第14話 ひとつの結末

 ——三年前、春——


 それは、唐突にやってきた。

 どこの国の軍にも該当しない、世界最大の写本グリモアシェアを誇る巨大企業、『レメゲトンカンパニー』の私兵たち。


 彼らはある晴れた春の日、なんの通達もなしに武装状態で楠木孤児院を包囲した。


「刻限だ。季一よ、楠木雪斗を引き渡してもらおう」


 胸にいくつもの勲章を威嚇のようにぶら下げた男の通告に、子供たちを院の中に匿った孤児院の院長、楠木季一が玄関前で表情を歪めた。


「要求は突っぱねたはずだよ。とっとと失せな!」

「突っぱねた? 季一、貴様妙なことを言うな?」


 強情な老婆に対して、私兵の男は芝居がかった仕草で大袈裟に肩をすくめてみせた。


「貴様に拒否権などない。ここが誰の金で運営されていると思っている?」

「下手な脅しは効かないよ。アンタらの支援なんざなくとも、ここはやっていけるさね!」

「チッ……、甘い顔をしすぎたか。なら言い方を変えるぞ」


 わかりやすく苛立ちをみせた男は、怒気を孕んだ声で冷酷に告げる。


「カンパニーの金でかき集めた実験動物モルモットを渡せ。ここは、そのための場所だろう」

「お断りだよタコ助共!」


 なおも強く拒絶した季一は、両手に一冊ずつ、懐に隠し持っていた文庫本サイズの写本グリモアを取った。


「餓鬼を殺しの道具になんかやらしゃしないよ!」

「……あくまで抵抗するか、楠木季一よ」

「当たり前だろう。パナマにはお前さんたちだけで行きな!」



 パナマ戦役は、『レメゲトンカンパニー』にとっては苦しい戦いが続いていた。


 ——パナマ戦役。

 後世で史上最悪と語り継がれる、戦争である。

 たった一つ、莫大なエネルギーを有した未開拓の地脈を求めて、あらゆる国と企業がパナマへ兵を投入した。

 その結果、地上には血で血を洗うこの世の地獄が生まれ落ちた。



 軍の練兵で各国相手に劣るカンパニーは、早急に戦線を立て直せる優秀な写本使いアクターを欲し。


 そして、雪斗はこの条件に、奇跡的に強く合致していた。だからこそ召集令状が届き。


 だからこそ、楠木季一は断固としてこれを拒んだ。

 

