第13話 ここに来た理由

「識力そのものが、幻想の性質を……?」


 そんなことがあり得るのかと。

 レンジュは信じられないものを見る目で、自分の前で未だ復活の目処が立たない雪斗を見下ろした。


《恭介の言葉を借りるなら、雪斗は幻想と相性がのだ。幻想系統カテゴリ以外の写本グリモアを使えなくなるほどに、のう》

「……今、幻想のを持つと言ってた」


 鏡花は、当社比なんて言葉を使わなくてもわかるほど『興味津々』と顔に書いていた。


「つまり雪斗の識力は、常に写本グリモアの状態ということ?」

《概ね、その認識でよかろうて》

「……なるほど。それなら、理論上は可能」


 一人、納得したように頷く鏡花。


「ちょっと待ちなさい! 一人で勝手に納得しないで!!」


 理解力で置いてけぼりにされたレンジュが鏡花の肩を揺さぶって、ついでにクロの両頬を挟み込んだ。


「私にもわかるように説明しなさい!」

《ひゃ、ひゃなふのひゃ、へんひゅよ》

「……ところで、クロはどうやって喋っているの?」

「話を脱線させんじゃないわよ! いや、気になるけど……!」


 一度話が逸れたら戻ってこれないことを学習していたレンジュは、無理やりに話題を『雪斗の識力』に固定した。


「で、鏡花はなにがわかったのよ」


 レンジュの問いかけに、鏡花は水筒の残りを煽ってから答える。


「私たち写本使いアクターは、写本グリモアを使う時、識力を写本グリモアに流す」

「そうね」

「その時、写本グリモアを通った識力は、その写本グリモアが持つ情報に


 鏡花は、識力を“白紙の紙”に。

 写本グリモアを“色のついた水”に喩えた。


「紙を浸すと、その紙は浸した水と同じ色になるように」

「……ユキトの識力は、最初っから染まっているってこと?」

「多分、そう。識力がのは、そうした方が情報の読み取り効率が良いから。けど、全ての識力かみは完全な白紙じゃない」


 鏡花は自分と、次いでレンジュを指差した。


「私が物質系統カテゴリと相性が良いように、レンジュが自然系統カテゴリと好相性で、逆に幻想系統カテゴリが使えないように。私たちの識力は、もともとある程度、色が偏っている」

「なんとなくわかったわ。雪斗の識力はその偏りが尋常じゃなく強いのね」

《そうじゃな。そう思ってくれて構わぬ》


 わかった、とは言ったものの。

 レンジュも鏡花も、『理論上は可能』という、本来なら『事実上不可能』とほぼ同義のはずの言葉に当て嵌まる存在が目の前にいるのは中々現実感がなかった。


《これ雪斗、そろそろ起きぬか!》


 クロは自分の前足で雪斗の後頭部をベシベシと叩いた。


「うぐっ……、ぬ、うぁ」


 くぐもった呻き声を上げ、雪斗が芋虫が地面を這うように身を捩った。


《お主が起きねば、次の作戦会議ができぬであろう!》

「わかってる、よ……ぐう」


 雪斗はうつ伏せのまま顔だけを横に向けた。

 辛うじて、という言葉がよく似合う風体で、目線だけ、レンジュたちに向けた。


「二人とも、さっきは急に肩掴んでごめんね」


 雪斗の謝罪に二人は揃って首を横に振った。


「問題なし」

「気にしてないわ。それより雪斗、クロが言ってたことって本当なの?」


 レンジュの疑問に、雪斗は緩慢な動作で首肯した。


「うん。クロの言うとおり」


 雪斗は引きずるように体を起こして、二人の前に右手のひらを広げた。


 そこに、雪斗の識力が集う。


「僕の識力は、これ自体が幻想の写本グリモアと似たような性質を持ってる。触ってみて」


 レンジュは、恐る恐る指先で識力を突き、ピリリと指先を刺激する静電気のような痛みにビクッと肩を震わせた。


「ユキト、今の……」

「うん。模擬戦で使った弾丸と同じように、触れた相手に幻覚を引き起こす」

「本当に、染まってるのね」


 やはりレンジュには信じがたかったが、目の前にある以上本物と認めざるを得なかった。


「——四日前」


 鏡花は、興味深げに雪斗の識力をツンツンと突きながら、四日前のとある出来事について掘り返した。


「四日前、北部空港以外の三箇所……東部、西部、南部の空港で同時にテロがあった」


 唐突な話題転換だったが、この短い時間で鏡花がそういう話し方をすると学習した二人は特に困らずに順応する。


「それって、ユキトとバカ教師が巻き込まれたって、あの?」

「あそこ以外でもテロがあったの?」


 レンジュと雪斗、二人同時の異なる疑問。鏡花はどちらにも肯定の意を込めて首を縦に振った。


「同じ時間に、三箇所同時にテロがあった。そして、そのうち一つの西部空港……雪斗や篠原先生が巻き込まれたテロだけはだった」


 四日前のテロは、鏡花の言うとおり三箇所で、同時刻に発生した。

 実行犯たちが未だに黙秘を続けるために続報がないこのテロは、人的被害こそ出なかったが東部及び南部の空港で滑走路や一部の機体に激しい損壊が発生する程度にはが起こった。


 だが、唯一。

 西部だけは、その小競り合いすら起きなかったと報道されたのだ。


「西部だけはダイヤが多少乱れた程度で、それ以外にはなんの被害もなかったとだけ、ニュースは伝えていた」


 鏡花は目線を雪斗の手元から顔へと上げた。


「雪斗なら、無血で制圧できたはず」

「確かに、話を聞く限りユキトならできそうね」


 写本使いアクターの戦いに写本グリモアが必要という前提条件を覆せる雪斗なら、銃火器を持った相手でも倒せるのではないか。

 常識外の識力と有効射程を目の前で見せつけられた少女二人は、当然のように期待を高めた。


「でユキト。実際どうだったの?」

「制圧したのは恭介さんだよ」


 隠すことでもないし、黙っていろと言われたわけでもない雪斗は素直に頷いた。


「ぼくはちょっと景色を誤魔化して、恭介さんが動きやすいようにしただけ」

「それでも、凄い」


 鏡花がほんの少しだけ口角を上げた。


「小説の主人公みたい」

「…………」


 そんな、鏡花の中でも割と上位に位置する褒め言葉を受け取った雪斗が。


「——僕は、そんな凄い存在じゃないよ」


 レンジュには、ほんの一瞬だけ、とても悲しそうな表情を浮かべたように見えた。




◆◆◆




 三人が学術都市の地上に上がった頃には、外はすっかり夜になっていた。


「濃い一日だったわね〜!」


 夜空に向かってレンジュが大きく背伸びをした。


「ユキトの買い物に付き合うだけの筈だったのに、なんでこうなったのかしらね」

「僕も、地上の地図覚えるより先にブラックマーケットの地形教わるとは思わなかったよ」


 全くもって目的からずれてしまった二人だったが、それはそれとして楽しげに今日の出来事を語っていた。


「『シヌマギワファミリー』は残ってる。ので、なるべく早く稼ぐ」


 鏡花は鏡花で、自分の凡ミスで逃した一品を早急に回収すべく仕事の段取りの確認を始めていた。


「それじゃ、今日はここでお開きね」

《む? 共に帰宅するのではないのか?》


 クロの疑問には、レンジュは『ちょっとね』と言葉を濁した。


「少し買っておきたいものがあるのよ」

「なら、僕もついて行くよ。夜に一人は危ないよ」

「雪斗の言うとおり。私も、行く」


 闇市の常連のまるで説得力のない同意こそあったが、雪斗の発言自体に間違いはない。


 が、しかし。

 雪斗と鏡花の申し出に、レンジュは若干頬を染めてぎこちなく目を逸らした。


「………ぎ」

「ん?」

「下着、買いたいのよ。だからその……ついてこられたら逆に困るわ」


 店の前までの引率だとしても、異性の友人がいる状況で下着を選ぶ度胸はレンジュにはなかった。


「あ、それは……うん。そうだね」


 恥ずかしがるレンジュに当てられたように、雪斗は気まずそうに目を逸らして頷いた。


「鏡花も、雪斗はまだこの辺疎いから。学園前まで一緒にいてあげて欲しいのよ」

「……承知」


 それならば仕方ない、と鏡花も渋々頷いた。

 その後、三人は学園前経由のバス停前へと行き、レンジュはそこで、一人別れた。


「それじゃ二人とも。また学園でね!」


 笑顔で手を振るレンジュ。

 離れて行くその背中に、雪斗はまだ微妙にイガイガと違和感が残る喉を酷使して声を張り上げた。


「レンジュ!」


 足を止めてこちらを向く少女に、雪斗も手を振りかえした。


「今日はありがとう! ——また明後日!」

「そうね! またね!」


 雪斗の横で、鏡花もグッと親指を立てた。


「健闘を祈る」

「余計なお世話よ!」


 顔を赤く怒鳴るレンジュ。そんな彼女の進行方向から、雪斗たちが乗るバスがやってきた。


「雪斗、これに乗る」

「うん。クロも行くよー」

《承った》


 二人と一匹は、レンジュが大通りの角を曲がったのを見届けて帰りのバスに乗車した。




◆◆◆




 バスの中は雪斗と鏡花以外の乗客がおらず、暖房の効きが悪く少し肌寒かった。

 雪斗は鏡花の後ろを歩き、そのまま最後尾の座席に並んで腰を下ろした。


「……雪斗は、なんで学術都市に来たの?」


 二駅ほど過ぎた頃、おもむろに鏡花が口を開いた。


「僕がここに来た理由?」

「そう。ちなみに私は生まれた時からここにいる。から、理由は特にない」


 鏡花の視線は、雪斗の胸元……心臓へと向いている。


「雪斗は、学園で学ぶこと、ほとんどない」

「……そうかな」

「うん。少なくとも、写本グリモア関連の技能は、学生レベルじゃない。……普通のことを学ぶなら、外の教育機関でいい」


 学術都市に来る、しかも、編入という手段を用いてまで。

 学術都市は最先端の研究機関だ。当然、入島における審査は極めて厳しく、住民票の獲得にあたって面倒な手続きが多数存在する。


