第9話 移動式古書市場

 後藤田という癖の強い店員によって精神的ダメージを受けるという被害こそあった雪斗たちだったが、以降は特段問題なく買い物することができた——とは、お世辞にも言い難かった。



 一階のフードコート。

 ちょうど昼に差し掛かるこの時間帯は大混雑の様相を呈しているが、雪斗たちは運良くテラス席を確保。なお、二人揃って机に突っ伏して疲労困憊だった。


「あの人、なんで行く先々に現れたの……?」

「もう怪異ホラーよあんなの。ゾンビパニックの100倍怖かったわ。私、暫くここ来たくない」

《激しく同意するのう》


 二人と一匹をここまで追い込んだ犯人は、言わずもがな。発作を起こして連行されたはずの女性店員、後藤田である。

 彼女はベッドのみならず、机、本棚、カーテン、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジなどなど、あらゆる売り場に出没しては様々な商品をアピールしては連行されていった。


《妾を娘扱いし始めた時は、さすがの妾も恐怖を感じたのう》

「「思い出しただけで震えが止まらない」」


 最後のほうなど執念じみた追跡力で雪斗たちを先回りする後藤田をつまみ出すため、雪斗とレンジュの二人に専属の店員が付く始末である。


《あれだけ暴れておきながら解雇されぬのだから不思議なものじゃな》

「よっぽど優秀なんでしょうねー。私たちには恩恵皆無だったけど」

「夏場の蚊より鬱陶しかった……」


 およそ人に対するものとは思えない評価を口にする雪斗。が、レンジュもクロも咎めることはなかった。

 買い物中、下世話極まりない視線に晒されたのだからその心的負担は押して知るべし。


 朝に感じたテーマパークに来たような興奮はどこへやら。今、二人の胸中にあるのは妖怪の巣穴に対する恐れだけだった。


「この後どうしよっか? 予定通りなら食器とか日用品を揃える流れだったけど」

「それは行きましょ。今日中に全部済ました方が後で楽になるわ。でも……」


 Lサイズの紅茶ラテを音を立てて飲み干したレンジュがやさぐれた態度で大きなため息をついた。


「ここはやめましょう。あの化け物が顔を出す未来しか見えないわ」

「同感」


 たとえ違う階、違う担当区域であっても間違いなく現れるという嫌な信頼がそこにはあった。


「お昼はどうする?」

「それも移動先にしましょう。ここ、混みすぎて雪斗が迷子になるわ」

「確かに、間違いなく」

「堂々と情けないこと言わないでよ、全く」


 ツッコミのキレは精神的疲労からだいぶ低下していた。


《では早々に移動するとしよう。席を占有し続けるのは他の者に申し訳が立たぬしのう》

「だね。次もよろしく、レンジュ」

「まっかせなさい!」


 雪斗のお願いに胸を張って頷いたレンジュは、心機一転、張り切って次の目的地の精査を始めた。


「どうする? 日用品と食器……あ。ユキト、お風呂とかどうしてたの?」


 まさか入ってないなんてことないでしょうね? と訝しげな視線を向けるレンジュに、雪斗はブンブンと首を横に振った。


「ちゃんと入ってるよ! 歯ブラシとかは寮のコンビニエンスストアで買えたから! いや、なかったら実際危なかったんだけどさ」

「入ってるならいいわ。あとコンビニで通じるわよ」

「みんなそう呼んでるんだ?」


 孤児院にいた頃は縁がなかった結果、携帯の検索結果に出てきた名前をそのまま読んでいた雪斗だった。


「なら優先は……やっぱり掃除道具かしら?」

「だね。あとはクロの餌かな」

《食事と呼ばんか!》


 議論の結果、食器類は後回しに。掃除用具などを優先的に購入することになった。


「それじゃ、少し離れるけどホームセンターに行くわよ!」

「おー!」

《妾のご飯も忘れずにな!》

「クロ、もしかしてお腹減ってる?」

《カリカリだけでは飽きるからのう》


 まったく贅沢な飼い猫(識神)である。




◆◆◆




「学術都市って最先端の技術が集まるでしょ? 外からだと理想郷って言われることもあるらしいんだけど、実は色んな技術の実験場って側面もあるのよね」


 大通りから外れたビル群の裏。

 背の高い建物の背面に囲まれた陽の光が届きづらく薄暗い道にて。


「色んな場所で常に新しいことが試されてるのよ。当然、建築方面も。だから昨日まであったお店が突然閉まったり、改装工事を始めることもあって——」


 雪斗を先導するように数歩先を歩くレンジュは、聞かれてもないことを話すという珍しい饒舌ぶりを披露する。

 基本、雪斗の疑問に答える形で話していた彼女らしからぬ挙動。

 その表情は得意げでありながら、しかし確かな焦りから冷や汗を滲ませていた。


「ね? だから昨日まであった道がなくなってたり、行き止まりになってることもよくあってね?」


 明らかに真っ当な道から外れた、とても治安の悪そうな灰色の道のど真ん中で。

 レンジュは小刻みに震えながら言い訳を並べてゆく。


「だからその、アレなのよ。この先にちゃんと道は続いてて、すぐに目的地に……」

「あの、レンジュ?」


 黙りこくってしまったレンジュを心配するように雪斗が声をかけると、立ち止まった紫髪の少女は非常に、それはそれは非常に申し訳なさそうに振り返りながら項垂れた。


「ごめんなさいユキト。めっちゃくちゃ迷ったわ」


 レンジュの謝罪に、雪斗とクロは。

 ビルの隙間から覗く皮肉にも青々と澄んだ空を仰いで肩を落とした。


「《どうしてこうなった……》」



◆◆◆



 発端は、レンジュの持つ携帯のGPS不良だった。

 いや、それより以前から工事による道の封鎖や景観の変化によってレンジュの脳内地図が使えなくなったりと兆候はあったのだが。


 要するに、雪斗たちは未知の場所を携帯アプリの地図を頼りに移動していた。しかし、命綱である位置情報に不具合が生じていた結果、見事に見たこともない道に迷いこんでしまったのだ。


