第7話 楠木夏希

「ねえ、なんで模擬戦を受けたの?」


 第一演習室と高等部本校舎を繋ぐ、中庭を一望できるガラス張りの連絡通路の途上。

 レンジュは隣を歩く雪斗に率直に尋ねた。


「あんなの、リオウの一方的な因縁じゃない。ユキトが受ける意味なんてなかったわよ」

「んー、それはそうなんだけどさ」


 雪斗は前を見たまま答える。


「アイツ、レンジュに突っかかったから」

「……。私のためってこと?」


 ぱちくりと瞬きを繰り返したレンジュの疑問に、雪斗は静かに頷いた。


「僕だけに何か言うならよかったんだけどさ、レンジュにまで文句を……悪口を言うのは違うかなって」


 悪口というか、皮肉だろうか。

 学術都市入島初日、恭介への信頼を粉々に砕かれた雪斗は、内心、大きな不安に包まれていた。

 そんな中同じクラスになるというレンジュは、恭介に押し付けられた役割にも関わらず嫌な顔ひとつせずに雪斗を手伝ってくれた。


 大きな支えに、安堵に繋がったことは明白だった。


 そんなレンジュに対するリオウの攻撃的な態度は、雪斗の許容値を超えていた。


「それに結局、リオウがレンジュに絡んだのは僕のせいだから。だから、模擬戦で黙らせるのが一番かなって」

「そう。……ねえ、ユキト」


 パタパタと足音を鳴らして前に出たレンジュが振り返り、雪斗の進行方向を塞ぐように立ち止まった。


「レンジュ?」


 首を傾げる雪斗に、真剣かつ少し怒ったような表情のレンジュが言った。


「ユキト。その“”ってやつ、やめなさい」

「——!」

「少なくとも、私は一度も貴方のせいだとは思ったことないわ!」


 レンジュから見て、雪斗はひどく自罰的な傾向にある。


 出会って僅か二日。しかし既に三度、雪斗は“僕のせい”という言葉を口にした。


「そもそも、貴方のせいだったこともないでしょ」


 責任感の有無ではない。

 雪斗は明らかに、意識的に自分を加害者に置いている。

 少なくとも、レンジュの目にはそう映った。


「私は、私の友達に。自分を卑下してほしくないわ」

「友達って……僕のこと?」

「はあ!?」


 恐る恐る確認した雪斗に、レンジュが思いっきり顔を顰めた。


「あったりまえよ! 今更何言ってんの!?」

「え、いやだって。僕らまだ会って二日目だし——」


 憚らないレンジュの大声にビクりと肩を震わせる雪斗に、レンジュは盛大にため息をついて唇を尖らせた。


「時間なんて関係ないわよ! 寮まで案内して、教室では隣の席! 移動も一緒で篠原恭介バカ教師って共通の敵までいる! おまけに連絡先も交換してんのよ!? これで友達じゃなきゃなんだってのよ!」

「いや、それは……」

《事実陳列罪だのう》


 二人が教室移動の最後尾だったことから傍聴人がいないことは幸いだった。

 ヒートアップしたレンジュの理詰めに雪斗が言い淀み、クロは反論の余地なしと嘆息した。


「ユキトは迷惑かけること嫌がってるけど、良いじゃない。友達なんだから。これから先、多分私も迷惑かけることあるし、お互い様でいいのよ」

「いいの、かなあ……」

「い・い・の!」


 紫の長髪を振り乱したレンジュは顰めっ面のまま。


「僕のせい、僕のせいってばかり言われたらこっちも気が滅入るわよ! それに……」


 そこで一度言葉を区切り、目を逸らして僅かに頬を朱に染めた。


「それに、私のためってトコに頷いてくれたのは、正直嬉しかったわ。——だからっ!」


 強引に、気恥ずかしさを隠すように声量を上げたレンジュが一歩距離を詰めて、身長差から僅かに見上げるように、睨みつけるように雪斗の目をまっすぐ見た。


「私は、卑下されるよりもそう言ってくれた方がいいわ」

「……それ、恩着せがましくないかな?」

「いいのよ全っ然! こっちに負債ばっかり押し付けてくるバカの100倍マシよ!」

《ストレスが溜まっておるのう》


 どこかのバカ教師による様々なサボりの被害を受けてきたレンジュの、実感のこもりすぎた怨念にクロがまたもや嘆息し、雪斗は考え込むように口を閉じた。


「……そしたら、さ。今週末、なんだけど」


 ややあってからそう切り出した雪斗に、レンジュは真剣に耳を傾けた。


「家具とか色々買いに行きたいんだけど、店の場所とか、どこに行けばいいとかわからなくてさ。頼れる友達、レンジュしかいないから……だから、買い物、付き合ってもらえるかな?」


