり着きたい未来のために

『指名手配犯は現在も逃走を続けています。目撃情報の提供は、治安維持局の相談窓口まで……』


 白亜の街並みを象徴するビルの壁面に映し出されるレンジュの手配写真に、全力疾走を続ける雪斗は苛立ちを隠そうともせず盛大に舌打ちをした。


 平日真っ昼間といえど、環状リニアのターミナルへの直通列車を出している駅ともなれば、その周辺はそれなりの賑わいをみせる。


 そんな場所にレンジュの顔が大々的に公開されればされるほど、タイムリミットは加速度的に削れていく。

 そしてこの現象は現在、学術都市全土で起こっている。


 雪斗と鏡花が喧嘩を売った相手は、もはや学術都市そのものと言っても過言ではないのだ。


「鏡花! カメラの……かい、解析? は、どう!?」

『今やってる。けど、ヒットなし』


 イヤホン越しに届く鏡花の声音は芳しくない。


『北区画を中心に洗ってる。けど今のカメラにも、録画ファイルにもレンジュが映ってない」

「えっと……つまりどういうこと?」

《手がかりなしということだのう》


 機械音痴の雪斗もわかりやすいように、頭の上にしがみつくクロが噛み砕いて翻訳した。


《かくれんぼが得意なようじゃな》

「逃げてくれてるのはいいんだけど……!」


 逃げが上手いことは喜ばしいが、その結果雪斗たちの捜索すら妨害しているのだから考えものだ。


 複雑な表情を見せる雪斗。そんな彼の前方に見えてきた駅前広場に、不自然な人だかりが生まれていた。


「あれは……?」

《なにやら人が集まっておるのう?》


 雪斗の内に、一瞬、レンジュが捕まったのかという思考がよぎる。

 しかし、前方の集団が発する感情が、を多分に孕んだ怒りであることに気づいてすぐに違うと気を取り直した。


「鏡花! “中央広場前”駅に人混み!」

『待って。……雪斗、まずい』


 ものの数秒でSNSを走破した鏡花は、ピックアップした検索結果を見て眉間に皺を寄せた。


『強硬手段。治安維持局が環状リニアを止めた。運行停止……乗れなくなった』

「なっ……!?」


 予定していた交通手段の麻痺に雪斗が足を止めた。


「ルート変える! 他の手段は!?」

『潰された。区画の移動規制が出てる。レンジュを、北に封じ込めるつもり』

「——クソッ!」


 先んじて移動手段を潰された雪斗が声を荒げた。


《雪斗よ、どうする?》

「どうもこうもない! 走っていく!」


 立ち止まったのは一瞬。

 雪斗は地図アプリを横目に、即座に走行ルートを変えた。


「人の目は全部幻影霧囚ファントムシーフで誤魔化す!」

《無茶だ雪斗よ! 物理的に距離が遠すぎるぞ!》


 いたずらに体力を浪費しようとする雪斗をクロが咎める。


《気の当てどころを間違うでない! 動けなくなっては本末転倒であろう!》

「けど! 止まるだけ遠ざかる!」

『雪斗、一度止まって』


 逸る雪斗を、通話の向こう側から鏡花が咎めた。


『アプローチを変える。私がレンジュに送ったチャットの送信履歴から大まかな位置を割り出す』

「……。さっきとどう違うの?」

『点でしか位置を掴めないから、現在位置の推測が難しい。けど、時間と位置が分かれば捜索範囲を絞れる』

「わかった、お願い!」

『任せろ』


 雪斗は、鏡花がドヤ顔で親指を立てている姿を脳裏に幻視した。


《さて雪斗よ、妾たちは移動手段を確保せねばならぬ》

「そうだね。予定してたリニアは止まっちゃったし」