「うー、あれだけ威勢よく啖呵切ったのにー!」

「道も色々変わってたみたいだし仕方ないよ」

「でも……!」

「大丈夫だよ、レンジュ」


 元きた道を見つけようと必死に地図と睨めっこをするレンジュに、雪斗は優しい声音で言った。


「レンジュ、前に言ってくれたよね。友達なんだから迷惑かけてもいいって」

「…………。言ったわ」

「お互い様って言ったのはレンジュなんだから気にしなくていいんだよ」


 不服そうに頬を膨らませるレンジュ。その珍しい表情に雪斗は堪えきれずに笑ってしまった。


「まあ、僕は迷惑だとは思ってないんだけどさ」

「だから申し訳なくなるのよ!」


 雪斗がこの状況すら楽しんでいるのはレンジュの目から見ても明らかだった。

 知らない場所、知らないこと。

 未知に対する興味を抑えきれていない……探究心という写本使いアクターの素養に満ち満ちていた。


「まあ、貴方がそう言うなら、案内役としては何も言えないんだけど」


 どこか納得のいっていない様子のレンジュは、雪斗を手招きし携帯の画面を共有、真剣な表情で地図と睨めっこを続ける。


「それでも買い物も途中だし、なるべく早く戻りたいわよね……」

《ふむ、それはそうだのう》

「携帯、地図にもなるんだね」

「えっと、ここから一番近い道は……」


「——レンジュ・レーベック」


 そんな彼らの背後から、レンジュのフルネームを呼ぶ声がした。


「へ?」


 呼ばれることを想定していなかったレンジュが、間抜け声を出して反射的に振り返る。

 それにつられて一足遅れて振り返った雪斗たちの前にいたのは、朱色の混じった白髪の小柄な少女。


 上下ジャージに履き潰したスニーカー、背中には大きなリュックサックと機能性に全振りした装い。

 その端正な無表情に、雪斗は見覚えがあった。


「あれ。確か同じクラスの——」


 雪斗の呟きに、少女はコクリと頷いた。


有栖川ありすがわ鏡花きょうか


 平坦な抑揚で名前を告げた鏡花は、雪斗とレンジュ、あとついでにクロへと順繰りに視線を巡らせてから、コテンと首を傾げた。


「デート?」

「違うわ。ユキトの買い物の付き添いよ」


 レンジュの滑らかな否定に、鏡花は『そう』とさして興味がない様子で流して雪斗に視線を向けた。


「楠木雪斗。なに、買ったの?」

「ベッドとか、生活必需品かな。恭介さんが申請忘れてたやつ」

「アレを信頼するのは、悪手」

《生徒にアレ呼ばわりされる教師とはどうなのだ?》


 尊厳とか威厳とかいろんなものが死んでいることは否定できないだろう。

 後見人をアレ呼ばわりされた雪斗は苦笑い。

 鏡花はなおも無表情で、今一度首を傾げた。


「でも、ベッドとか。この辺じゃ買えない」

「うん。だからその辺はモールの方で買ったよ」

「なら、なんでこんなとこに?」

「「うっ、それは……」」


 鏡花の純粋な質問に、途端、雪斗とレンジュが揃って呻き声を上げて顔を覆った。


《色々とあったからのう》

「色々?」



 思い出すのも嫌だ、と説明を拒否する二人に代わり、クロが事のあらましを説明した。


「化け物?」


 全てを聞いた鏡花の反応は非常にシンプルだった。

 少女の直球の感想に、雪斗とレンジュ、あとクロも揃って胸を撫で下ろした。


「よかった、ちゃんと化け物だったわ」

「あの人、ちゃんとおかしかったんだ」

「でも、男女で寝具を買うのは……誤解される」

