第16話 『鍵』
レンジュが体調不良で早退し、学園に来なくなってから一週間。
終礼の後、雪斗は今日も埋まらなかった隣の席を見て肩を落とした。
「レンジュ、今日も来なかったね」
雪斗が艶のある紫髪を観なくなってから暫く。
会った日の数を、合わなかった日の数が追い越した。
《LINNEに返信は来るのであろう?》
「うん、心配はいらないって。ただいつも同じ返事だから心配なんだよね」
『——ありがとう。私は大丈夫よ、心配要らないわ』と。
ようやく慣れてきたチャットアプリでのやり取りはどこか機械的で、胸に燻る違和感はずっと消えない。
「鏡花はどう? 返事きた?」
「……雪斗、背中に目がついてる?」
今日も今日とて音もなく雪斗の背後に忍び寄っていた鏡花は、返事が来ない自分の会話画面を見て、当社比10%悲しそうな雰囲気を醸し出した。
「風邪引いた時におすすめのアニメ100選を送ったんだけど、既読スルー」
「えっ、なにこれは」
《もはや嫌がらせだのう》
15秒おきに送信された、100件連続で並ぶ怒涛のチャットの波に雪斗が面食らい、クロは半眼を向けた。
「アニメはダメみたいだから、次は漫画で攻める」
「媒体は関係ないんじゃないかな」
《通知欄の圧迫だのう》
雪斗の脳裏になんとなく、額に青筋を立てた後、結局は困ったように笑うレンジュの姿が見えた。
「おーい、雪斗ー。お前ちょっと集合ー」
鏡花の凶行に一人と一匹が慄いていると、いつもは終礼の後すぐに、光の速さで職員室へ帰投する恭介が教室の外から手招きしていた。
「恭介さん……?」
特段連絡事項はなかったはず——と、雪斗は首を傾げながらも恭介の呼び出しに応じた。
「どうしたの?」
「大した用じゃねえ……ってわけでもねえな。お前、レーベックの見舞い行ってこい」
「えっ」
予想外の指示に、雪斗は思わずとぼけた声を出した。
「僕が?」
「アイツ、お前以外にまともな友人いねえからな。配布物も提出物も溜まってるし、ついでに持ってってくれ」
恭介の指示は至極真っ当な、『あ、そういえばこの人教師だったな』と再認識させられるものだった。
が、しかし。
雪斗にはこの用事を絶対に完遂できない理由があった。
「えっと、恭介さん。レンジュって寮住みだから、僕じゃお見舞いに行けないんだけど」
「ん? そんなもんお前の識力で誤魔化せばいいだろ」
「当たり前のように犯罪行為を強要しないで? あと僕の識力で機械は誤魔化せないよ」
確かに雪斗の識力であれば人の目は誤魔化せるが、機械の目は誤魔化せない。
監視カメラに気づかずに侵入すればたちまち“機械にのみ認識される不審者”の誕生である。
「フッ——、話は聞かせてもらった」
呆れる雪斗の背後から、ニュッと。
ニヒルな笑みを浮かべた鏡花が生えてきた。
「一度言ってみたかったリスト、また一つ達成」
「有栖川、お前そんなキャラだったか……?」
恭介の呟きに、ほんのちょっとだけドヤ顔をした。
「普段は、世を偲ぶ仮の姿。こっちが私の真の姿」
《真の姿が思いきり衆目に晒されているが
「よくない。雪斗、目隠しちょうだい」
「遅くない? ……はい、これでいいよ」
雪斗は
「ありがと。改めて——話は聞かせてもらった」
「あ、そこからやるんだ」
「透明人間プレイも捨てがたい。けど、雪斗が停学になるのでボツ」
「うん、そうだね」
変態のレッテル貼りを回避した雪斗が安堵の声を……
「あと、イベント発生には多分、好感度が足りない」
漏らすのは、思いっきり早計だった。
「えっ、なにそれは」
《急に知らぬ単語が生えてきたのう》
「有栖川、お前そんなキャラだったのか……」
頓珍漢全開の鏡花の独壇場に恭介が唖然となって置いていかれる中、渦中の鏡花はグッと親指を立てた。
「なので、ここは正攻法で行く。人の目は、雪斗の幻想で誤魔化す。機械の目は、雪斗が変装で誤魔化す」
「うん?」
鏡花は、嫌な予感に首を傾げる雪斗に向けてブイサインを決めた。
「雪斗が女装する。これで、万事解決」
「えっ嫌だ」
《決まりだのう》
「うし、それで行こう」
「なんで!?!?」