 雪斗のたどたどしい買い物への誘いに、レンジュは膨れっ面を解消して笑顔で頷いた。


「いいわよ! ユキトのために手伝ってあげる!」


 その言葉に、雪斗はホッと息を吐いた。


《ふむ。納得が行ったようだのう。ところでレンジュよ、妾から一つ聞いてもよいか?》

「いいわよ?」

《恭介に押し付けられたとはいえ、妾から見て、お主はやや過剰に雪斗を気にしておるような気がしているんじゃが》

「あー、それはなんていうか」


 心当たりがあるという表情をしたレンジュは、特に隠すことなく理由を明かした。


「私も編入生だったのよ、中等部三年の秋に一人で。で、その時結構心細かったのよね。だから同じような相手のことはちゃんと気にかけようって決めてたのよ」

《なるほどのう。ならばこれからも雪斗を頼むぞ、レンジュよ》


 雪斗の肩で尊大に胸を張ったクロに、レンジュが呆気に取られたような顔をした。


「……ペットが飼い主の心配をするの、ちょっと不思議な構図ね」

《妾はペットではない! フシャー!》

「その鳴き方は完全に家猫なのよ。ユキト、クロのご飯って?」

「猫用フードとチュールだよ」

《鰯風味以外を所望する。妾としては鰹と鮭のフレークを定期的に——》

「やっぱりペットじゃない」


 言い逃れのしようがないペットだった。しかも面倒な偏食家。

 なお、これ以上のツッコミは面倒と判断したレンジュによってチュールの味を力説するクロは完全にスルーされた。


「ユキト、具体的に何買いたいの?」

「えっとね。ベッドフレームと本棚、あとは食器類と蓋付きゴミ箱……」

「一人暮らしスターターセットね。というかこれ」


 共有されたメモを見て何かに気がついたレンジュが呆れを多分に含んだつぶやきを漏らした。


「これアレよね。バカ教師が申請忘れたってやつ。ユキト、今どうやって寝てるの?」

「服をこう、ぐちゃぐちゃっと鳥の巣みたいにして寝てる」

「寝心地最悪じゃない?」

「最悪だよ。恭介さんので」

「……そうね、バカ教師のね!」


 二人は顔を見合わせ、揃って吹き出した。




◆◆◆




《中々治らぬのう、お主のは》


 その日の夜、補助金の申請書類をまとめていた雪斗はクロの言葉にピタリと動きを止めた。


《レンジュの言うとおり、お主に落ち度はなかった》

「……僕が気をつけていれば、回避できたことだよ。レンジュの好意に甘えすぎた」

《ここを何も知らないお主では限界があろう。それに、人を避ければかえって目的からも遠ざかろう》


 雪斗は無言で書類の角を揃えてファイルに仕舞った。

 机一つない部屋だから、書類一枚書き上げるだけでも一苦労だった。


《雪斗よ、あまり自分を責めすぎるな》

「無理だよ」


 断言する。

 後悔で自分の表情を覆い尽くす雪斗は、割れんばかりに奥歯を噛み締めた。


「無理だよ。だって夏希は僕の……僕のせいで」

《それは違うであろう、雪斗よ》


 俯く雪斗の目の前で、下から顔を覗き込むように見上げたクロが優しく諭すように否定した。


《お主に落ち度はない。もちろん、夏希嬢にも。悪いのは、彼女とお主を駒と見做したあのじゃ》

「それでも。それでもあの時、僕にパナマに行く勇気があれば……!」


 雪斗は声を震わせて、手元の書類を握り潰さないように両手を力ませ怒りに耐える。


《それは勇気ではない。ただの自棄じゃ》


 クロは雪斗の膝に寄り添い、赤子をあやすように肉球で手の甲を撫でた。


《そもそもが間違えておろう。子が争うなど、その手を血に染めるなど。それを大人が強制するなど、全ては世の過ちじゃ。お主らのせいではなかろうて。それに……》


 クロは確かな意志をもって、雪斗に改めて目的を突きつける。


《お主は今、そんな夏希嬢を助けるためにここにいるのであろう?》

「…………。うん」


小さく頷いた雪斗は、寝巻きに着替えることもせずそのまま無言で体を横にした。

 ごつごつとした硬い床の感触に不快感を覚える余裕もないくらい、雪斗の胸の内にはそれ以上の感情が渦巻いていた。


《着替えも、風呂も夕餉もまだじゃぞ?》

「……うん。起きたらやるよ」

《仕方ないのう。目覚ましはかけてやるゆえ、寝て切り替えるとよい》


 クロの言葉を聞き届けた雪斗は、安心したように目を閉じた。




◆◆◆




 ——三年前、春——



 山間部にある楠木孤児院は春先でも肌寒い風が吹く。

 桜前線はまだ遠い。寒春の影響もあってか、開花は四月中頃にまでもつれ込みそうだった。


 ……だからといって、四月の頭に雪合戦は中々季節感を無視しているなあ、と。


 目の前、孤児院裏手の空き地にて。


「兄さーん! もっと雪降らせて〜!」

「ぜんぜんたりなーい!」


 楠木雪斗は、自分が降らせた“幻想の雪”で遊ぶ元気な義弟たちを見て、困ったように笑みを浮かべた。


「えー? 霜焼けになるよー」

『だいじょーぶー!!』


 幻想の雪であっても、視覚や触覚が“雪”を訴える以上気をつけるように。

 院長の季一きいちや雪斗に何度注意されても、義弟たちのわんぱくは止まらなかった。


