第6話 模擬戦

「俺とやろうぜ——模擬戦をよ」


 男子生徒は、雪斗より頭ひとつ分高い背丈から見下ろすように提案してきた。


「模擬戦?」

《ふむ。いきなり穏やかではないのう》


 見知らぬ生徒からの突然の提案に困惑する雪斗。

 近くで自主訓練に励んでいた生徒たちが異変に気付き、彼らを起点に興味を惹かれた他生徒たちが雪斗たちに視線を向けた。


「ああそうだ。俺とお前、サシでり合うんだ」

「えっと……」


 好戦的かつ挑発的な男の提案に雪斗が答えあぐねていると、レンジュが横から会話に割って入った。


「——ちょっとリオウ! 急に何言い出してんのよ!」


 雪斗を守るように一歩前に出て、大柄なリオウを臆せず睨みつける。


「アンタ2組でしょ、なんでユキトに突っかかるのよ! ……だいたい、人を狙わないっていう授業の大原則をやぶるつもり!?」

「うるせえよレーベック。俺ぁ今そこの編入生に話しかけてんだ」


 怠そうに右耳を小指でほじくったリオウは口端を吊り上げて小憎こにくらしい笑みを作った。


「別にルール破ろうなんざ言ってねえよ。双方の合意があれば模擬戦も可能って条項があんだろうが。それによおレーベック、俺ぁお前のためを想って言ってやってんだぜ?」


 見下した態度のまま、注目を集めることを厭わないリオウが続ける。


「同郷のよしみだよレーベック。この編入生にかかずらってたらお前のためにならねえ。だから俺が変わってやるって言ってんだ」

「恩着せがましいわね……!」

「いいのかぁレーベック? 呑気に過ごしてる時間なんかねえって言ってたのはお前自身だろ?」

「それは……っ!」

「時間がないんじゃねえのか? ええ? 何も知らねえ野郎と仲良しこよしたぁ随分と余裕ができたみたいじゃねえか!」


 相手を舐めた態度で、諭すように挑発するリオウに対してレンジュがキッと奥歯を噛み締めた。

 拳をギュッと握りしめ、少女は紫髪を揺らして怒りを露わにする。


「——いいよ、模擬戦やろう」


 そんなレンジュの肩に手を置いた雪斗が、今度は彼女を庇うように一歩前に出た。


「クロ、三冊」

《うむ》

「ちょっ、ユキト!?」


 躊躇いなく模擬戦を承諾した雪斗にレンジュが声を荒げた。


「何言ってんのよ! わざわざ受けなくたって……! バカ教師! アンタ止めなさいよ!」

「えー。いやいいだろ、やらせれば」


 すっかり野次馬気分な恭介は投げやりにそう言った。


「雪斗が承認したんだろ? だったら当人同士の問題だしなあ。ゾーヤちゃんもそう思うだろ?」


 恭介のキラーパスにも動じず、ゾーヤはほんわかした態度で曖昧に笑った。


「そうですね〜。リオウくんの態度は確かに悪かったですが、本人たちが納得しているなら止める必要はないかと〜。あと、ちゃん付けはやめてください。殺しますよ〜?」

「こっっっっわ!」


 ゾーヤからの脈絡なき殺意に身慄いした恭介が、雪斗たち以外の生徒たちを集合させる。


「うーし、あとは死なない程度に好きにやれー」

「んのっ、バカ教師……!」

「レンジュ、僕は大丈夫だよ」


 こめかみを痙攣させるレンジュに雪斗は静かに頷きかけた。


「クロのことよろしく」

「〜〜〜っ、わかったわよ!」


 不服を隠そうともしなかったが、レンジュはクロを受け取って引き下がった。

 一連のやり取りを黙って見ていたリオウの表情は、雪斗にはどうしてか少しだけ、つまらなさそうにしているように見えた。


「——先公の許可貰ったことだしよ、とっととやろうぜ」


 しかし、それも一瞬のこと。

 すぐさま髪をかき上げて好戦的に写本グリモアを構えた。

 呼応するように雪斗も二冊の写本グリモアを腰のポーチに仕舞い、左手に一冊用意した。



 ◆◆◆



 突然決まった、編入生の楠木雪斗と、二年二組リオウ・スミスの模擬戦。

 リオウの難癖から発展した諍いではあったが、わざわざ編入という手段を使ってまでの入学。更にはそれを学園が承認したという事実から、クラスに限らず皆、雪斗の実力に注目していた。