写本グリモアを手放せ、季一。我らは貴様の手腕を高く評価している。その審美眼は殺すに惜しい」

「だったら大人しく引き下がりな!」

「そうもいかない。真理探究のため、かの地脈はなんとしても我々カンパニーが確保せねばならないのだから」


 そう告げた男はおもむろに、右手を水平に持ち上げた。


 それが合図になったように、孤児院を包囲する私兵たちが物々しい衣擦れの音を立てながら武装を構える。


「さて、先ほども言ったが我らは貴様の手腕を高く評価している。失うのが惜しいのも本心だ。だが……従わない存在をいつまでも生かしておく道理はないな」

「……っ! なんの真似だい、カンパニーの犬が!?」

「そんなこと決まっている。我らは企業だ。採算の取れない部署は解体するのが相場だろう?」


 セーフティーが、外された。


「代わりはいくらでもいる。従わないのなら、実験動物モルモット諸共ここを壊して、楠木雪斗を連れて行くだけだ」

「——ふざけんじゃないよ!」


 実質的なの宣言に激昂した季一が写本グリモアを開いた。


 瞬間、銃声と共に老婆の右肩から鮮血が吹き上がった。




◆◆◆




 院の中から様子を窺っていた子供たちから悲鳴が上がる。


「歳月とは残酷だな季一よ。貴様は弱くなった」


 親代わりの季一が荒い呼吸と共に膝をつき、俯いた老婆の後頭部に銃口が押し付けられた。その光景に、子供たちはパニックになったように騒ぎ立てた。


「院長……!」


 シェードの間から覗いていた雪斗の口からも涙交じりの声が漏れる。


「——楠木雪斗よ!」


 そんな13歳の雪斗の心を抉るように、季一に銃口を押し付ける男が声を張り上げた。


「お前が素直に引き渡しに応じるのなら、耄碌した老婆とこの施設の無事は保障してやろう!」

「……っ!」


 男の脅迫に等しい要求に、雪斗は震えながら唇を噛む。


 ——立て。立って外に出ろ。

 ——じゃないと、院長が死んでしまう。


 頭ではわかっていても、銃を構える男たちから届く感じたことのない威圧感……殺意に。雪斗の体は恐怖に震えて動けなかった。


「来るんじゃないよ雪斗っ!」


 季一が叫ぶ。


「コイツらが素直に約束を守るわきゃないんだ! だから——ゴフッ!?」


 季一の後頭部に銃床が叩き込まれその場に崩れ落ちた。


「黙っていろ、老いぼれ」

「このっ……犬っころ、共が……!!」

「流石にしぶといな、腐っても兵士というわけだ。——さあ、楠木雪斗! 早くこちらへ来い!」


 男の怒声に、ギィィ、と。

 重苦しい音を立てて玄関の扉が開き。

 内側から、一人の少女が姿をみせた。


「……? お前が楠木雪斗か? 資料には13の男だと記載されていたが」


 拍子抜けしたように少しだけ首を傾げる男に、少女——楠木夏希は臆せずに告げた。


「楠木夏希です。兄様の代わりに、私が貴方と共に行きます」



「夏希……」

「夏希ちゃん!?」


 サッシの奥で私兵を相手にそう持ちかけた義妹に、雪斗と、奥でまだ幼い子らを宥めていた義姉、春香までもが声を上げた。


 震え、動かない足。

 二人は、窓の外の光景に釘付けになった。

 


「ダメだな。楠木雪斗の代わりはいない」


 夏希の申し出を、男はにべもなく断った。


「この老いぼれの審美眼は確かだ。そして、中でも楠木雪斗は飛び抜けている。お前では代わりにならない」

「確かに、私には兄様のような識力はありません。ですが、私は七種の系統カテゴリ全ての写本グリモア使えます」

「…………ほう」


 夏希の自己アピールに、男の目の色が変わった。

 銃を背後の仲間に放り投げ、男は懐からタブレットを取り出した。


「楠木夏希、生体番号1071。……確かに、七種扱える」


 男は手で口元を覆い、何言かぶつぶつと呟いた。


「識力は到底及ばないが、それでも実戦に耐えうる量だな。…………ふむ」


 頷いた男は、写本グリモアを開こうとした季一の左腕を踏みつけてタブレットをしまった。


「いいだろう、お前の要求を呑んでやる。おい! 手枷を——」

「必要ありません。逃げませんから」

「お前の自由意志は関係ないんだよ。兵器に枷は不可欠だ」


 手枷を嵌められ、目を覆われる少女は、視界を奪われる直前。


「なつ、き……お前、さんは……!」

「ごめんなさい、院長」


 痛みに悶える老婆に微笑みかけた。


「兄様のことを、守りたかったんです」

「——行くぞ」

「はい」


 去り行く背中。

 雪斗は声も出せず。ただ、血が滴るのにも気づかずにサッシを握りしめる。


「……っ、ぅあ」


 止めに行きたいのに、声を出す勇気がなくて。

 一歩踏み出す力がなくて。


 ただ、情けなく歯を食いしばることしかできない自分に、憤ることしかできなかった。



 ——兄様の声が聞こえない。

 ——兄様の姿が見えない。


 楠木夏希は、それが寂しいと思いながらも、『良かった』とも感じた。


 ——良かった。最後に聞いた声が、涙に濡れていなくて。

 ——良かった。最後に見た姿が、いつもの穏やかで優しい兄様で。


 これで、記憶の中の大事な人はいつまでも愛しいままでいられると。

 楠木夏希は、安心して孤児院を去った。




 ……カンパニーの私兵は、楠木夏希との口約束を律儀に履行した。

 彼らが再三唱えた『季一の有用性』に嘘偽りはなく、また夏希という個人がたとえ口約束であったとしても取引に応じるだけの魅力があったのだろう。


 ——そして最大の要因は、夏希が殉職した場合、今一度雪斗を招集するためであった。


 しかし、最後まで雪斗に声がかかることはなく、二年後の春——つまり、雪斗が学術都市に足を踏み入れる一年前。

 パナマ戦役は、勝者不在のまま終結した。





◆◆◆

 




