第18話 根底の願い

 鳴り響くサイレンが。

 絶えず地面を叩く雑踏が。

 無差別に耳に届く雑談が。


 路地裏で息を潜めるレンジュには、全ての音が自分を追いかける者たちの息遣いに感じられた。


「指名手配……いよいよ戻れないわね」


 戻る気なんてどのみちなかったが、強制的に退路を断たれた少女は乾いた唇を曲げて不器用に笑った。


「やっぱり、ユキトを頼らなくてよかったわ」


 初めて会った時は、芯が見えなくて頼りなさそうだった。

 自罰的で、自分に自信がなさそうで。


 けれど、明らかに学生の域を超過した強さで。時々たまに、強情さが垣間見える。


 穏やかで人畜無害そうな顔をしておきながら、たまに出てくる言葉は結構物騒だったり。


 兄弟が沢山いるからなのか、それとも生来の気質なのか、妙に褒めの言葉が手慣れていたり。

 会話の中に否定がないのが、話しやすくて心地よかったり。


「……ちゃんと、友人やってたのよね」


 こうして思い出が去来するくらいには楽しかったし、あの時間が気に入っていたんだと自覚する。


 半月……いや、レンジュが休んだ時間を除くなら一週間だ。

 たった一週間だが、人生で一番濃い一週間だったと、レンジュは思い出を振り返った。


「……何か変わるかもって、何もないのに思っちゃったのよね」


 同じ編入生で、不思議な雰囲気があって。

 レンジュは、二年間の停滞が変わるんじゃないかと根拠もなくそう感じた。


「でも実際、変わったのよね」


 雪斗がいなければ遠出することもなかったし、鏡花と休日に会うこともなく、ブラックマーケットに踏み込むこともなかった。


 そして、不確定な損得勘定で関わったのに、最後は感情で突き放した。

 自分のせいで雪斗が巻き込まれる姿を見るのは嫌だったから。


「事情話しておいて、何を今更って話よね。……でも、仕方ないじゃない」


 話したくなってしまったし、同時に、雪斗の想いも届いてほしいと思ったのだから。


「……携帯、置いていくしかないわね」


 指名手配をされた以上、位置情報がバレる電子機器は持っていけない。

 レンジュは携帯食を咥えながら、最後にチャットアプリの通知履歴を確認した。


「おすすめ漫画100選って……そんなの読んでる時間ないわよ、まったく」


 一時間前、15秒おきに通知を圧迫していた鏡花による怒涛の布教活動に、レンジュは思わず、こんな状況でも小さく吹き出してしまった。


「……いない、か」


 楠木雪斗見たかった名前は、目を凝らしても見つからなかった


「仕方ないわよね。貴方、機械音痴だったし」


 レンジュは携帯をその場に落として、勢いよく豪快に踏み砕いた。


「そろそろ行かないとダメそうね」


 艶やかな紫の長髪を後頭部で一本に縛り、少女は左右の腰に取り付けた露出型写本グリモアケースに一冊ずつ、戦闘用の写本グリモアを差し込んだ。


「ここが正念場よ、レンジュ・レーベック!」


 そして胸に抱えるのは、一冊の写本グリモア

 『鍵』を自称する連中、その取引に乱入して奪取した、研究の


「ママ、パパ。絶対に助けるから!」


 少女は一人、都市の闇へと踏み込んだ。





◆◆◆





「レンジュが、指名手配……!?」


 学術都市の中央区画のシンボル。

 セントラルタワー二十八階のスタジオから流れる、正真正銘レンジュの指名手配を公表するニュース。


「やっぱり見てなかったんだな。俺たちも登校中に見てビックリしたんだ」


 レイもまた動揺しているのだろう。

 早口で捲し立てるように、雪斗の反応を待たずに自分の感情を口にした。


「楠木さ、レーベックさんと仲良かっただろ? だから、なんか知ってんじゃないかって……」

「…………っ!」


 雪斗の脳裏に浮かぶのは、昨日の少女の言葉。


『私は家を、家族を守るためなら手段を選ぶつもりはないわ』


「——全員、席に着いてください!」


 その時、真剣な表情をしたシグナが鋭い声で教室内に指示を飛ばした。


「皆さん既にご存知のようですが、改めて説明します! 本日午前7時48分、治安維持局がレンジュ・レーベックさんを強盗殺人の容疑で指名手配しました。つきましては、今日の授業は全て中止。皆さんには今から事情聴取を受けてもらいます!」


