第11話 珍しいものは狙われる

「…………羨ましい? 私が?」


 想像だにしなかった発言に意表を突かれ、レンジュは当惑したように瞳を揺らした。


「私は、あなたをぼっち仲間だと思ってた」

「は?」


 揺れた瞳が定まって殺意が宿った。


「こっそり、仲間意識を持っていた」

「マイルドに言い換えても変わらないわよ。……まあいいわ、で? それがなんで羨ましいになるのよ」


 鏡花はそっと、しっかり雪斗を指差した。


「え、僕?」

「そう、雪斗。レンジュ・レーベックは、雪斗と仲良くなった。廊下で喧嘩できるくらい、仲良く」

「廊下で……」

「喧嘩?」


 心当たりがない事象に首を傾げる二人。

 鏡花が不思議そうな顔をした。


「実技の後の、渡り廊下」

「「えっ!? アレ聞かれてたの!!?」」

《ふむ。あれだけ騒げば聞く者もいたであろうな》

「「ぐぬああああああああ……!」」


 唐突に明かされた傍聴人の存在とクロの正論パンチに、雪斗とレンジュは二人揃って悶え苦しんだ。

 その様子を間近で見せられた鏡花は、当社比10%ほど、羨ましそうな目をした。


「羨ましい。私もライトノベル的展開を体験したかった」


「「《………………、うん???》」」


 鏡花から飛び出した斜め上すぎる発言に、羞恥など吹っ飛ばした雪斗たちが錆びたブリキ人形のようにぎこちなく首を傾けた。


「急になんの話よ」

「ライトノベルっていうと、たしか秋音あきねが……」

《うむ。秋音嬢がよく読んでおった小説群だのう。たしか若年層を対象とした娯楽性の高い小説じゃ。近年は読者の年齢層が高くなっておると秋音嬢が——》

「待ってクロ詳しくない?」


 そういえば本好きの義妹が読んでいたなー、程度の認識だったのに、契約している識神からつらつら呪文のように出てきた詳しい説明に雪斗はかなりびっくりした。


「そう、そのライトノベル」


 クロの思わぬ援護射撃に鏡花がまたも瞳を輝かせる。


「時期外れの編入生、実力者、ペット枠、トラブル体質……良い。とても良い」

「有栖川、貴女何言ってるの?」


 レンジュが再び、反対方向へと首を傾げた。


写本使いアクターの存在は、一般人にとってはとても創作寄り。なので、私もそれっぽい立場になってみたかった」

「貴女、何言ってるの?」

「追加ヒロイン枠を狙ってみた」

「会話が通じないんだけど!?」


 理解を試みてもわかる気がしなかった。

 言葉が通じるのに理解ができないという事象にレンジュが頭の奥に鈍痛を抱えた。


《つまりお主は、創作物のような体験をしてみたかったと?》


 何故か一定の理解を示すクロの確認に、鏡花は少し考える素振りを見せた。


「少し違う。賑やかなの、楽しそうだったから。なんとなく、ノリで」

「そ、そうなんだ」


 その場の気分で犯罪の温床に連れてこられたという事実に雪斗は戦慄を覚えた。


「あと、喋る識神は珍しい」

「もう元の話題が思い出せないわね……」


 あっちこっち話題がすっ飛ぶ鏡花に、レンジュはもうそういうものだと割り切って開き直った。


「まあ、確かにクロは珍しいわね」

「やっぱりそうなんだ」

《ふむ。妾は珍しいのか?》


 自身の境遇に無頓着なクロと雪斗に、鏡花はちょっと強めに頷いた。


「希少。SNSでバズるタイプ」

《見世物は嫌じゃぞ!?》

「多分、冗談」

《なんで自分の発言に責任を持たぬのだ?》

「えすえぬえす、って何……?」

「雪斗は早いとこインターネットについて勉強した方がいいわね」


 下手な老人よりもネット世界に疎いのはまずいだろう、と。レンジュは雪斗本人より強く危機感を抱いた。


「……で、結局私たちなんの話してたんだっけ?」


 しっちゃかめっちゃかになって収集がつかなくなった会話を無理やり打ち切り、レンジュは当初の話題に立ち帰ろうと頭をひねった。


「このあと、初版おたから探しをする」

「絶対違ったと思うけど、もうそれでいいわ。どうやって探すの?」