「「それは……っ、そう、なんだけど……!!」」


 唐突な正論に二人揃って梅干しみたいに顔面を窄めた。

 二人の渾身の顔芸を前にしても無表情を貫く鏡花はあくまでマイペースに話を続ける。


「気づかなくても仕方ない。二人とも、人間関係が希薄」

「「ぐぬっ……!」」


 鏡花の指摘に二人が声を詰まらせる。

 その様子に、クロが不思議そうな顔をした。


《雪斗がコミュ障なのはその通りだがのう》

「えっ?」

《レンジュがそうだとは妾には見えぬが……》

「レンジュ・レーベックは、基本ぼっち。だから、今日みたいなのは珍しい」


 鏡花は容赦のない物言いでクロの疑問に答えた。


「最低限の挨拶はする。けど、それ以上はない。絡んでくるのはリオウ・スミスくらい」


 その名前に、雪斗、クロが『ああ、アレか』と模擬戦の一幕を思い浮かべ。

 その横で、幾度となくダル絡みされてきたレンジュは害虫を見た時のような嫌悪感剥き出しの表情を見せた。


 鏡花は無表情の中に、ほんの少しだけ興味を滲ませる。


「やっぱりデート?」

「ち・が・う・わ・よ!」


 声を荒げたレンジュがビシッと音がしそうな勢いで鏡花を指差した。


「そもそも! ぼっちって貴女に言われたくないわよ!」



 有栖川鏡花は、はっきり言って誰が見てもぼっちである。

 登下校は当然一人。

 授業も基本最後尾の席でひとり。

 昼食はどこでなにを食べているのか、把握している者は同じクラスにもいないだろう。


 初等部から学園にいるにも関わらず、友人らしい友人は一人もいない。

 恭介は『成績優秀だし手が掛からなくて最高〜!』とぶっちゃけているが、10年間、友人の一人もいないというのは、おひとり様を極めすぎている。


「貴女のほうがよっぽどぼっちでしょ! というか、私はユキトって友達ができたからぼっち卒業よ!!」


 鼻息荒く否定するレンジュを前に、鏡花は少し……ほんの少しだけ口角を上げた。


「……フッ。私が、本当にぼっちだと思う?」

「な、なによ急に」


 鏡花が発する謎の自信にレンジュがちょっぴりたじろいだ。


「が、学外に友達でもいるの……? ごめんなさい、無神経なこと言って——」

「謝らなくていい。ぼっちだから」

「は?」


 鏡花の堂々たるぼっち宣言に、レンジュの脳血管がぷっつりと切れた。


「じゃあさっきの思わせぶりはなんだったのよ!!?」

《濃い性格しとるのう》


 一年と少し、同じクラスで過ごしてきたにも関わらずまるで知らなかったクラスメイトの突飛な生態に振り回されるレンジュ。

 そんな苦労はつゆ知らず、鏡花はとことんマイペースに話を進めてゆく。


「二人、ご飯食べた?」

「いや、まだだけど。有栖川さんは?」


 頭を抱えるレンジュに代わって雪斗が答えると、ぱちくり。

 鏡花は数度、瞬きを繰り返した。


「鏡花」


 そして、一言。

 たった一言、自分の名前だけ言って沈黙した鏡花に雪斗が眉を顰めた。


「有栖川さん?」

「違う。名前、鏡花でいい」

「えっと……じゃあ、僕のことも雪斗でいいよ」


 鏡花はコクリとひとつ頷いた。


「私もまだ。雪斗、オススメがある」

「オススメってお店の?」

「そう。レンジュ・レーベックはどうする?」

「わざわざフルネーム呼ばなくていいわよ。紹介してくれるの?」


 鏡花は、当社比僅かに力強く頷いた。


「これから行くとこに、いいお店がある」