 教室が大きくざわついた。

 教師の口から指名手配という単語が出た時点で、彼ら生徒たちの頭からは“冤罪”という単語が抜け落ち。

 共に学んできたクラスメイトが凶悪犯に堕ちたという可能性がまざまざと突きつけられた。


「現在、治安維持局が本校へ来ています。なので皆さんは落ち着いて席につき、私たちの指示を待ってください」


 淡々としたシグナの指示に、生徒たちは皆一様に不安げな表情で従い席につく。


「…………」


 そんな中、雪斗はただ一人、入り口にほど近い場所で自分の席を……正確には自分の隣の席をじっと見つめた。


「……楠木くん。どうしましたか?」

「…………」

《雪斗よ、腹でも下したか?》


 シグナの問いかけにも、クロの疑問にも答えず。


 雪斗は一度、強く瞑目し。


「早退します」


 たった一言、告げた。


『え——!?』

「待ちなさい、楠木くん!」


 廊下に出ようと扉に手をかけた雪斗の背にシグナが声をかける。


「貴方には特に、残ってほしい。重要参考人ですから」

「すみません。体調が悪いので」


 雪斗は断固として譲らず、パァン! と大きな音を立てて扉を乱雑に開け放った。


「熱でも、風邪でも、インフルエンザでも胃腸炎でも、病状はなんでもいいので、恭介さんに伝えておいてください」

「——私も。早退する」


 雪斗に続いて、鏡花も。

 音もなく、スルッと雪斗の背中を追った。


「有栖川さん、貴女まで!?」


 鏡花が動くことは予想外だったのか、シグナに困惑の表情が滲んだ。


「参考人の事情聴取は、任意。なので、応じない。早退する」

「鏡花、ありがとう」


 雪斗の何に対してかわからない感謝に、鏡花はふわりと。

 傍目には無表情だった。

 けれど雪斗は、少女がほんの少しだけ笑ったことを確信した。


「それじゃ、早退します」


 クラスメイトの困惑も、シグナのも無視して、雪斗は教室を去った。




◆◆◆




「どこ、行くの?」

「まずはレンジュの部屋に行く」


 教室を出た雪斗は、幻影で自分と鏡花の姿を覆い隠した。


「昨日は退学届だけ回収して終わったけど、他にも何か情報があるかもしれない」

「わかった。ところで雪斗」

「なに?」

「昨日の制服、どうしたの?」


 数歩、雪斗の歩行速度が鈍って苦渋の表情が浮かんだ。


「あ、洗って返すから! その話は、今はしないで……!」

「いいよ」

《淡白だのう》


 ただただ雪斗のメンタルを削るだけだった会話を経て、二人と一匹は自然と駆け足に。

 逸る気持ちが速度を上げた。


「雪斗、今日はカメラを誤魔化せない」

「うん。だから強行突破する」

「おお〜。男らしい」

「男らしかったら、僕はこんなに悩んでないよ」


 自虐的に笑う雪斗の視界に、ガラス張りになった女子寮のエントランスが映り込む。


「む。知らないやつがいる」


 不満そうな声を出す鏡花の言うとおり、見覚えのない、軍服にも似た白い制服を身に付けた男女が数人、エントランスを占拠していた。


「治安維持局ってところの人たちかな?」

「多分、そう。レンジュの私物を回収しに来てる。……バトる?」

「鏡花って結構武闘派だよね、乗った!」


 雪斗と鏡花は、同時に写本グリモアを構えた。


「——そこまでだ悪ガキ共」


 瞬間、高らかになった指を弾く音と共に雪斗の幻想が剥がれ落ちた。


「——っ!? 鏡花ストップ!」


 急ブレーキをかけて立ち止まった二人の前に、木陰から、ボサボサな茶髪頭の教師が姿を見せた。


「教室抜け出してどこ行くつもりだ?」

「恭介さん……」

「出た、サボり魔」

《ふむ。雪斗の幻想を弾くか》