「…………」


 レンジュの質問に、鏡花は意外そうに何度か瞬きを繰り返した。


「来るの?」

「行くわよ。こんなとこ一人で歩かせるなんて寝覚めが悪いじゃない。あと、どんなものが売られてるのか興味あるわ」


 慣れているからといって放置はできないし、レンジュの目的のためにも薄暗い場所への知見は深めておきたかった。

 だが、そんなことは知る由もない鏡花には、レンジュの興味の持ち方は意外の一言に尽きた。


「レンジュ・レーベックが興味を持つのは、びっくり」

「長ったらしいからレンジュで良いわよ。私もキョウカって呼ぶから」

「!」


 ——ほんの少し、ピクッと。

 鏡花の耳が震えた。


「——わかった、レンジュ。雪斗は……来る?」

「もちろん。僕も気になるし、あと帰り道がわかるのって鏡花だけだしね」


 帰るつもりはないが、帰りたくても帰れないのだ。


「……盲点だった」


 無表情の中に少しだけ『しまった』と滲ませた鏡花だったが、それ以上に『早く行こう』と目が訴えていた。


「いざ、楽園へ……の、前に。二人にお願い」

「「うん?」」


 一歩踏み出す前に、鏡花は若干目を逸らしながら二人にとあるお願いをした。


「私が目移りして無駄遣いしそうになったら、なんとか止めて」


 ——オタクは自制心がない、と。

 鏡花は自信満々に自信のなさを宣言した。




◆◆◆






「一生の、不覚……!」


 場所は変わらずブラックマーケット。


 検閲対象、あるいは禁書指定、特定の国における輸出入の禁止など。

 様々な理由で表の世界では流通が滞る写本グリモアではない本の数々が並ぶ区画。


「有栖川鏡花、人生最大の失態……!」


 酸化した紙やインクの独特な香りが漂う道で、鏡花は武士のような口調で己のミスを悔やんだ。


 趣味のことになるとブレーキが外れる少女の特性ゆえに、普段よりもテンションが高いのに落胆しているというなんとも奇妙な構図だった。


「見つけたのに、資金不足……!!」


 鏡花が荒ぶっている理由は、彼女の目的の品である『シヌマギワファミリー』シリーズの初版絶版本にある。


 タレコミの通り、件の品は確かにこのブラックマーケットに運び込まれていた。


 ——しかし。


「ちょっとだけ足りなかった……!」


 有栖川鏡花は、重くなった背中のリュックサックと共に崩れ落ちた。


「「《いやいやいやいや!》」」


 そんな彼女に、雪斗たちから総ツッコミが入った。


「鏡花が僕たちの静止を無視しただけだよね!?」

「私たち、ちゃんと止めたわよ!? でも貴女が『大丈夫! この一冊だけだから!!』って見たことないくらい真剣に突っ走ったから!」

《終いにはものすごい勢いで十数冊買い込んだのう》


 当初用意していた軍資金は、確かに狙い通り、件の品を射止めるだけの余力があった。

 だが、道の両脇を席巻する無数の本を前に鏡花の本能が荒ぶった結果、衝動買いに走ったのだ。


 雪斗たちの必死の静止も届かず、目的の『シヌマギワファミリー』が見つかった時には、既に手持ちの金では購入が不可能になっていた。


「仕事を、増やさねば……」

「貴女、反省って知ってる?」

「反省したので、仕事を増やす」


 鏡花は当社比、悔しそうにほんの少しだけ肩を落とす。


「次は寄り道してもいいように、稼ぐ」

「解決方法が脳筋すぎるのよ。なんのバイト?」

「バイトは、してない」


 鏡花は携帯に自分のHPホームページを表示した。


「不定期の仕事」

「「修理屋……?」」

「そう。機械の修理をやってる」


『迅速対応!』と銘打たれたホームページには、携帯やタブレット、ラジオやテレビなど様々な機器の修理を請け負うと書かれていた。


「へえ……手先が器用なのね」

「趣味の延長。大将とはこれで知り合った」


 ちなみに“大将”というのは依頼時のハンドルネームであり、以降、鏡花は彼をその名前で呼称している。