 二人の返事を待たず、鏡花は二人を追い越すように歩き始めた。


「えっと……どうしようか?」

「行けばいいんじゃない? せっかくだし」

《食事にありつけるのなら拒否する意味はないのう》


 顔を見合わせた二人と一匹は互いに頷き、少し遅れて鏡花の背中を追いかけた。




◆◆◆




 突然だが、ここで学術都市のについて説明しよう。

 太平洋上、つまり海の上に建設されたこの都市は、潮の満ち引きや高波、自震やその他多くの自然現象に対応するために“多階層構造”を採用している。


 早い話が、日本の一般的な家屋に用いられる耐震・免震構造の上位互換的構造を都市全体に採用したのだ。


 そして海上都市であるゆえに、学術都市にはというものが存在しない。

 かわりに、“海底ブロック”と呼ばれる階層が存在する。


 ここは突発的な災害から学術都市を守るための分散機構の役割を果たすと同時に、様々な物資を搬入・保管するための区画だ。


 学術都市の地盤を安定させるために必要不可欠な、格子状に張り巡らされた無数の区画。

 これらは得てして、犯罪の温床になるケースが多々ある。


 膨大な海底ブロック全てを完全に監視することなど不可能。機械の目も、人の手も有限であるため、そこには必然的に死角が生まれてしまうのだ。


 そんな死角に、三人と一匹が踏み込んだ。




◆◆◆




 そこは、黒鉄の大地。

 白亜の城とも称される学術都市の表の姿とは真逆の、限られた有限の箱庭。

 重厚な機械音が断続的に響き渡る、無数の部品と何本もの無骨な黒い支柱によって都市を支える基底部。


「新商品入荷だよー! 見ていけ見ていけー!」

「欧州から取り寄せた秘蔵っ子だ! 値は張るが使い勝手は随一!」

「こいつはそんじょそこらの偽物とはワケが違うぜ! 手にとりゃ一発よ!」


 本来何もない空間であるはずのそこには、活気と胡散臭さが存分にあふれる市場が誕生していた。


 夜より暗いはずの箱庭は誰かが持ち込んだ無数の光源や写本グリモアで照らされ、見た目だけなら縁日の屋台を想像する者もいそうな景観であった。


「え……なに、ここは?」


 海抜0m以下に広がる謎としか言いようがない光景に雪斗は目を見開いて静かに絶句した。


《随分と栄えておるのう。レンジュや、ここはなんじゃ?》

「私も知らないわ。ねえ有栖川、ここ、なんなの?」


 二人分の疑問に、振り返った鏡花は無表情でも隠し切れないワクワクを滲ませて告げた。


「移動式古書市場」


「「《古書、って——》」」


 二人と一匹の顔がにわかに青ざめた。


 写本使いアクターを始めとした写本グリモアに関わる者たちの中で、ひとつ。

 しばしば用いられる隠語がある。


 即ち、古書。或いは古本。


 様々な理由によって持ち主を失った写本グリモアの、もっぱら非合法的なルートで市場に出回ったものを指して呼ぶ言葉。


 普通の国であれば特段気にする単語ではないが、こと学術都市という写本グリモア研究の中心でその名が使われるというのは、およそ穏やかな話ではない。


 要するに、犯罪の気配である。


「有栖川……貴女、ここ——」


 わなわなと震えるレンジュが、雪斗たちの内心すら代弁するように悲鳴を上げた。


「ブラックマーケットじゃないの!!!!」

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