第8話 大は小を兼ねる

 それから二日、雪斗はリオウに絡まれたような厄介ごとを被ることなく平穏に学園に通った。

 ——が、大きな問題がひとつ。


 それは、周りと雪斗の間にある学習の習熟度の差。

 学園の授業は、はっきり言って雪斗にとって難し過ぎた。


 なにせ雪斗はあらゆる教育機関に通ったことがない。

 楠木孤児院の院長である楠木季一きいちによって最低限の社会常識と初等部卒業程度の知識こそ叩き込まれているが、当然、高等部の授業内容は雪斗の理解度を遥かに超えていた。


 その散々っぷりは恭介に『どーすっかなあ』と頭を抱えさせ、さしものレンジュにも『ごめん、これは無理!』と匙を投げられる始末だった。


《期末テストなる催しまでに対策を考えねばならぬのう》

「その前に部屋の環境整えないとだよ」


 土曜日の午前8時50分。

 星海学園高等部正門前、レンジュと待ち合わせている雪斗のストレスは、連日の床睡眠によってそろそろ限界に達しつつあった。


「椅子も机も布団もないし、そろそろ腰が砕けそうなんだよね」

《人の体は難儀だのう》


 夏希を助けるという目的を果たすためにも、生活環境の安定化は急務である。


「あと恭介さんへの怒りがそろそろピークに」

《人の心は単純だのう》


 大あくびをかます雪斗と、順調に恭介への信頼度が削れ落ちていく音を幻聴するクロ。

 そこに、私服姿のレンジュが合流した。


「早いわね。集合10分前よ?」

「誘った側が待たせるのは悪いかなって。おはようレンジュ」

「偉いわね。おはよう雪斗」


 後見人が恭介アレとは思えないまともな理由に雪斗の育ちの良さが滲んでいた。


《ふむ。制服以外を着るとまた雰囲気が変わるのう》

「ふふん、そうでしょ!」


 カットソーとネイビーのジャケットに淡い水色のフレアスカートを合わせた爽やかな印象を与える着こなし。

 レンジュは雪斗とクロに見せつけるように一回転して得意げな笑みを浮かべた。


「ユキト、何か言うことはある?」

「うん、よく似合ってるよ」

「っ……、当然ね!」


 雪斗の率直な褒め言葉にレンジュが自慢げに胸を張る。

 その頬は、少しばかり赤くなっていた。


《……む?》


 そんなレンジュが、雪斗にバレないようにクロだけを手招きした。

 ふわりと肩から肩へ。

 クロを自分の肩に乗せたレンジュがクロに顔を寄せて小声で尋ねる。


「ね、ねえクロ。ユキトって誰にでもなの?」

《姉君と妹君がいるからのう。そこそこ慣れておるな》


 特に義妹の夏希はグイグイと行くタイプだったことから、雪斗は異性との会話にそれなりに慣れていた。というか、に傾倒している節がある。


《見事に返り討ちにされたようじゃな》

「そ、そんなんじゃないわよ!」

《うにゃっ!? そんな乱暴に顔を掴むでない!》

「うっさい返却! で、どこから回るの?」


 レンジュはにんまりと笑うクロの顔面を引っ掴み雪斗へ返却。勢いに任せて話題をすり替えた。


「最初はベッドか机、あとは本棚にしようかなって。一番幅取るし」

「そうね、私も賛成よ。それじゃあ……」


 レンジュは慣れた手つきで携帯を操作して地図アプリを起動する。

 キーワードを打ち込んで出現した候補の中から、最も大きなショッピングモールを選択した。


「ここに行きましょう! ベッド以外にも基本、ここで揃うはずよ!」

「了解。それじゃあレンジュ、今日はよろしくね」

「任せなさい! こういうの、善は急げって言うんでしょ? 移動開始よ!」


 張り切ったレンジュに先導され、買い物が始まった。




◆◆◆




 南西区画最大の大型複合施設、マイネマーケットパーク。


 スーパーやフードコート、日用雑貨や生活家電。それこそ雪斗が買い求めに来た大型家具など。

 さらには買い物中の子供の預かり保育なども完備された、南西区画の住民から『もうここだけでいいじゃん』と言われるくらいにはなんでも揃っている超巨大施設である。



 そんなマーケットパークの入り口、真正面。