邪道どころか、明らかに道を踏み外すこと請け合いの提案に、雪斗は自分の意識が遠くなるのを感じた。
◆◆◆
そうは言っても、レンジュの容態が気になるのは事実であり。
早く元気になってほしいし、友人の顔を見ていないのは寂しい。
ということで、雪斗は渋々だが女装案を採用した。
「なんで、僕がこんなことを」
星海学園の女子用制服に、クロのウィッグと
今にも泣き出しそうな表情の雪斗は、なんだかんだ女装が様になっていた。
《似合っておるぞ雪斗。胸を張るといい》
「むう、詰め物も用意するべきだったかも」
というか、喋らなければ男だとはわからないくらいには、しっかり女の子になっていた。
雪斗は尊厳とか色々、何かがゴリゴリと削れていく音を確かに聞いた。
「雪斗の幻想、要らないかも」
「絶っっっっっ対に使うからね」
「雪斗、次は矯正器具も使って本格的に——」
「嫌だよ? というか……」
雪斗は自分が身につける星海学園の女子用制服を見下ろし、どこか不満げな鏡花に尋ねる。
「鏡花、この制服どこで買ったの?」
「古書市場」
「もしかして、あの度し難い店?」
そうだが? と頷く鏡花。雪斗は身近に利用客がいたことに膝から崩れ落ちそうになった。
「そんなことより、雪斗。貴方は今から女子寮に潜入する」
「全然そんなことじゃないけど、うん。そうだね」
「なので雪斗、名前を変えよう」
「なんで???」
唐突すぎる提案に、雪斗は否定より先に疑問の声を上げてしまった。
「雪斗、今から貴方は
「嫌だよ?」
「贅沢な子だね。今から貴方は
「それ僕に拒否権はないの?」
「ない」
「嘘でしょ?」
強権で名前を奪われた雪斗は静かに咽び泣いた。
女子寮2号棟のフロントに入ったところで、鏡花が立ち止まる。
「冗談。……私は玄関口までだから、雪斗。レンジュによろしく」
「これ、鏡花が渡せば僕が女装する必要なかったんじゃ」
「そうかも。でも、頼まれたのは雪斗だから」
恭介は資料を託す際、『相手は病人だから会うのは一人にしとけー』と釘を刺した。
体が弱っている時に複数人と会えば、それだけ別の病にかかる危険性が上がるため、恭介の念押しは妥当な判断と言える。しかし、いかんせん白羽の矢が立ったのが雪斗だったのがよくなかった。
「レンジュは、多分。雪斗が来た方が喜ぶ」
「驚くだけだと思うけどなあ」
《雪斗よ、そろそろ行かねば遅くなる》
「そうだね」
雪斗は一度大きく深呼吸して、
「よし!」
覚悟を決めた。
「それじゃ鏡花、また明日」
「健闘を祈る」
親指を立てる少女の激励に頷いた雪斗は、頼りない下半身に虚しさを覚えながらエレベーターに乗り込んだ。
◆◆◆
416号室のインターホンを鳴らしても、レンジュが出てくる気配はなかった。
「寝てるのかな?」
《……いや、起きておるな》
クロは耳を揺らして部屋の中の生活音を捉える。
《居留守を使っておる》
「そっか。それじゃあ……」
雪斗はその場で携帯を取り出し、レンジュに電話をかけた。
日が傾きかけてきた外廊下。
春の夕暮れはまだ肌寒く、雪斗は小さく身震いしながら携帯を耳に当てた。
「…………」
10コール鳴って。20、30と積み重なって。
一向に出る気配がなかったが、雪斗は電話を耳に当て続けた。
——100回か、あるいはそれ以上コールが鳴り響いた頃。
『……普通なら迷惑電話扱いよ』
ようやく、電話がつながった。
「レンジュ、体の調子はどう?」
『LINNEで言った通りよ。ちょっと長引いてるけど心配ないわ』
「なら良かった。いつ頃から来れそう?」
その問いかけに答えるのに、レンジュは10秒以上、たっぷりと時間を要した。
『……そう、ね。明日……明後日までには、行きたいと思ってるわ。というか——』
雪斗の耳が廊下の軋む音を捉えた直後。コンコン、と内側からレンジュが扉を叩いた。
『ユキト、今そこにいるわよね?』
「うん。レンジュの様子が気になったから」
『気になったくらいで規則を破るんじゃないわよ」
電話と扉の向こうで、呆れ果てたため息が微かに、二重に重なって聞こえた。