「仕方ないなあ」


 ため息をつきながらも義弟たちのお願いに答えた雪斗は、識力をより一層拡散させ、裏庭に冬さながらの雪を積もらせた。


「——兄様」

「わっ!?」


 耳元で、ふう、と。

 淑やかでツンとした呼び声に、雪斗はビクッと肩を震わせた。

 恐る恐る後ろを振り返ると、ピンと背中を伸ばした黒髪の少女と目が合った。


「……夏希。急に後ろに立たないでよ」


 雪斗のやや非難めいた視線に、楠木夏希は口を抑えてクスクスと上品に笑った。


「ごめんなさい。でも兄様の反応が面白くて」

「僕で遊ばないでよ……もう」


 仕方ないなあ、と。

 雪斗は義妹のかわいい悪戯に目を瞑った。



 楠木夏希。

 今年で14になる雪斗の二つ下、11歳の聡明な少女は、雪斗の背後で降り注ぐ、彼の識力から生まれた真白の雪を見た。


「兄様、また雪を降らせたんですか? もう春ですよ?」

「僕もそう言ったんだよ? けど、紅緒べにおたちがやりたいって言うし。識力には余裕あるから、ね」

「むー!」


 雪斗の弁明に、夏希は不服そうに頬を膨らませた。


「兄様は紅緒たちに甘すぎます!」

「……甘いかな?」

「激甘です!」


 プクゥと音がしてしそうなほどに夏希が一層頬を膨らませる。


「兄様は私にも甘くするべきです! なので!」


 夏希はぐいぐいと右腕を引っ張って雪斗を立ち上がらせた。


「兄様は今から、私とクッキーを食べます!」

「うん?」


 脈絡のない提言に雪斗は疑問符を。

 提案者である夏希は子供らしい満面の笑みをそれぞれ浮かべた。


春香はるか姉様がクッキーを焼いたので!」

「え゙っ」

「兄様、今『嫌だ』と思いましたね?」


 露骨に嫌そうな声を出したことを夏希が追求すると、雪斗はスッと目を逸らした。


「だって、春ねえでしょ?」

「そんなこと言ったらダメです! 今日は上手くいってるかもしれません!」

「夏希だってほとんど諦めてるじゃん!」

「むぅ」


 二人が思い起こすのは、雪斗の三つ上の義姉、楠木春香はるか手料理の数々。


 話題に上がったクッキーを例に挙げると、黒焦げ、激マズは当たり前である。成功したのは季一が九割担当した初回のみだ。(それすらドライフルーツの食感が辺なことになっていた)


 三回に一回の爆発は当たり前。

 目玉焼きを黄身だけ爆発させるなんて器用な失敗まであるときた。


 他にも様々、あり得ない失敗を繰り返す春香は孤児院一の料理下手であると満場一致の認識を持たれており、そんな彼女の焼いたクッキーがまともなものかと問われると首を傾けざるを得ないのだ。


「……姉様、今日はどんな失敗をしたんでしょう?」


 期待を諦めた夏希の残酷な問いかけに雪斗は引き笑いを浮かべた。


「せめて前回みたいに、兄様の“幻想”で誤魔化せるようなものだといいのですが」

「夏希、後処理のために僕のこと連れてきたね?」


 半眼の雪斗の詰問に、今度は夏希がビクッと肩を震わせた。


「そっ、そそそそそそんなことないですよ!?」

「本当に?」

「ほ、本当です! に、に、兄様とだったら美味しく食べられるかな〜って思っただけでえ……!」


 目をぐるぐると回して否定。胸の前でモニョモニョと指を絡ませて弁明。終いには思いきり目を逸らした夏希のバレバレな態度に、雪斗は声を上げて笑った。


「あっ、兄様笑わないでください! もーっ!」


 ポコポコと肩を叩いて不満を表現する夏希を連れて、雪斗は笑いながら死地キッチンへと向かった。




 ……なお、肝心のクッキーは炭化していた。

 一体どうすればそんなことになるのか。雪斗たちは疑問に苛まれながら、崩れたクッキーの味を砂糖に誤認させながら真顔で後処理を行った。




◆◆◆




 その日、子供たちが寝静まった夜半に。

 楠木孤児院の院長である楠木季一きいちは一人、仕事机の上に置かれた一枚のと向き合っていた。


 抗えない年齢という歳月により曲がった腰の痛みと掠れる視界に苛まれながら、老婆は顔の皺を一層深めた。


「カンパニーの役員共め、ふざけおって」


 令状の内容は、単純明快。

 二ヶ月前に勃発したパナマ戦役に参加しろ、というものだった。

 ……その指名対象が、極めて悪辣であった。


「雪斗を戦地へ寄越せ、だと?」


 仮に雪斗が優れた写本使いアクターであろうと。

 常人を遥かに凌ぐ膨大な識力を有していようと。

 幼い13歳の子供を戦場へ送るなど、到底認められるはずがなかった。


「運営費を餌にすればアタシが食いつくとでも思ったか、馬鹿どもめ」


 季一は手紙を乱雑に握り潰し、足下のゴミ箱へ乱暴に投げ込んだ。


「フン。餓鬼を殺しの道具にしようなんてふざけた真似、させるわけないだろう」



 季一の苛立ちを孕んだひとり言。

 それを、扉の向こうで。


「…………兄様」


 用を足しに起きた楠木夏希が、息を潜めて聞いていた。

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