 当初の予定では雪斗がリニアを使い北区画へ移動。移動時間中に鏡花がレンジュの位置を捕捉し、最短距離で救出……というシナリオだった。

 あまりにも雑で希望的観測に満ちた計画未満の予定表だったが、リニアの停止は流石に予想外。


《タクシーを含む主要交通機関では封鎖は超えられぬ。かと言って、徒歩では時間を浪費するばかりじゃな》

「恭介さんの車には頼れないし……」


 主従揃って頭を悩ませる。

 そして通話の向こうでは鏡花も衛星通信のハッキングに苦戦し、唸り声を上げていた。


「——ああっ! やはり私の嗅覚に狂いはなかった!!」


 まさにその時、悩む雪斗とクロの背後で急ブレーキ音と共に狂いきった声が響いた。


「探しましたよ! 黒猫を連れた悩める少年!」

「は——?」

《なんじゃ? この怖気は……》


 明らかに自分達をご指名の声に、雪斗とクロはつい振り返り——自分の迂闊さを猛烈に後悔した。


「——お久しぶりでございます、お客様!」


 そこにいたのは、大型ショッピングモール、マイネマーケットパークに生息していた神出鬼没の妖怪こと敏腕店員、後藤田だった。


「《ヒィッ——!!?》」

『雪斗、どうしたの?』


 溢れ出す恐怖の記憶に喉を引き攣らせた雪斗たちに鏡花の声は届かず。


「お困りのご様子でしたので、お声がけさせて頂きました!」


 後藤田は自転車に乗ったまま、満面のビジネススマイルを浮かべた。


「なっ……なんであなたがここに!?」

「私の青春センサーがここへ行けと叫んでいたので!」

「い、言ってる意味がわからない!!」

《相変わらず気持ち悪いのう!?》


 クロの容赦のない罵倒に後藤田は一切動じない。


「ところでお客様! 今、乗り物をお探しですね!?」

「えっ、なんでわかるんですか」

「お客様のお悩みを一目で見抜くのがデキる店員ですので!」


 仕事ができるという話は本当だったのか、なんて一人と一匹が思ってる暇もなく。

 後藤田は颯爽と自転車を降り、目測で雪斗の身長を把握。サドルとハンドルの高さ、そしてギアの全て、雪斗にとって最適なものに構築した。


「こちら、当社自慢の一品です! ご都合よろしければ——」

「買いますっ!」


 後藤田のプレゼンを遮って雪斗が食いついた。


「いくらですか!?」


 真剣そのものな雪斗の表情に後藤田は満面の笑みを浮かべる。


「お買い上げありがとうございます! ご請求の前に当社、ただいまご購入頂いたお客様に耳寄りの情報をお伝えしております。——わたくし後藤田、昨晩21時頃、南西地区の環状リニア駅にてお客様のお連れ様をお見かけしました」

「——っ! レンジュを!?」


 思わず叫んだ雪斗。

 その瞬間、名前を聞いた一般市民たちが一斉に雪斗たちの方を振り返り……


『…………?』


 そこには何もいなかった。


「レンジュを見たんですか!? 本当に!?」


 間一髪、幻想で姿を隠した雪斗に後藤田は力強く頷いた。


「間違いなく。一度お見かけしたお客様の顔は忘れません」

「……後藤田、さん。通報とかは」

「しておりません。する意味がありません」


 後藤田は、ちょっと……いやかなり気持ち悪い笑みを浮かべた。


「あの上質な青春漂う少女を突き出すなんてとんでもない! ——やはり、わたくしの青春センサーに間違いはありませんでした! 窮地に陥る少女、それを助けにいく少年! ……ああっ! ロマンスの香りっ!!」

《戻ってこんか妖怪店員!》


 笑顔も声も、なぜか効力を発揮する謎の器官も全てが気持ち悪かったが、雪斗にとっては、今この瞬間、非常に頼もしかった。


「——こほんっ! 間違いなく、お客様のお連れ様でした。昨日、駅にてのリニアにご乗車されていましたよ」


「南……っ!? 鏡花!!」


『任せて、もうやってる』


 雪斗が叫んだ時、鏡花は既に、南区画の監視カメラのハッキングを始めていた。


『——解析完了。雪斗、レンジュは南区画で降りてる。解析範囲を南に絞る』

「お願い! ……後藤田さん、ありがとうございます」

「とんでもございません。お客様のお役に立つことが、わたくしたちの仕事ですので。——ではお客様、存分にお使いください!」


 差し出されたサドルを、雪斗は一度取るのを躊躇った。


「えっと……僕、自転車乗れないんですけど」

「萌えポイント追加っ……! ん゙ん゙っ、ご安心ください。最も運転しやすい重心に調整してあります。お客様なら大丈夫です」


 敏腕店員の太鼓判に、雪斗は今度こそサドルを握って自転車に跨った。


「後藤田さん、お支払いは——」

「結構でございます」


 後藤田は折目正しく、綺麗なお辞儀をした。


「またいずれ、お二人で仲睦まじくお買い物をなされている姿をお見かけさせていただければ十分でございますので! ええ! できれば特等席で眺めさせていただければぐふふふふふふふ——」

「えっ嫌すぎる! お金、持っていきますね!」

「またのご利用、お待ちしておりまーす!」


 レンジュ救出後に最優先でやらなければならないタスクを新たに抱えた雪斗は、南区画へ向けて全力で、ふらふらと危なっかしい乗り方で発進した。





◆◆◆





「……そうか、わかった。定期的な水分補給と栄養補給忘れんじゃねえぞ。想像以上に体力削ってるからな」


 人気のない学園の廊下で、恭介は有栖川鏡花からの中間報告を受けていた。


「雪斗は……え、あいつ自転車乗れたのかよ。は? 妖怪? 火事場の馬鹿力? 何言ってんだ?」


 途中、支離滅裂な報告こそあったが、二人が順調にレンジュ救出に向けて石を積み上げていることに恭介は満足そうに頷いた。


「ああ、レーベックの居場所以外の情報はこっちに回せ。俺がなんとかする。——ああ、よくやった」


 最後に労いの一言を残して、恭介は電話を切った。

 そして、ポケットからもう一台の携帯を取り出した。


 そこには一件、から通信を傍受していた端末があることが記されていた。


「対応が早すぎるとは思っちゃいたが……」


 恭介は忌々しげに舌を打つ。


「治安維持局と学園に裏切り者、ねえ……偽の情報は捜査撹乱のため、か」


 鏡花に用意させた秘匿回線による情報伝達に関しては無傷であることを確認した恭介は、教室には戻らず、静かに階段を降りて玄関口まで進んだ。


「おーう、治安維持お疲れさーん」


 玄関口を封鎖する、四人の白い制服を着用した局員に。


「わりぃけど、ちょっと野暮用ができちまってよ。車出してえんだわ」


 煙草を咥えた恭介は、おもむろに写本グリモアを開いて識力を漲らせ。

 治安維持局員に敵対勢力に、惜しみなく殺意をぶつけた。


「だからそこを退け——『大いなる鍵』の残党共」





◆◆◆





 十回、二十回は転んだだろうか。

 あるいはそれ以上かもしれないし、思ったよりも転んでいないかもしれないと。


 楠木雪斗は、傷だらけの全身で。

 ようやく様になってきた姿勢で、南区画へとひたすらペダルを回していた。


《雪斗よ、これからどうするのだ?》


 何度も転んだことで変形した前かごの中で、クロは鏡花から送られてくる情報に喉を唸らせた。


《駅周辺のカメラでこそレンジュを見つけられたがそれ以降音沙汰がない! 情報がなければ見つけられぬぞ!》

「……でも、南区画からは出てない」


 れんじゅは確かに南区画でリニアから降りている。そして、そこから物理的に足が届く範囲の多区画への移動路のカメラに彼女の姿はない。


 つまり、どれだけ見つからなくとも、レンジュ・レーベックは南区画のどこかにいる。


 雪斗は覚悟を決めた目で言った。


「ここから、しらみ潰しに探す!」

《これは、言っても聞かぬな》


 もう進む以外に選択肢を用意していない主に、クロはため息をついた。そして、


《……雪斗よ、妾は問わねばならぬ》


 そんな雪斗に、クロは冷静に問いかける。


《雪斗よ、お主は今、罪滅ぼしをしようとしているのではないか? 夏希嬢を助けられなかったことへの罪悪感に駆られ、レンジュを助けようしていないと、本当に言い切れるか?》