『……心配かけてごめんなさい』
「うん。動けてるみたいでよかった」
布団の上から動けなくなっているんじゃないかという不安も抱えていた雪斗は、ひとまずは大丈夫そうだと胸を撫で下ろした。
「……レンジュ。本当は風邪、引いてないよね」
『——っ』
扉の奥で、レンジュが息を呑んだ。
「兄弟が大勢いるからなんだろうね。自然と、仮病かどうかって声を聞けばわかるようになったんだ」
『……そう。すごい技能ね』
「あ、勘違いさせてたらごめん。責めてるわけじゃないんだ。レンジュに……っ」
雪斗は、嫌に大きく跳ねた心臓を押さえつけるように胸に手を当てた。
浅くなりかけた呼吸を、無理やり元に戻すように歯を食いしばり、吐き出す。
「——君に恩返しがしたいんだ。なにか、悩んでるみたいだから。君の力になりたい」
『…………』
沈黙のあと。
レンジュはおもむろに、通話を一方的に切った。
「…………ユキト、聞こえる?」
扉の奥から籠って聞こえる声に、雪斗はしっかりと頷いた。
「うん。ちゃんと聞こえるよ」
雪斗とレンジュはお互いに、内と外で、示し合わせたように扉に背を預け、その場に腰を下ろした。
「前に言ったわよね。私も編入生だったって」
「うん、聞いた」
「……ユキト、私ね」
レンジュは、静かに告げた。
「生まれ故郷を守りたいの」
たった一言。
「私は、私の家を守るために学術都市に来た」
重い重い、覚悟が乗った言葉だった。
「ちょっとだけ、昔話してもいいかしら」
「もちろん」
「ありがと。……私の実家は、ギリシャの海沿いの街にあるの」
青々とした地中海に面した豊かな土地だった。
レーベック家は古くからその土地一帯を所有する地主であり、レンジュはその家の一人娘として生を受けた。
「レンジュ、お嬢様だったんだ」
「本当ならね。私が物心ついた頃には、そんな面影どこにもなかったわ」
自虐するように笑ったレンジュは、後頭部をコツンと、軽く扉に押し当てた。
「ユキト、
「えっと、確か授業では……」
《識力を用いて白紙の本に転写する、だったはずじゃ。その際、場所は豊富な地脈エネルギーがある土地が望ましいと》
言い淀んだ雪斗の代わりにクロが答えると、扉の奥でレンジュが頷いた。
「正解よ。そして、私の故郷はその地脈エネルギーが豊富なポイントだった。だから、『鍵』を名乗る集団に狙われた」
「鍵……」
その単語を、雪斗はつい先週の授業で聞いた。
ちょうど、レンジュが体調不良を訴えたあの日、シグナから。
「連中は、ひいお爺ちゃんの世代からレーベック家に圧力をかけてきていたの。企業の皮を被って近づいたり、街の産業を買収したり……あらゆる方法でうちの力を削いでいったわ」
「それは、レンジュが調べたの?」
「ええ。まだ12にもなってない小さい子供だったから、連中の目も甘くなってたんでしょうね。けど、調べるだけじゃ意味がなかったわ」
レンジュは、扉の向こうの雪斗に悟られないように歯を食いしばった。
「三年前、いよいよ家が限界を迎えたわ。あと4年保たないって、お爺ちゃんは言ってた」
土地を欲する『鍵』の力は、レーベック家の想像を遥かに上回る強大さだった。
「四年って……それじゃあ」
「ええ。あと一年、保たないわ。先祖代々守ってきた土地が、ママが大好きだった海辺の小丘が……もうすぐ、奴らに奪われる。……『鍵』は、しきりに『原典を』って繰り返していたわ」
「……!」
少女の言わんとしていることを察した雪斗は、ゆっくりと目を見開いた。
「……ねえ、ユキト」
レンジュは冷静を保とうとして、しかし、声の震えを抑えることはできなかった。
「授業で習った『大いなる鍵』と、私の故郷を奪おうとしている連中、無関係だと思う?」
己の故郷は、破滅の道を辿ろうとしているのではないかと。
かのチェルノブイリのように、死の土地へと姿を変えてしまうのではないかと。
レンジュ・レーベックは、それがなにより恐ろしい。
「私には、もう時間がない」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます