第12話 王の片鱗

 学術都市を支える海底ブロックは巨大な倉庫の役割を果たしている。

 また、都市外周部のブロックを筆頭に、中には雨水や海水を受け入れ都市外へ排出する機能を持つものもあり、結果、その基本構造は内部に一定規模の空洞を持つ。


 しかし、都市の頑強さを保証する上である程度入り組んだ構造になることは避けようがなく、結果、迷路のような地形が生まれることもしばしばある。


 雪斗たちが訪れた海底ブロックも例外に漏れず複雑な地形が存在し——要するに、彼らはそこを舞台にめちゃくちゃ逃げ回っていた。




◆◆◆




「アイツら右に曲がったぞ! Qブロックだ! 塞げ塞げ!」

「逃げ足の早え奴らだな!」

「この際だ、他の組とも連携取れ! あの識神は絶対に捕らえろ!」


 四方八方から飛び交う自分たちを追い詰める怒声。

 バクバクを通り越して不規則な挙動を始めた心臓の脈を気にする余裕もないほど、雪斗は全力で走り続けていた。


「いった、いつ、まで……!?」

《喋るでない雪斗! 余計な体力を使うであろう!》


 一体いつまで追っかけてくるんだ、と真っ青な顔で嘆く雪斗。

 運動方面がからっきしの少年の泣き言に、肩に乗るクロが叱咤を飛ばした。


《レンジュと鏡花に遅れをとっておるぞ! おのことして情けないではないか!》


 ——余計な重石おもしがあるんだよ。

 ——楽してないで自分の足で逃げてくれ。


 去来する恨み節を吐く力もなく、雪斗はゼェハァと息を乱して今にも死にそうな風貌で足を動かす。


「ゆ、ユキト! 貴方、あの、あれ!」


 前方を走るレンジュも、雪斗ほどではないが結構限界が近づいてきていた。


「も、模擬戦のアレ! つ、かえば……!」


 スリットをタイプのスカートで良かった、なんて余計な思考を挟みながらも。

 酸欠気味で回らない頭を必死に動かし、やっとの思いで雪斗に提案をぶん投げる。


 レンジュが言ったアレとは、模擬戦でリオウ相手に披露した幻影霧囚ファントムシーフである。

 空間一帯を効果範囲に指定できる幻影を用いて追っての目を誤魔化そう——その意図は即座に雪斗へ伝わった。


「〜〜〜〜っ、くろ……!」

《承った!》


 それだ! と僅かに生気を取り戻した雪斗の声にクロが首肯。

 揺れる雪斗の肩の上で爪を剥き、空間に突き立てる。


《来ませい、幻そ……》


「それは、ダメ」


 直前、鏡花が止めた。

 意外にも一番前をひた走っていた鏡花がペースを落とし、雪斗に並ぶ。


「その力を見られたら、余計に追われる」


 鏡花は息一つ乱さず冷静に諭す。

 少女はほんの2秒ほど頭上を指差した。


「相手は上も使ってる。だから、見られてる」

「……!」


 雪斗の表情が絶望に染まり、彼ほどではないがレンジュも苦痛に顔が歪む。


「じゃ、あ…………っ、……、!?」

「人混みを使って撒く」


 グッと、鏡花が親指を立てて頷いた。


「だから、ファイト」

「む、むりぃ……!」

「ファイト!」


 それまで耐えてくれ、という有栖川鏡花にできる最大限の激励。

 潰えた救いに真っ青を超えて真っ白になる雪斗の顔面。

 しかし、鏡花たちに彼の体調を気遣う余裕はない。


「キョウカ! 前から声がするわ!」

「右は?」

「右も、というか左も!」

「むぅ」


 数の暴力による包囲。

 ドタバタと荒々しく鳴り響く足音が刻一刻と逃げ道を塞ぐ。


 鏡花は学生の身にしては海底ブロックの構造に精通している。が、それはあくまで、という意味だ。

 そこを生業にする者たちと比べて劣るのは道理である。


「レンジュ、写本グリモア用意」

「……、え?」


 意を決した様子もなく、鏡花は淡々と鞄の横についたジッパーを降ろし、中から二冊、新書版の写本グリモアを手に取った。


「強制突破」

「は?」

「バトる」

「ほっ、本気!?」


 息を切らすレンジュの正気を疑う仰天に、鏡花は当然だと頷く。


「逃げきれないなら、散らすしかない」

「それは……っ、そうだけれど!」


 だからといって、あの数相手にそれは無茶だろうと。酸欠の頭でもわかる彼我の戦力差にレンジュが二の足を踏んだ。


 相手は軽く見積もって百人は超えている。

 地の利、人の利は相手に。

 天の利は両者共になく。

 走りっぱなしで体力は削れ、最悪のコンディション。しかもスカートで戦えなんて冗談じゃない。


「〜〜ああもうっ! 仕方ないわね!」


 だがそれ以外に方法がないと、レンジュは腹を括った。

 ポーチから一冊、護身用の写本グリモアを右手に取る。


「どこから叩くの?」

「右。相手に、エレベーターを使うと、思わせる」

「軽く騙すわけね。わかったわ!」


 多少の遠回りになる。

 雪斗の体力が心配だったが、そこはもう耐えてもらうしかないとレンジュは無情にも割り切った。


「キョウカ、突っ込むからサポートお願い」

「——あれ、使うの?」


 彼女が何を使うのかを察した鏡花が目を輝かせた。

 レンジュは振り返らず、前だけ見て頷いた。


「使うわ。『——式、武勇礼賛の拍を鳴らす』」


 ——パンッ! と。

 レンジュの左手が写本グリモアの表紙を叩き、乾いた音を響かせた。


「『汝、喝采の名はいかずち』」


 写本グリモアから火花が散る。

 表紙に触れる五指へと纏わりつくように電雷が弾け、自らの服装を忘れたレンジュが姿勢を深く、の構えを取った。


「おおー、映える」


 識力が渦巻き、バチバチと音を立て光る雷火。

 レンジュの端正な容姿も相まってとても光景に、鏡花が平坦な感嘆の声を上げた。


「『担うは細腕、瞬きの中に閃け!』」


 雷の質量体が出現する。

 目を焼く光と共に、レンジュの右手がしかと、写本グリモアから伸びる剣の柄を握った。


「不意打ち仕掛けるわよ!」

「わかった。飛び道具には気をつけて。……この台詞一度言ってみたかった」

「真面目にやりなさいよ!?」


 四方から追っ手が迫る。

 開戦まで秒読み。

 覚悟を決めたレンジュと鏡花が曲がる、その直前。


「——っ、ふたりとも!」


 二人の肩を、息も絶え絶えな雪斗が掴んだ。


「ユキト!?」

「わっ」


 ギョッとするレンジュと、少しだけびっくりしたように口を開いた鏡花。

 両者異なる反応を、雪斗は思いっきり無視した。


「クロ、のっ……! 見られな、けれ、ば……!」

「ごめんユキト! もう少しだけ我慢——」


 クロの“幻想空間”を見られなければ良いのか——否。

 それは、『見られなければ良いんだよね』というだった。


「だいじょう、ぶ!」


 全然大丈夫じゃない風貌の雪斗は、二人に聞こえるギリギリの声量で『ごめん』と呟いた。


 直後、雪斗の全身から膨大な——並の写本使いアクターならとっくに枯れ果ててしまうほど出鱈目な量の識力が溢れ出した。


「ちょっ、ユキト!?」


 眼前で噴出した膨大な識力にレンジュが目を剥く。

 驚愕に精神が揺れ、顕現寸前にまで至っていた雷の質量体が霧散した。


 雪斗は驚く二人の思考を置き去りに、潰れかけの喉を振り絞った。


「“転写再現リコレクト”——幻影霧囚ファントムシーフ!」




◆◆◆




 その一部始終を、クロという識神を求めて雪斗たちを追い立てていた者たちは見た。


 ……否、見ることができなかった。


 白髪の娘と紫髪の少女がそれぞれ写本グリモアを構え、後者が派手な火花を散らして戦闘態勢に入った、そこまでは、皆が観測していた。


 だが、ヘロヘロになりながら最後尾を走っていた男が少女二人の肩を掴み、何事か囁いた直後だ。



 忽然と、三人と一匹の存在がその場から消え去った。



「なんだ、どこ行きやがった!?」

「探せ! 遠くには行ってねえはずだ!」

「わかってる! でもどうやって!?」


 写本グリモアを発動した気配がなかった。

 そもそも、写本グリモアを手に取る様子もなかったのだ。


 にも関わらず、三人の気配が。

 音も、体温も、呼吸すらも。

 何もかもが、忽然と消え去った。


 まるで、初めから幻でも見せられていたかのように。


「あの猫か!?」

「クソ! なんとしてもウチが捕まえねえと!」


 存在の欺瞞、それがクロの能力ではないのかと。追っ手たちは口々に推測を立て、その力の有用性に盛り上がる。


「上から見ていた私も、欺瞞の範囲に」


 その欺瞞の脅威的な有効射程に、鏡花の予測通り頭上にも展開していた斥候は驚きを隠せずにいた。


 誰よりも俯瞰できる位置にいた。だからこそ、急にそこだけ、世界から底が抜け落ちたように観測から外れたという事実が重くのしかかっていた。


「あまり暴れすぎると胴元から苦情を入れられそうね。悔しいけど、七割撤退させて大人しくしましょう」




◆◆◆




「敵がいなくなった」


