第10話 要するにブラックマーケット

 持ち込まれた照明によって空間の下部のみが照らされる、異質な黒鉄の世界。


 幾重にも束ねられ、折り重なり。

 計算し尽くされた鋼は、まるで蜘蛛の巣のように緻密に噛み合い、学術都市が海の上に聳え立つことに疑いの余地を与えない。


 都市を支える金属の床を叩く、薄暗い訪問客たちの靴音。

 どこか淀んだ空気を感じずにはいられない、重苦しく閉塞感漂う景色に、雪斗は無意識の緊張で生唾を飲み込んだ。




◆◆◆




 クラスメイトに案内された先が、ブラックマーケットだった。

 状況を整理しようにも、のっけから意味のわからない字面すぎて整理のしようがない。


「恭介さんも流石にブラックマーケットには来たことないんじゃないかなー」


 半ば現実逃避で、ここには居ない不真面目教師の名前を出す雪斗は、横で天井を見上げるレンジュを見た。


「ちなみに、ブラックマーケットって……」

「闇市よ。広義の意味でのね」


 レンジュはその存在を、噂程度ではあるが聞き齧っていた。


「早い話が、学術都市の暗部よ。世界中から集まる出所不明の写本グリモアとか、それ以外にもいろんな骨董品とか。ものによっては国際法に違反するような代物が売買されているって。そうよね?」