 威容を見上げた雪斗とクロは、揃ってあんぐりと口を開けて全身で驚きを表現した。


「でっっっっっっっっっっっっっか!!」

《でっっっっっっっっっっっっっかいのう!?》


 一人と一匹の顎が外れるほどの驚愕は然もありなん。

 一日余裕で過ごせる。なんなら三日住んでも飽きないと言われるくらい、このマイネマーケットパークは馬鹿でかい。


《……だ、大は小を兼ねるとは言うが、これは——些かやり過ぎではないかのう?》

「他の七つの区画にも似たような大きさの施設があるらしいわよ」


 隣接した西区画、南区画にしか行ったことのないレンジュの補足は雪斗の耳には届いていなかった。


 余談だが、マイネマーケットパークは近頃一部施設の改修が予定されており、さらに敷地面積が広がる予定だ。

 近隣住民からは『これ以上デカくしてどうすんだよ』と、呆れられつつもそこそこ楽しみに待たれている。


 さておき、施設の規模に唖然とする雪斗の様は、まさに上京したての田舎者が都会の喧騒に驚いているそれである。

 事実として孤児院やまおくから学術都市だいとかいへ来ているのだから、内心の驚きは見た目以上だろう。


「驚くのはそれくらいにして、行くわよユキト!」

「…………」

「ユーキートー?」

「……あっ! うん、わかった!」


 ようやく正気を取り戻した雪斗は迷子にならないようにとレンジュの横にピタリと並んだ。

 肩が触れ合う距離感にレンジュの体がカッと熱くなる。


「ち、近くない?」

「あ、ごめんね。で、どこを目指せばいいの?」


 半歩分だけ離れた雪斗の質問に、気を取り直したレンジュが入り口の無料配布パンフレットを広げた。


「大物雑貨は大体四階ね。この時期なら新生活フェアもやってるでしょうし、売り場自体はすぐに見つかると思うわよ」

「中で迷子になりそうだなあ」

「しっかりしなさいよ? 私、迷子センターで貴方の名前呼ぶの嫌よ」

「いざという時はクロに頼もうかな」

「迷子にならない努力をしなさいよ!」


 キレのあるツッコミに笑いながら長いエスカレーターを登る。

 土曜日ということもあってか、パーク内は午前中にも関わらず、休日の学生や社会人など多くの人で賑わっていた。


「人、たくさんいるね」

「学術都市の人口、とっくに一億人超えてるって言われてるのよ。だから不思議じゃないわ」


 エスカレーターの道中から見下ろした先には、星海学園の制服を来た少年少女のグループもいた。というか、雪斗たちのクラスメイトだった。


「こう見ると、みんな制服着てるんだね」

「学割とか受けやすいから結構多いのよね、休みも制服着る層って。中には一人暮らしで、洗濯の手間削るために制服っていう子もいるらしいわよ」

《レンジュは違うようだのう?》


 頷いたレンジュはクラスメイトたちを視界から追い出すように、携帯を手鏡の代わりにして前髪を整えた。


「私はオンオフしっかり分けたい派なのよ。雪斗はどう? 今日は私に合わせて私服にしてもらったけど」

「僕も私服こっちのほうが落ち着くから分ける派かな」


 雪斗にとって、学校と強く結びついた制服というものはいまだに非日常感が強く、来ているだけで気疲れを起こす。

 そういった意味で、慣れ親しんだ私服姿の方が落ち着くことができた。


 さて、長いエスカレーターを経てたどり着いた四階。

 レンジュの言ったとおり、売り場では絶賛新生活応援フェアが開催されていた。


 勉強机や本棚、ベッド、水回りや冷蔵庫、洗濯機などなど。

 板で区切ったモデルルームなども散見される充実っぷり。


「充実し過ぎてて選べる気がしない」

《もういっそ、ここに住むのがいいのではないか?》


 思わず漏れた雪斗とクロの呟きにレンジュが小さく噴き出した。


「まあ何事も程度はあるわね。雪斗、部屋の写真は撮ってきた?」

「うん。うまく撮れたかはわからないけどね」

「大体の雰囲気がわかれば大丈夫よ。えーっと」


 写真に写るのは、引越し用段ボール箱が二箱、あとはキャリーケースとボディバッグが一つずつ。

 たった、それだけだった。


「え、これだけ?」

「これだけだよ」