 辺りを見回した鏡花は、嘘のように散っていく追っ手たちの背中を見送り、なんの変哲もない自分の体を見下ろした。

 いや、より正確に言うなら真下で伸びきっている雪斗を、だが。


「リオウ・スミスの時に使ったやつ?」

《左様。幻影霧囚ファントムシーフじゃな》


 死に体の雪斗に代わってクロが答えた。


《強度も範囲も、彼奴に使った時とは比べ物にならぬがな》

「今も継続、してる。すごい識力」


 ツンツンと頭を突かれても微動だにしない雪斗から継続的に溢れ出す識力の総量は出鱈目の一言に尽きる。

 三桁を超える追手の目をまとめて誤魔化す大規模な能力の行使と、その維持。


「確かに凄い……。けどおかしいわよ」


 そこに、スカートが汚れるのを許容してその場に座り込んだレンジュが異を唱える。

 


《ふむ。そうかのう?》

「そうなのよ! ユキトの両手は私とキョウカを掴んでた。不触閲覧ブロードヴェールを使おうにも、そもそもクロが幻想空間を使わなかったじゃない!」

「……確かに、そうだった」


 あの瞬間、雪斗が写本グリモアを使うのは不可能だった、というレンジュの意見に鏡花も同意を示した。


 写本使いアクター写本グリモアの力を引き出す時、その写本グリモアに触れているという前提は基本中の基本だ。

 そして、その前提をひっくり返す不触閲覧ブロードヴェールだとしても、自身の近くに対象の写本グリモアが必要不可欠である。


 つまり、写本グリモアと行使者の間に物理的接触、ないし空間のがなくてはならないのだ。


「ユキトの写本グリモアは全部、クロの幻想空間で管理してるんでしょ?」

《……そうじゃな》

「でも、さっきクロは幻想空間を使わなかった。……ねえ、ユキトはどうやって幻影霧囚ファントムシーフを使ったの?」

《…………》


 しばらく沈黙を貫いていたクロだったが、やがて。


《全く、あれほど人前で使うなと言ったであろうに》


 言い逃れはできないと悟ったクロは、自分の主人に対して特大のため息をついた。


《しかし……ふむ。お主ら二人になら言ってもよかろう。これは他言無用じゃぞ?》

「わかったわ」

「任せろ」


 キリッとした表情(当社比)で親指を立てる鏡花にそこはかとない不安を覚えつつも、クロは咳払いをした。


《先ほどの欺瞞に、雪斗は写本グリモアを使っておらぬ。アレは、雪斗の発動したのだ》


「「…………、うん?」」


 意味はわかるが、理解ができない。

 そんな様子でレンジュと鏡花が怪訝な目をクロに向けた。


「クロ、もう一度言ってもらえるかしら」

《うむ。妾たちはこれを『転写再現リコレクト』と呼んでおる。幻想系統カテゴリ写本グリモアに限るが、雪斗は自分の識力のみで写本グリモアの能力を再現できるのだ》

「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!? ……あっ」


 仰天して大声を出したレンジュは、ハッとしたように口を抑えて辺りを見回す。


《安心せよ、レンジュ。今ここは雪斗の影響範囲内ゆえ、妾たちの声は他者には聞こえぬ》

「そ、そう。……い、いやいやおかしいわよね!? なによそれ!? 人間にそんなことできるの!?」

「私も、初めて聞いた」


 写本グリモアを使わずに、写本グリモアと同等の奇跡を再現するという、あまりにも常識からかけ離れたクロの暴露にレンジュは大いに取り乱した。


 

 識力とは写本グリモアを読み取るためのエネルギーであり、断じて、それ単体で奇跡を引き起こせるような代物ではない。

 少なくとも、最新の研究結果ではそう位置づけられている。


「え? だって識力って写本グリモアを読み取るものよね? そうよね、鏡花?」

「合ってる。だから不自然」


 事実、二年前に編入してきたレンジュだけではなく、初等部の頃から星海学園に通っている鏡花にも、“識力のみでの奇跡の行使”は記憶にないものだった。


 道理に反すると言う少女二人の主張を、クロは特に否定しなかった。


《そうじゃな。お主ら二人の知識は間違っておらぬ。じゃが、雪斗の識力なら——こと幻想系統カテゴリにおいては可能となる》

「どういうこと?」

《雪斗の識力は、そのものが幻想の性質を持つ。ゆえに、雪斗は写本グリモア、その識力をもって特定の奇跡を再現できるのだ》

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