「アンタ、なんで止めなかったのよ」

「止める前に雪斗が突っ走っちまったからなー」

「白々しい」


 行く末を不安げに見守るレンジュ。

 クロを抱き抱える両腕に知らず知らずのうちに力が籠り、クロが若干苦しそうに声を上げた。


《そう心配せずともよい、レンジュ。死にはしないのであろう?》

「そうは言うけど、ユキトは編入初日よ? 素人じゃないってことくらいはわかるけど、それでも——」

「大丈夫だってレーベック。お前が心配してるようなことにはなんねーから」

「……わかるの?」

「雪斗が晒し者になるかもしれねーって思ってんだろ? 絶対ねえから大人しくしとけ」


 呑気にあくびをかます恭介。

 領収書を貰い忘れたことに気付き眠れぬ夜を過ごした男は、一分の疑いすら持っていない声音で断言した。


「アイツはこの場の誰よりも強えからな」

「え——?」


 揺るぎない言葉にレンジュが疑問の声を上げた。

 この場の誰よりも強い。恭介のその言葉には、欠片の忖度もなかった。


 ——それは、教師あなたよりも?


 レンジュがそう尋ねる前に、クロが尻尾を揺らしてレンジュの頬を撫でた。


《どうやら、始まるようだのう》



◆◆◆



 雪斗とリオウ、両者体をほぐしながらルールの擦り合わせを行う。


「勝敗はどうやって決めるの?」

「指定運動服に付いてる保護機能セーフティが発動したら負けだ。使える写本グリモアは第八、第七世代限定」


 リオウの提案は、殺傷力が極めて低くの危険性が低い、第七世代までの写本グリモアを用いた一般的なルールだった。

 雪斗は当然これを承認した。


「わかった、それでいいよ。——恭介先生、合図お願いします!」


 雪斗の声に頷いた恭介が、自然系統カテゴリに属する写本グリモアを取り出した。


「うし。準備はいいな。——試合、開始だ」


 恭介の写本グリモアに識力が流れ込み、空砲が鳴った。


「『雲鳴りの丘に木の葉の歌を!』」


 先に動いたのはリオウ。


「『西陽の風が我が背を叩く!』」


 右手に持つ新書判の写本グリモアを開き、祝詞と同時に識力を流し込む。


 識力充填。

 情報閲覧。

 干渉——事象構築。

 全ての工程は正しく認められ。リオウの左手に拳大の風球が生み出された。


 リオウが選んだのは、第八世代の自然写本グリモア

 森羅万象の自然現象を司る『原典』から枝分かれした末端。

 リオウの持つ自然の写本グリモアは、特に“大気”に関わる事象に介入することができるものだった。


「——早い!」


 澱みなく素早いリオウの詠唱に生徒の誰かが呟く。

 しかし、


《否、遅いのう》


 クロの呟きと同時に、後から動いた雪斗が右手を構える。

 弾丸は既に装填されていた。


「『汝を苛む不可思議の弾』」

「——っ!? テメェ!」


 射出。

 風球の投擲を追い越す一撃に、間一髪、悪寒に任せて身を捻ったリオウが半透明の弾丸を避ける。

 反撃に風球を投げ込むも、無理な体勢ゆえに威力は不十分だった。雪斗はこれを余裕をもって回避。再び右手に幻想の弾丸を装填した。


「ッ……! ちったぁやるじゃねえか編入生!」


 侮りの表情を消したリオウが写本グリモアのページをめくり、雪斗の右手の射線を避けるように床を転がりながら識力を流し込んだ。


「これなら……!」


 リオウは祝詞を紡がず、識力だけで写本グリモアを起動。自身の体の周囲に先ほどと同サイズの風球を複数生成した。


「リオウのやつ、今祝詞を……!」

「唱ってない、短縮した!?」


 祝詞を介さない力の行使に生徒たちの中に騒めきが起こる。


「ほおー。アイツ、第八世代なら詠唱省けるのか」


 少なくとも進級前にはできていなかったと記憶していた恭介は、リオウの確かな成長に素直に感心の声を漏らした。


「くらいやがれ!」


 そんな恭介の称賛はつゆ知らず。