「大体、正解」


 レンジュから目配せを受けた鏡花が二人を先導する。


「けど、ここは、持ち主不明の写本グリモアみたいなものは、少ない。一般文芸の絶版本とか、の品が多い」


 鏡花の説明に雪斗が周囲へ目を動かすと、確かに。

 銃火器や写本グリモア、その他麻薬など。

 一般に想像できる違法性の強い品々は確認できず。


 見える範囲にあるのは、なんらかの骨董品や、正しい意味での古本など。

 女子用制服を陳列する、別の意味で違法性が強そうな度し難い店こそあったが、それ以外は概ね、裏通りの延長のような陳列であった。


「ここは、まだ浅瀬。動員されている戦力も民間警備会社だし、違法性は低い場所」

「もしかして、ブラックマーケットって複数あるの?」


 雪斗の質問に、立ち止まった鏡花は否定も肯定もせず。じっと雪斗の双眸を見据えた。


「あるけど、ない。シュレディンガーの猫」

《呼んだかのう?》

「「クロは違うでしょ」」


 ガッツリ観測されている猫は無視。

 鏡花は携帯で誰かにメッセージを送りながら話を続けた。


「古書市場は、移動式。学術都市全土を転々とする、本拠地がない市場。他の市場を、私は噂でしか知らない」

「普通、噂でも知らないものだと思うんだけど?」


 レンジュのツッコミに鏡花は真顔で頷いた。


「噂でしか、知らない」

「ごり押すな」


 あると言われている。だが、その存在を殆どの者が知らない。このブラックマーケットのですら、その他の古書市場の動向を知らないのだ。


「貴女の謎の情報経路は後で問い詰めるとして。で? なんで私たちをここに連れてきたのよ」

「言った。イチオシの店を紹介するって」

「その関連性が見えないのよ……って」


 ずんずんと前を進む鏡花の姿に、レンジュは追求を断念。小柄なクラスメイトを横目に捉えながら、雪斗に小さく耳打ちした。


「私服で来て良かったわね」

「やっぱり、制服だったらまずいの?」

「そりゃそうよ。正直この服じゃ浮きがちだけど、制服よりはマシね。なにを取り扱ってようが、闇市ここ自体が違法だもの」


 そんな場所を、まるで常連であるかのように平然と突き進む鏡花。

 よく知らなかったクラスメイトのぶっ飛んだ一面に、雪斗たちは驚き続けながらもその背中を追っていった。




◆◆◆




「ついた。ここ」


 5分ほど歩いた先で、ぴたりと足を止めた鏡花が二人を振り返った。


「私のイチオシ」


 少しだけ誇らしそうに平たい胸を張る鏡花の背後に垂れる赤い暖簾。

 木製の移動式屋台から漂う、芳しい肉の香り。


 周りが写本グリモアや骨董などなものを取り扱っている中、明らかに異端な店構えに、雪斗は驚きよりも先に疑問を噴出させた。


「ここって……屋台、だよね?」


 周りから明らかに浮いている、なぜかチャルメラを鳴らす屋台に、目の錯覚ではないかと、雪斗は自分の目を擦ってみた。


「焼き肉屋だ……」


 目の錯覚や幻覚の類ではなく。

 しかも、炭火タイプの本格的な焼き肉屋だった。

 ブラックマーケットの中に、喧しくチャルメラを鳴らす屋台が陣取っていた。


「焼き肉の屋台ね。意味わかんないわ」


 レンジュも同様に、赤い提灯と赤い暖簾を下げた景観ガン無視の屋台に困惑の表情を浮かべていた。


「大将、来た」


 立ち尽くす二人をそのままに、鏡花は暖簾を潜る。


「おうちびっ子、よく来たな!」


 屋台の向こう側で鏡花を迎えたのは、白のタンクトップがはち切れんばかりの筋肉を携えた強面コワモテの大漢。

 タオルを頭に巻いて煙に汗を流す仕事人の歓迎に、鏡花はほんの少しだけムッとしたを出した。


「0.3mm伸びた、もうチビじゃない」

「誤差みてえなもんだろ! 後ろの奴らはツレか? 珍しいじゃねえか」

「そう」


 暖簾から顔を出して手招きする鏡花に従って、雪斗とレンジュは暖簾の内側へ。

 三人は雪斗を挟むようにしてパイプ椅子に腰掛けた。


「この人が大将。焼き肉屋の店主、私の行きつけ」

「よろしくな、ガキンチョ二人!」


 鏡花による箇条書きのような紹介を受け、屋台の大将は豪快に笑った。




◆◆◆




 結論から言うと、屋台の肉は雪斗とレンジュの胃袋をガッツリと掴んだ。


「美味しかったわねー」

「うん、美味しかった」


 何故か存在した“学生食べ放題プラン”にて、お手頃価格で腹を満たした三人は。側から見てもわかりやすい満足感を醸し出しながら、古書市場のメイン通りを進んでいた。


《いよいよもって、こんな場末で店を構えている理由が分からぬな》


「大将、本業が薄給」


 脂身少なめの部位を貰ってご満悦のクロの疑問に、先頭を進む鏡花が答えた。


「会社、副業禁止だから。ここで焼き肉屋やってる」

「「思ったより切実な理由」」

《世知辛い世の中だのう》


 真っ当ではないが、生きるため苦肉の策なのだろう。

 しかし、それでも雪斗的には『いやなんで焼き肉屋?』と疑問符を浮かべざるを得なかった。

 仕入れとか、お手頃値段設定とか。

 深掘りしたい謎が山積みだった。


「また来たいともう来たくないがせめぎ合うことってあるんだね」

「真っ当な場所にお店があれば、ね」


 味は文句のつけようがないが、場所には文句しかなかった二人の切なる願いだった。


「——で、有栖川」


 ため息一つで意識を切り替えたレンジュは、自分をこんなところにまで呼び込んだ張本人である鏡花をジロリと睨みつけた。


「結局、あそこを紹介したくてこんなところ古書市場に来たってことでいいの?」

「違う」


 尋問に対して、鏡花の否定は速かった。


「おすすめは、本当。けど、本命は別」


 道のど真ん中で立ち止まった鏡花の目の色が変わる。

 平坦な無表情。スン、と、どこか無感動な色味があった今までの少女の双眸が、ギラリと。

 雪斗には、肉食獣のそれになったように見えた。


「昨日、さる筋大将からタレコミがあった。——『シヌマギワファミリー』シリーズの初版絶版本が見つかったと……!」


 目を輝かせて鼻息を荒くした鏡花の口から飛び出た奇怪な単語に、雪斗たちの脳は、瞬間、理解を拒んだ。


「死ぬま……え?」

「何よその物騒な名前!?」


 その驚きに、鏡花の目が爛と輝いた。

 分からないことは聞く。

 レンジュのそれは当然の反応だったが、この瞬間においては最悪手だった。


「シヌマギワファミリーは2029年刊行の大判サイズのライトノベル第一巻刊行直後からあまりにも攻め攻めなブラックパロディの数々が話題を呼んだ大問題作有志のカウントだと作中の実に六割がパロディで構成されていて『編集は何故これを許した』と疑問と怒りの声が噴出し最終的には一週間で回収と絶版が決まったその回収の速さと初版流通の少なさから現存する紙媒体は極めて珍しく保存状態によっては非常に高値で取引される今回入荷したと噂の品は保存状態こそ並だけどリーフレット付きとのタレコミがあったから是が非でも確保したい」


「「《……………。》」」


 絶句だった。


 片言の箇条書きのような普段の口調から一転。

 頬を紅潮させながら、澱みなく、つっかえることなく長文を言い切った鏡花。

 その変貌ぶりと驚異の肺活量に、二人と一匹はただ圧倒された。


「……元々、それを狙って来た」


 コホン、と喉の調子を整えた鏡花は、再び無表情に戻り。当社比5%ほど恥ずかしそうに目を泳がせた。


「雪斗とレンジュ・レーベックに会ったのは偶然。けど、せっかくなので、誘った」

「な、なるほど」

「貴女、そんなに舌が回るキャラだったのね」


 鏡花は普段、当然のように学内で誰かと言葉を交わすことをしない。

 授業中に教師から指名されても最低限しか喋らず、極限まで他者とのコミュニケーションを避けている。

 そんな彼女の思わぬ一面に、レンジュは今日何度目ともわからない驚きに見舞われていた。


「……嘘ついた」

「ん?」


 だが、続く鏡花の発言は、レンジュにそれ以上の驚きをもたらした。


「レンジュ・レーベック。あなたが羨ましかった」

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