 そんな様々な面倒事と厳しい審査基準を満たすにはそれ相応の準備と伝手つてが必要であり、必然、雪斗には相応の理由があるはず、と。鏡花は考えたのだ。


「気になったから、聞いてみた。余計だったら、ごめんなさい」


 ペコリと頭を下げる鏡花を横目に、雪斗は少し、窓の向こうに流れる景色を見た。


 故郷では決して見ることのなかった街灯が照らす穏やかな街並みと、遠くに見える、遅々として動かない白亜のビル群。


「……助けたい人がいるんだ」


 雪斗は、ポツリと呟いた。


「その人は、現代医療じゃ手の施しようがなかった」

「最先端の医療を、探しに来た?」

「ううん。“生命”の『原典』を探しに……読み解きに来た」

「……でも、雪斗は」


 その識力の性質上、幻想以外の写本グリモアを読み解くことができない、と。

 鏡花の言外の指摘に、雪斗は緩慢な動作で頷いた。


「うん。だから、まずは読み解くための手段を探すよ」


 ——そのために、ここに来たんだから。

 雪斗は力強く宣言して、鏡花の見えないところで、手のひらが破けるくらい強く拳を握った。




◆◆◆




 ——ゴゥン、ゴゥン。と、重金属にエレベーターの駆動音が反響した。


 日中のお洒落は封印。

 近場の店で買った暗色の長袖とジーンズ、あと顔と髪を隠すようにフード付きのジャージを。


 装備を一新したレンジュ・レーベックは、ただ一人で古書市場ブラックマーケットに戻ってきた。


「ここなら、アイツらの情報も見つかるかも……」


 二年、学術都市を探し回った。

 奪われゆく故郷の景色を守るための方法を。


 雪斗と同じようにという手段を用いてまでこの都市へやってきた少女の、その本懐を果たす契機が。


 『崇高な目的のため』と嘯き、レンジュの故郷を、美しい土地を食い物にする奴らに一矢報いるための“何か”が、あるような予感がした。


「……でも、どうやって探せば」


 衝動的に動いたはいいものの、レンジュは地下に関して素人未満だった。

 できれば詳しい筋に話を聞きたいところだったが、身近な詳しい筋はなんとクラスメイトだった。


「流石に、迷惑かけられないわよね」


 ——地道に行くしかない、と。


「まずはここの店全部を把握するところから——」



「あ〜、いけないんだぁ〜」



 意気込んだ、その背後から。

 甘ったるい、脳の奥がジンと痺れるような声がレンジュの耳元に囁きかけた。


「誰……っ!?」


 反射的に飛びすさったレンジュは、左手で腰に用意していた写本グリモアに触れようと手を伸ばし。


「だぁ〜め。ここで暴れたらぁ〜、怖ぁ〜い人たちにバレちゃうよ〜?」


 声の主の、血のように真っ赤な髪をした女に手を繋がれて動きを制された。


「学生さんが、こぉ〜んな時間に。こぉ〜んなところで〜?」


 獲物に狙いを定めた獣のような双眸が至近距離からレンジュの顔を覗き込んだ。


「なぁ〜にしてるのかなぁ〜、ね? レンジュ・レーベックちゃん?」

「なんっ、名前……っ!」


 女は、悲鳴をあげそうになったレンジュの口元に指を置いて黙らせ、そのまま踊るように市場の裏手へとレンジュを引き摺り込んだ。


「しーっ」


 マウントポジションでレンジュを拘束した女は、右手の指を自分の口に当てて妖艶に笑う。


 見た目と背丈だけでみればレンジュとそう大した年齢差を感じさせない女は、しかし、レンジュの目には底知れない何かを抱えているように見えた。


「貴女、誰なの……?」

「震えちゃって、か〜わいい〜」


 女はクスクスと笑みを深める。


「アタシはただの気まぐれな女の子だよぉ〜。アナタを見つけて、ついついお世話したくなっちゃった、ね?」

「……っ!? なんなの、貴女。私の名前も……何が、したいの?」

「うふふふふふ! そんなに怯えないでよレンジュちゃん。アタシはただ、アナタを手伝ってあげたいだけなのよ?」


 女は唇が触れ合いそうなほどに顔を近づけ、吐息がかかる距離で酷薄に笑った。


の第四世代、その試作品プロトタイプ

「……っ!」


 その単語に、レンジュは思わず息を呑んだ。


「この都市で取引するらしいわよぉ〜?」

「……どこなの」

「ん〜?」


 もったいぶった様子の女を、今度はレンジュが押し倒して馬乗りになった。


「どこで……アイツらはどこにいるの!?」

「うふふふふふふふふふ!」


 泣きそうで、怒り出しそうで、それでいて笑っているような。

 そんなレンジュの狂気にも似た形相に、女は頬を赤らめて嬉しそうに笑った。


「良い“感情”ね、レンジュちゃん。良いわよ、教えてあげる」


 女は冷たい手で、熱くほてったレンジュの頬を撫でた。


「そっちの方が、楽しそうだもの。……ねえ、幻想の王サマ?」

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