 月曜日の朝。

 それは多くの学生や社会人、あるいはそれを支援する主婦や主夫の皆々にとって憂鬱であるケースが非常に多い。

 月曜日とは一週間の始まりであり、つまり勉学や労働に従事する日々の幕開けとも言える瞬間だ。


 しかし、その日は。

 学生である楠木雪斗にとっては全く違う、心地よい目覚めの朝だった。


「朝、体が痛くない……!」


 念願叶って届いたベッドからの不自由ない目覚め。

 五日ほどに渡って未完成の鳥の巣のような床での睡眠を強いられてきた雪斗は、体とはここまで自由だったのかと羽のように軽い我が身で存分に背伸びをした。


「筋肉痛もだいぶ治ったし……!」

《朝から騒がしいのう》


 雪斗の足側で身を丸めていたクロは眠たそうに目を擦って大欠伸をした。


《ふむ……7時であれば余裕があるのう。ニュースでも付けるとしようかのう》


 布団からごろんと転げ落ちたクロは、まるで休日のくたびれたおっさんのような仕草で新品のリモコンをいじり、ニュース番組を付けた。


「もう僕より使いこなしてる……」

《お主が機械音痴すぎるだけじゃ。……うむ?》


 テレビ一つに苦戦する主人の機械音痴っぷりに呆れたクロは、ちょうど今流れたニュースに気を取られた。


《雪斗や、これを見よ》

「ん? ……へえ、ブラックマーケットの一斉摘発があったんだ」


 何気なく『そうなんだー』と流した雪斗は、数秒後。


「……え゙っ!? ブラックマーケットの一斉摘発!!?」


 一昨日訪れた場所が一晩で焼け野原になった事実に思いっきり目を剥いた。





◆◆◆




 その日、二年一組の教室では珍しい光景が広がっていた。

 いつも教室の最後尾で本を読むか瞑想するように目を閉じている無口な少女、有栖川鏡花を、編入生である雪斗と、先日までとんとつながりがなかったレンジュが囲っていたのだ。



「……うん。やっぱりこうなってるよね」


 話題が話題であるため、雪斗は教室全体に自分の識力をばら撒き、会話の内容を錯覚させながら苦笑いを浮かべた。


「雪斗、レンジュ。私は、もうここまで」

「本一つ逃したくらいで大袈裟……じゃないわね」


 レンジュ的には正直どうでもいいジャンルなのだが、ブラックマーケットに出向いて危険を冒してまで欲しがったのだ。

 メンタルに多大なショックを受けるのもやむなしだろうと頷いた。


「それにしても、ブラックマーケットって本当に複数あったんだね」

「うん。それは、私も驚いた」


 摘発されたブラックマーケットの中には、当然、雪斗たちが訪れた場所もあった。

 というか、ニュース番組に映った市場の品々が押収される場面。

 その映像が、他ならぬ雪斗たちが行った市場であり、中には『あれ? なんか見た覚えがあるな?』と……つまり、焼肉屋台の大将がいた。


「あの人、本業に影響がないといいね」

「そうね。ご飯自体は美味しかったから複雑な気分よ」


 事情はどうあれ犯罪の片棒を担いでいたのだから無傷とはいかないだろうが、本業の報われなさを想うと少しでも健やかであってほしいと願う雪斗だった。


「……それにしても、急」

「っていうと?」

「市場は、全部神出鬼没。一斉摘発は、生半可な難易度じゃない」


 ——確かに、と雪斗は頷いた。

 鏡花はかの闇市を『移動式古書市場』と呼んだ。

 市場は常に流動し、学術都市の地下を転々と回る。

 そのネットワークは地上からの把握がほぼ不可能。よって、摘発の難易度は違法営業の風俗店や賭博場のそれとは比較にならないのだ。


「それが、10以上一斉に潰れた。これは普通じゃない」

「内部に情報を流した人がいたとか?」

「裏切りは、あり得る。けど、やっぱり10以上はおかしい。たった一人でそれだけ集めるのは……難しい」


 あまりにも不自然だと、鏡花は『シヌマギワファミリー』の入手機会を暫く断たれたことへの怒りから鼻息を荒くした。


「レンジュは、どう思う?」

「…………」

「……レンジュ?」


 鏡花の呼びかけに応じず、レンジュはどこかぼーっとした様子で虚空を見つめていた。


「レンジュ、どうしたの?」

《寝不足かのう?》

「……えっ? あ、なに……ちょ、暗っ!?」


 クロが尻尾で視界を占有すると、ようやくレンジュが反応を見せた。


「ごめんなさい、ちょっとぼーっとしてたわ」

「仕方ない。闇市の摘発は、辛い」

「アンタと一緒にすんじゃないわよ。……で、なに?」

「一斉摘発が、妙だという話。どう思う?」


 鏡花の質問に、レンジュは少し考える素振りを見せた。


「うーん。詳しくはわからないけど、協力者でもいたんじゃないの?」

《ふむ。まああり得る話だのう》


 と、そこで始業準備のチャイムが鳴った。


「チャイム鳴ったわね。それじゃ、また後でね」


 そう言い残すと、レンジュはひと足先に自席へ戻って行った。


「……雪斗、さっきの、なんか変」

「うん。疲れてるのかな?」

「そうじゃなくて……」


 鏡花は、そこで言い淀んだ。


「なんか、変な感じがした」

「そう、かな?」


 鏡花の言う変な感じがよくわからなかった雪斗は首を傾げた。

 そんな彼の様子に、鏡花もまた気のせいだったかと唸った。


「……勘違い、かも」

「そう?」

「怒りは、正常な判断を鈍らせる」

「あ、やっぱり怒ってるんだね」


 相手が治安維持局じゃなければ突撃して奪ってきそうなほどに憤る鏡花に、雪斗は頬を引き攣らせて笑った。

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