 立ち上がったリオウは風球の群れを雪斗めがけて殺到させる。さらに時間差で生成した風球を待機と射出に分けて擬似的な時間差攻撃を試みた。


「うわっ……!」


 襲い来る風球の群れに面食らった雪斗が攻撃を中断、回避に専念する。


「僕、本当はっ……インドア派なんだけどなぁっ!」


 決して軽やかとは言えないが鈍臭くもない、平均やや下ほどの身体能力と運動神経で不恰好に逃げ回る。


「いつまでも逃げてんじゃねえぞ編入生ー!」


 苛烈さを増すリオウの風球の連打。

 猛攻に背を向け、反撃に転じずにひたすら逃げ回る雪斗の姿にレンジュは違和感を覚えた。


「ねえクロ、なんでユキトは迎え撃たないの?」

《迎え撃つ?》

「逃げ回るより、同じように弾をばら撒いて撃ち落とした方が良いのにって思ったのよ」

《ふむ、そういうことか》


 特段動じないクロは、雪斗がなぜ逃げ回るのか、その致命的な弱点を挙げる。


《あの弾は実体を持っておらぬのじゃ》

「え」


 驚くレンジュに、クロはあくまで冷静に答えた。


《あれは着弾対象に“夢”や“幻”を見せるものゆえな。正直、タイマン戦には向いておらん》

「ちょっ、それまずいじゃない!」


 レンジュの言うとおり、今の状況は雪斗にとってはまさしく逆風だった。

 雪斗の半透明の弾丸がリオウの風球と干渉しない以上、迎撃が不可能という点では条件は五分。

 しかし、リオウが先んじて弾幕を張り雪斗に後手の対処を強制させた以上、有利はリオウに傾いている。


 側から見て、明らかな雪斗の不利。

 しかし、やはりクロは欠片も動じない。それどころか呑気に毛繕いを始める始末。


《心配するなレンジュよ。勝負はもうついておるゆえな》

「え?」

「だなー。もう15秒もあれば終わるだろ」

「え??」


 意味がわからないと疑問符を頭上に連打するレンジュと、そんな彼女たちの会話が耳に入らないくらい、模擬戦を食い入るように見つめる生徒たち。

 多くの視線の先で、状況が動いた。


「あ……!」


 果たしてその声は雪斗のものか、別の誰かのものだったのか。

 皆の見つめる先、風球を避けた雪斗のつま先がつんのめり、大きく姿勢を崩した。


「終わりだ編入生!」


 勝機を見出したリオウが一気呵成に攻め立てる。

 自分の識力を全力で写本グリモアに注ぎ込み、雪斗を覆い尽くすように風球を乱打した。


「くぅっ」


 転んだ先で立ち上がりかけた雪斗が表情を歪め、苦し紛れに反撃の弾丸を撃つ。

 だが、リオウは最初の意趣返しをするように余裕をもって回避。直後、雪斗の全身を強かに風球が打ちつけた。


《ふむ——》


 第八世代、最低クラスの写本グリモアによる能力とて、圧縮された風の爆弾をもろにくらえば十分なダメージになる。

 運動服の保護機能セーフティ発動は確定的、誰もがリオウの勝利を確信する中。


《雪斗の勝ちじゃ》


 突然、景色が歪む。

 風球に被弾した雪斗を中心とした空間がうねるように歪み、霧散する風と共に、雪斗の全身がまるで蜃気楼の如く溶け消えた。


『えっ——!?』

「な……、後ろ!?」


 リオウは突如背後から膨れ上がった気配に振り向こうとして、首筋に指先を突きつけられ、本能的に動きを止めた。


「動くな。装填はもう済んでるよ」


 リオウの背後に立つのは、楠木雪斗。

 今さっきまで皆の目の前で鬼ごっこに躍起になっていたはずのリオウの対戦相手だった。


「テメェ、どうやって……!?」


「ユキト、どうやって——!」


 リオウとレンジュ、否。観戦していた全員の疑問にクロが答えた。


《“幻影霧囚ファントムシーフ”。自分の幻影を生み出し、空間一帯に幻影が本物だと誤認させる、第七世代の幻想の写本グリモアじゃ》


『おお……!』


《気配自体は消しきれぬゆえ、バレないようにこっそり動かねばならぬがな》


 小さいどよめきに、クロがふふんと自慢げに鼻を鳴らした。


「——い、いつだ!? いつ使った!?」