「嘘でしょ? ミニマリストもドン引きするわよ?」


 本当に何もない部屋に、レンジュは驚きのあまり目眩を覚えた。

 約束をした際に『鳥の巣みたいに服を纏めて寝ている』 とは聞いていたが、実際に目の当たりにすると想像を絶する過酷さがあった。


 文明の最前線をひた走る学術都市で、雪斗は文明社会から切り離されていた。


「なんでこんなことに……って、今更ね」

「今更だね」

《今更だのう》


 徹頭徹尾、恭介が悪い。

 ここに関して、それ以上の議論は不要だった。


「ユキト、補助金って幾ら降りるの?」

「それなんだけどね、具体的にいくらって金額はないんだって」


 貰った資料のコピーをバッグから取り出した雪斗は、レンジュを連れてエスカレーター傍の空きスペースに移動した。


「よほど高い物じゃない限りは学園が支払いを変わってくれる形らしくて。本来は学園が指定したやつを買わなくちゃいけないんだけど——」

《恭介が色々やらかした結果ゆえ、ベッドと机に関してはワンランク上のものを買っても良いと温情を貰ったんじゃよ》

「なんというか、怪我の功名ね」


 その差額分がどこから出るのかは定かではない。

 流石に恭介の給料から天引きされることはないと思っている雪斗たちではあるが、まあそうなってしまったら仕方ないと気づかぬふりを通す構えだった。



◆◆◆



「ユキトはどんな部屋がいいの?」

「どんな……どんなだろう?」


 とりあえず見て選ぼう、ということで。

 雪斗たちは一番幅を取り、かつ健康に直結するベッド選びから始めた。


 その中で、レンジュは雪斗が脳内にイメージしているであろう部屋の完成図を尋ねた。


「落ち着いた雰囲気とか、煌びやかな感じとか。あ! ここに来る前の部屋は? 寄せることもできると思うわよ?」

「うーん。前の部屋って言われると大部屋になっちゃうんだよね」

「大部屋? 兄弟と一緒だったの?」

「うん。と言っても義兄弟だけどね。僕、こっちに来る前は孤児院で暮らしてたからさ」


 首を傾げるレンジュに、雪斗は自分の出身を明かした。


「縦長の部屋に2段ベッドをずらーっと並べて、そこでみんな一緒に寝てたんだ。あ、男女別室だよ?」

「てことは、一人部屋は初めてなのね」

「そうなるね」

「……どうしよっか?」

「どうしようかなあ」


 雪斗とレンジュ、二人揃って頭を悩ませる。

 男子の部屋のスタンダードを知らないレンジュと、一人部屋のスタンダードを知らない雪斗。

 そして、そもそも人間ではない識神黒猫のクロ。


 家具選びの人選としては赤点もいいところだった。


「お客様、なにかお困りですか?」


 そこに、店員によって救いの手が差し伸べられた。

 接客業のお手本のような笑顔を浮かべた女性店員の声に、雪斗とレンジュが同時に食いついた。


「「あ、はい。ちょうど今ベッドを探していて」」

! あ……ん゙ん゙っ、そうなんですね」

《む?》


 台本を読んだような二人の息の合った返事に、女性店員の作り笑いビジネススマイルが崩れ、その奥から非常に下世話な笑みが数秒だけ現世を覗いた。


「でしたら、今お二人の目の前にあるダブルベッドなどはいかがでしょう? ツインほどのゆとりはありませんが、その分スペースを取りませんしぐふ、密着……いやいや、温もりを感じることも——」

「「は、はあ……」」


 なにか発作を堪えるようにひたすらベッドをPRする店員に、雪斗とレンジュは引き気味に返事をした。


「なので私としては是非とも……お好みに合いませんでしたか?」

「いえ、そうじゃなくて」


 残念そうに眉尻を下げる店員に雪斗が曖昧な返事を返した。


「好みじゃないっていうか……寮の部屋に置きたいので、できればシングルサイズが良くって——」

「ぴょ——っ!?」


 瞬間、女性店員が明らかなオーバーリアクションでのけ反り奇声を上げた。


「しししし、ししっ、シングルぅ!!? お、お客様そんなっ、し、刺激が強すぎますぅっ! そのリビドーの爆発はお姉さんたちには劇薬! 接種のしすぎは毒なんです……っ!」