 クロは興味深げに、恭介が左手に構える写本グリモアを見た。


《あの写本グリモアかのう?》

「多分、そう。循環系統カテゴリの淘汰」

「正解だ、よく勉強してるな」


 恭介が手元の写本グリモアを開くと、雪斗は自分の識力の拡散が明確に阻害される実感を得た。


 循環の写本グリモアが有する淘汰の性質は、他の写本グリモアが世界に対して与える影響を限りなく無へと帰す。


「恭介さん、どいてください」

「何するつもりだ?」

「レンジュの部屋に行きます」

「世間を賑わす凶悪犯のか?」


 恭介はなおも写本グリモアを開いたまま、ダメだ、と首を横に振った。


「教師として、生徒を危険に晒すことはできねえ。つーかお前らにやれることなんてねえだろ。こっから先は治安維持局の仕事だ」


 大人しく教室戻っとけ、と。

 恭介は二人を追っ払うようにおざなりに手を振った。


「……死体は」


 そんな恭介に、雪斗は俯きながら尋ねた。


「死体は、あったの?」

「あん?」

「被害者は? 盗まれたものは? 犯行時刻は……目撃者は?」


 雪斗は、ニュースの不可解な点を指摘する。


「あのニュースは変だった。レンジュを犯人だって決めつけて指名手配していたけど。どんな事件だったのか、何一つ語られてない!」

「……それで?」


 雪斗の主張を、恭介は大人しく聞いていた。


「レンジュの部屋に、レンジュの無実を証明できるものがあるかもしれない。それを探しに行く」

「なるほど。お前は、治安維持局はレーベックに冤罪吹っかけてると思ってるわけだ」

「うん。だから治安維持局には任せられない。あの人たちより早くレンジュの部屋で証拠を探して、無実を証明する! そうすれば……!」

「まどろっこしい、ボツ


 そこまで聞き届けて、恭介は怠そうに小指で耳クソをほじくった。


「ど素人のお前がガサ入れして何時間かかる? 何日かかる? その間にレーベックが捕まんだろ、ちっとは考えろ」

「それは……! でも、証拠とかないと……!!」

「——履き違えんなよ、雪斗」


 写本グリモアを閉じた恭介は、その手で入れ替えるように煙草を取り、口に咥えた。


「お前の目的はなんだ? なにがしてえんだ?」

「なにって——」

「証拠とか、証明とか。納得させるとかそんな、ガキのお前が考えなくたっていーんだよ」


 不味かったのだろうか。

 恭介はほんの数秒吸っただけで、飽きたように種火を消した。


「くだらねえしがらみとか必要ねえんだよ。お前は考えすぎだし、背負いこみすぎなんだよ雪斗。理屈も、理論も、どうだっていい」


 恭介は、空になったケースを力いっぱい握り潰した。

 教師生活十年目になる男は、導くように、雪斗に告げる。


「雪斗、ガキなんてのはな。テメェのやりたいこと真っ直ぐに叫ぶだけでいいんだよ」

「僕の、やりたいこと……」

「んじゃもう一度聞くぞ、雪斗。何をするつもりだ?」


 その問いに。雪斗は瞑目し、静かに識力を収めた。

 次に、目を開いた時。

 そこに、迷いはなかった。


「——助けたい」


 噛み締めるように、告げる。


「手を取ってくれた。友達だって言ってくれた。いろんなことを教えてくれた! ——僕が、まだ戦えるんだって気づかせてくれた!!」


 全てを諦めた弱虫でも、まだ向き合えると。もう一度償えると。

 レンジュは雪斗に、その目がまだ、完全に閉じきってはいないのだと教えてくれた。


「僕は、僕の大切な人を守りたい!」

「それが、殺人犯でもか?」

「僕は、殺してないって信じてる」

「根拠は?」

「——ない」


 雪斗は、はっきりと言い切った。


「そんなもの関係ない! 今度は、僕がレンジュを助ける番だ!」