 冷や汗を流しながら、リオウが喚くように雪斗に問いかけた。


「俺はテメェから目を逸らしてなかったはずだ! それに、テメェは左手の写本グリモア以外を使ってる素振りなんて!」


 雪斗を侮る姿勢でありながら、リオウは油断こそしていなかった。

 だから模擬戦をふっかけた時、雪斗が手に持つ写本グリモアの背表紙の柄をきちんと、その時に確認した。

 雪斗が今手に持つ写本グリモアと、模擬戦開始直後に使った写本グリモア。どちらも同じ柄……つまり同じ写本グリモア、弾丸を生成するものであるはずだった。


「えっと——」

「んなもん初めからだろ」


 雪斗が説明するより早く、恭介が口を挟んだ。


「篠原……センセ」

「雪斗のやつは初めから幻影を使ってた。つってもアレだぞ? ちゃんと開始の合図の後だ。ああ、あと俺の独断で決めて悪いが模擬戦はここまでだ。勝者は雪斗な」

「なっ……篠原! 俺はまだ!」


 敗北条件を満たしていないと食い下がるリオウに対して恭介が首を横に振った。


「やめとけ。速射じゃ雪斗にゃ追いつけねえだろ。それに、実弾が喉を貫通する気分味わいたくなきゃ降参が身のためだぞ」

「…………、クソッ!」


 その脅しのような言葉に、リオウが弾かれたように雪斗から距離を取り、そのまま無断で演習室を後にした。


「いや……流石にゴム弾くらいの威力に抑えてるよ?」


 雪斗の弁解は全員にスルーされた。


「ねえ篠原先生。さっき、楠木くんが開始直後に写本グリモア使ったって言ってたけどさ」


 一組の生徒が勇敢に挙手し、未だ残る謎を尋ねた。


「私たちも見てたけど、楠木くんが写本グリモア使う素振りなんて、あのかっちょいい銃のポーズ以外なかったよ?」

「よかったな雪斗、かっちょいいだってよ」

「殴りますよ、恭介さん」


 明らかにおちょくるつもりの声音と表情と態度だった恭介を、雪斗が若干恥ずかしそうに頬を染めながら睨みつけた。


「まあアレだ、お前らの言うとおり雪斗は写本グリモアに触れてねえ。だから答えは——」

不触閲覧ブロードヴェール……写本グリモアに触れずに起動する高等技術ね」


 預かっていたクロを返却しに来たレンジュの回答に生徒たちが騒めき。


「正解だ。そうだろ、雪斗?」

「うん。幻影のほうはこっちのポーチに仕舞ってたやつだよ」


 雪斗が取り出した写本グリモアから確かに漂う識力の残滓により一層騒めきが大きくなり、教師であるゾーヤすら驚きに目を見開いた。


「うるせー静かにしろー!」


 やかましく騒ぎ立てる生徒に負けず劣らぬ大声を恭介が張り上げる。


「つーわけで今日の実技ここまで! 各自、明後日の実技までに課題と反省点見つけておくよーに! 以上!」


 恭介の号令に合わせるように就業のチャイムが鳴り響く。

 それでもなお生徒たちの興奮は冷めやらず、演習室から帰りの廊下は他の生徒たちが何事かと教室から顔を出すほどに興奮に包まれていたという。


「はい、クロ返却。ユキト貴方、あんな高等技術どこで覚えてきたのよ」

「年始に恭介さんに会った時に、かな。やり方だけ教わって、ここに来る準備ができるまでの間に覚えておいたんだ」

「そんなノリで覚えられるものじゃないと思うんだけど? あとしれーっと祝詞も省いてたわよね?」


 触らず、唱わず。

 雪斗の技量は、明らかに並の高校生の域を超過している。


《妾の主ゆえ、当然じゃな》

「ビックリ主従め……!」


 胸を張るクロに、レンジュは呆れ半分驚き半分にツッコミを入れた。



 突発的に行われた模擬戦は、結果的に楠木雪斗という編入生の特異性をより際立たせる形で終結した。

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幻想の王の原典回帰 銀髪卿 @gin_kyou

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