《ふむ、顧客と提供者の関係であったか》

「大将が自転車操業だから、焼肉払いで対応した」

「あの人が比較的良心的な人で良かったよ」


 場合によっては犯罪に巻き込まれたりする危険があったのでは、という雪斗の危惧に鏡花が首肯した。


「当時は肉に飢えていた」

「もうちょっと気をつけなさいよ」


 呆れ声のレンジュの、そこに含まれた自身を心配する声色に鏡花はほんの少し口角を上げた。


「善処、する。ところで」


 鏡花のつぶらな瞳がクロを捉える。


「雪斗、喋る識神は珍しい」


 心なしか軽い足取りで、そう話を蒸し返した。


「喋る識神の存在自体は古くから確認されてる。けど、識神の母数と比べればとても少ない」

「そうね。骨は折れるでしょうけど、事例自体は頑張れば数だと思うわ」


 膨大な時間をかければ不可能ではないとレンジュは言う。


 当然、その数は100や200では効かないだろう。

 それだけ人類が写本グリモアと接してきた時間は長い。

 だが逆に、長い歴史の中で。一学生であるレンジュが『集めきれそう』と言える程度には、人語を介す識神というのは珍しい。


 そも、識神の起源を考えれば『人語を介す』ことの特異性が際立つのだが、今の雪斗たちはそこに考えを至らせるだけの思考はなかった。


「つまり、クロはとても珍しい存在ってこと?」

「そう。なので、ちょっと不味い」

「ん?」


 どうにも妙な方向に話が進み始めたぞ? と、雪斗の中の何かが警鐘を鳴らした。


「ここは、ブラックマーケットだから」

「うん……?」

「比較的平和でも、はいる」

「キョウカ、はっきり言いなさい」


 迂遠な言い回しをする鏡花に、レンジュが結論を急がせる。


「何がヤバいの?」

「クロは珍しい写本グリモア。なので、狙われる」


「「《…………》」」


 にわかに。

 雪斗たちの表情が青ざめ、大量の冷や汗が肌を伝った。


「えっと……それはさ、鏡花」


 雪斗は、ちょうど自身の視線の先にいる、屋台骨からこちらを覗く明らかに怪しい、全身黒ずくめの男たちを指差した。


「あんな感じの人たちに、ってこと?」

「そう。あと、あんな感じの人たちにも」


 雪斗の視線とはちょうど反対。

 鏡花が指差した方向では、ガラの悪いチンピラのような集団が雪斗たちにガン飛ばしてきていた。


「他にもあんな感じの奴らに、ってことよね?」


 チンピラから向かって右側、レンジュの視線の先では、白衣を着た明らかにマッドな気配を漂わせる一団が荒い呼吸でクロに狙いを定め。


《……此奴ら、全員妾を狙っておると?》

「多分、おそらく、きっと、そう」


 この上なくふわふわな鏡花の肯定は、この場においてはクロの恐怖を加速させるだけだった。

 そもそもの話。ブラックマーケットを利用する客も、店を出す者も。

 どんな事情があるにせよ、違法なものに手を出している時点で、ある程度ブレーキが壊れていることは明白である。


 ——目標は?

 ——あの黒猫だ。他所より先に奪い取れ


 包囲を敷く相手の囁き声が雪斗たちの耳に届いた。

 当然のように。狙いはクロだったらしく。


「囲まれた。迂闊、私のミス」


 つまるところ、雪斗たちは大ピンチだった。


《ゆ、雪斗!》


 獲物と見定められた——本能の直感に、クロの全身の毛が逆立つ。


「えーっと。……うん、逃げよう!」


 冷や汗ダラダラの雪斗に皆が頷いた。

 合図はなく、三人、同時に全力疾走。


「逃すなっ!!」


 敵意と無数の足音が爆発的に膨れ上がる。


「——アイツらをとっ捕まえろ!!」

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!』


 ブラックマーケットを舞台に、大規模な逃走劇が幕を開けた。

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