「私も、左に同じ。友達を助けるのに、理由はいらない」


 二人の覚悟を聞き届けた恭介は、面倒くさそうにため息をついた。


「——わかった。好きにやれ」


 そうして一通、恭介は雪斗にチャットで圧縮されたファイルデータを送った。


「……恭介さん、これは?」

「レーベックの部屋にあった資料のまとめだ。『鍵』を自称する連中が、この都市で取引をしてやがったらしい」


 当たり前のように『さっき集めてきた』と宣った恭介に、雪斗と鏡花は意外そうに目を瞬かせた。


「レーベックの奴は……まあ、十中八九嵌められたな」

「恭介さん、なんで」

「あん? なんでもなにも、決まってんだろ」


 恭介は心の底から面倒くさそうな顔をしながら、しかしその両目は、澱みなく信念を貫いていた。


「ガキの未来を守るのが、俺たち大人の役割だからな」


 この時、雪斗は。

 不覚にも、恭介のことをかっこいいと思ってしまった。


「教え子がやりてえことあるってんなら、その背中を押してやるのが教師ってもんだ。ってことで——」


 ものぐさ教師は、ニヤリと不敵に笑った。


「雪斗、有栖川。好きにやれ、責任は全部、俺が負ってやる」





◆◆◆





 ——10分後、私服に着替えた雪斗は学園の警備を振り切り、学術都市を一周する“環状リニア”の駅へ向かって全力で走っていた。


《なんで徒歩なんじゃ!? そこは自転車が相場であろうに!》


 雪斗の頭にしがみついたクロが悲鳴を上げる。


《乗り心地最悪じゃ! なんとかならぬのか雪斗!?》

「無理! 僕が自転車乗れないの知ってるでしょ!」

《それはそうなんじゃが……レンジュを見つける前に体力が尽きるぞ!》


 クロのごもっともな指摘に、しかし。

 雪斗は自分に幻想による暗示をかけた。


「疲れとか全部麻痺させる! だから問題ない!」

《それは後回しと言うと思うのだがのう!?》


 桁外れの識力にかまけておよそ限界というものを先送りにした雪斗の強行軍にクロが再び悲鳴を上げた。


『雪斗、調子は?』


 耳に取り付けたイヤホンから聞こえた鏡花の声に、雪斗は意味もわからず笑った。


「最悪! 鏡花は!?」

『いつも通り。準備できたから、始める』

「わかった!」


 二人が選んだ手段は非常にシンプルだ。


 即ち、治安維持局と『鍵』との


 雪斗は現地でレンジュを保護する実働役に。

 鏡花は局のネットワークをハッキングし、撹乱と情報収集を同時並行で行う妨害役だ。


 無罪の証明なんてやっていたら日が暮れる。

 『鍵』を自称する集団もレンジュを狙っている可能性が高く、猶予はもはや、ない。

 だったら全部後回しにして、とりあえず相手を制圧してレンジュを助けよう、と。

 レンジュを信じる二人の、最短最速の救出ルートだ。


『……雪斗。仮に、レンジュがどうするの?』


 鏡花の問いかけ。


「知らない!」


 雪斗は一蹴した。


「殺人犯だろうと誰だろうと、僕にとってレンジュは大切な友達だ! だから、誰がなにを言おうと守る! 絶対に!!」

『……確かに、雪斗の言うとおり。始める、どこから?』

「北区画のカメラをハッキング! まずはレンジュの現在位置を掴んで!」


 雪斗の矢のような指示に、自室に籠った鏡花は、10台のモニターの前ではっきりと笑った。


『準備万端、サポートなら任せて。……この台詞、一度言ってみたかった!』


「——絶対に、助ける!」



 二人の少年少女は、今。

 たった一人の友人のために、学術都市全土を敵に回した。

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