「…………」


 雪斗は。

 学園を発つ前に恭介に問われた言葉を思い出した。





◆◆◆





「本当にいいのか、雪斗?」

「いいもなにも、恭介さん。これ以外方法ないでしょ」

「そうじゃねえ」


 恭介は、雪斗の双眸をじっと見つめた。


「お前は今、大きなもんを敵に回そうとしてる」

「……うん」

「目をつけられたら、今まで通りとは行かねえ」


 雪斗の願いから遠ざかる可能性を恭介は論じる。


「義妹を助けるために『原典』を読み解くってのは、俺はアリだと思ってる。だが、レンジュが追ってる奴らを敵に回したら最短からは遠ざかる。間に合わなくなるかもしれねえ」

「うん」

「——お前は、それでも行くのか?」




◆◆◆




「……クロ。夏希はさ、笑顔が可愛かったんだ」

《知っておる》

「だから、戦争で笑顔が消えて……悲しかった」


 自転車で息を切らしながら走る。

 幻想でいくら疲れを麻痺させようと、その実、精神的疲労を後回しにしているだけであり、否応なく肉体は鈍る。


「苦しかった。もう一度、何度でも見たいって思った」

《そうじゃな》

「……レンジュもさ、笑った顔、いいなって思ったんだよ。……確かに、重ねてるところはあるかもしれない」


 雪斗は、自分の中でやり直しをしようとしていることを認めた。


「けどさ、クロ。どっちかじゃないんだ。なんだ」


 歯を食いしばって、重たい足を押し込んでペダルをぶん回す。

 ギアを下げて——もう一度上げて。


「クロ……僕はあの時、夏希の手を取りたかった。恐怖も、痛みも振り払って! 泣いてたあの子に、『大丈夫、僕がいる』って!」


 トップスピードで、雪斗は叫ぶ。


「過去に、戦争に囚われる夏希に! 『今、ここに僕がいる』って言いたかった!」


 けれど、怖くて逃げ出した。

 その果てに拒絶されるのが恐ろしくて。


 あの日、夏希は。

『ひとりにしないで』と、泣いていたのに。


「『これから先は僕が守る』って……そう言いたかったんだよ!!」

《雪斗……》

「昨日、レンジュは泣いていた! 過去の事故とか、家のこととか! いろんなことに、きっと押しつぶされそうになってて!! ——だから行くんだ!!」


 昂る感情に涙が溢れる。

 雫を置き去りに加速する雪斗は、ただ前だけを見て、紫髪の少女の姿だけを探す。


「今ここで! レンジュの手を取らないで! 立ち止まったら!! あの時の僕の想いも! 今のこの願いも! 全部嘘だ!!」


 クロはただ、雪斗の叫びを聞き届ける。


「嘘になんかさせない……嘘なんかじゃない!!」


 感情のままに識力が溢れ、肉体の疲労すら誤魔化すように、雪斗の全身に力が漲る。


「——もう何も取りこぼさない! 全部、全部掴むんだ! もう逃げない、目を背けない! この想いは、罪悪感なんかじゃない!!」


 雪斗は、あらん限りに叫んだ。



「僕は未来で、二人の笑顔が見たい!

 ——この想いは、幻なんかじゃない!!」



 想いを叫んだ雪斗を前に、クロは静かに頷いた。


《——お主の想い、しかと聞き届けた。雪斗よ、今ここに、三度みたび誓おう。妾の全てを、お主に捧げると。……今度こそ、真に全てじゃ》


 クロが雪斗の左手に触れ、契約が交わされる。

 それは独善的なものではなく、一方的なものではなく。


 本来開くべきはずの、閉じていた道。それを開くための儀式だった。


《ゆくぞ、我があるじよ。友を救いに》

「——うん!」

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