「えっと……え、何が、ですか?」


 どこに驚く要素があったんだと眉を顰める雪斗を置き去りに店員のは加速する。


「周りが見えなくなるほどに一途……一直線っ!! なっ、なんて情熱的! ああっ、これが若さ! 良いっ、とても良い! あー私に! 私に写本使いアクターの才能があればっ! 私が壁に、いいえ! 床と天井と家具になってこの二人を見守れるのに……っ! 無念よ!!」

「「はあ?」」


 一人勝手に盛り上がる女性店員に二人は困惑した声を洩らす。

 完全に擬態が剥がれて興奮を隠せない店員の姿にクロが呆れきった半眼を向けた。


《この女子おなご、へんな薬でも飲んでおるのか?》

「いえいえ、単なるいつもの発作ですよ。後藤田先輩、そこまでです」


 理解の及ばない二人と一匹を助けるように別の店員二人が颯爽と駆けつけ、一人が発作を起こした店員を羽交締めにして強制的に退場を促す。


「先輩帰りますよー」

「離しなさい町田さん! 私には、私には使命が……!」

「先輩にあるのは警察からのご指名ですよー」


 同僚は慈悲なき宣告をしながら問答無用で後藤田という名の発作を起こした店員を退場させる。


「申し訳ありませんお客様、彼女、たまにああなるんですよ」

《店員として致命的ではないかのう?》

「普段は非常に優秀なんですけどね……」


「いいえ! 私は、私はまだやれるわ!!」

「はいはい、他のお客様の迷惑になるから一度落ち着こうねー」


 困ったように笑う店員と雪斗たちの視線の先、ズルズルと引き摺られていく後藤田店員が断末魔を上げた。


「わ、私の青春センサーがビンッビンに反応してるのよ! あれは私服デートよ! それも同棲秒読み……いえ、通い妻まで行っているとみむぐぐーーー!?」

「はいはい、妄想はあとで聞いてあげるから静かにしようねー」

「もごごごーーーー!!!!」


「「「《…………》」」」


 従業員用出入り口に飲み込まれていった女性店員を見送ったあと、残った店員が深々と頭を下げた。


「大変お見苦しいものをお見せしました」

「あ、いえ……その…………はい」


 さしもの雪斗も擁護の言葉を見つけられなかった。


「……えっと、シングルベッドを探していて」

「はい。こちらにございます」

「お願いします。レンジュ、移動しよ……レンジュ?」


 今度こそ正しい救いの手が差し伸べられたことに安堵した雪斗は、さっきから沈黙を貫くレンジュを見た。


「……どうしたの?」


 なんか、顔を真っ赤にしていた。


「……なんでも、ないわ」

「いや嘘じゃん」


 めちゃくちゃなにかある時の顔に反射的にツッコミをいれた。


「ユキト。さっきの……通い妻、とか」

「うん」

「そんな気はなくて……だから、その」

「うん」


 レンジュの必死の弁解に、雪斗は脳裏に疑問を持ちつつも頷いた。


「その……ち、違うのよ! 私はただ先輩として力になれたらなってだけで、その別に考えたこととかなくてぇ……!」

「うん、大丈夫だよ」

「違うの……ほ、本当に違うからぁ! 〜〜〜〜っ!!」


 それ以上の言葉が出なくなったレンジュは、真っ赤な顔のまま、雪斗を置き去りにするように店員の後を追った。


「ねえクロ。さっきの人が言ってた“同棲”とか“通い妻”ってどういう意味なの?」

《……その携帯で調べてみると良かろうて》

「これ、そんなこともできるんだ。えーと……」


 クロの言葉に素直に従った雪斗は二つの言葉の意味を調べ。

 咀嚼し、理解して。


「…………っ」


 遅れて顔を赤くして——隠すように左手で顔面を覆った。


《とんでもない店員だったのう》


 唯一蚊帳の外だったクロは一匹、平和そうに呑気にあくびをした。


《しかし、レンジュは存外ウブであるな》

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