第5話 実技演習

 レンジュが雪斗たちを案内した先は、高等部校舎に併設されたドーム状の建物……通称『第一演習室』。

 薄水色の床には碁盤を想起させる正方形の模様。演習室は他の教室や本校舎とは明らかに雰囲気が異なっていた。


 カツコツと床を鳴らして入室した雪斗は、白塗りの高い天井を見上げて違和感に首を傾げた。


「ここって正門から見える緑の屋根のところじゃないよね?」

「そっちは体育館ね。全校集会とか体力測定、あと部活動なんかで使うのよ」


 続々と集う生徒たち。

 中には雪斗とクロの記憶にない姿もそこそこ見かけた。


《ふむ。組み分けが違う者たちもいるようだが……》

「演習場の数が限られてるから、実技は基本他クラスと合同なのよ」

「へえ……」


 チクチクと。

 肌を刺すような居心地の悪さに、雪斗は確かに“見られている”という感覚を覚えた。


「ねえレンジュ。僕、なんか見られてる気がするんだけど」

「そうね。めちゃくちゃ見られてるわね」

「やっぱり?」


 自意識過剰から来る居心地の悪さではないとわかった雪斗は小さく安堵のため息をもらし、しかしすぐに何も良くないと肩を強張らせた。


「なんでかな……僕、編入してきたばかりなんだけど」

「だからなのよ」


 お前は何を言っているんだ、とでも言いたげな半眼をユキトに向けたレンジュが鼻を鳴らす。


「転校も編入も、この学術都市じゃ珍しいのよ」


 この学術都市に住む未成年は、大きく分けて二つに分類できる。

 生まれた時から学術都市にいる子供と、都市の教育機関にするために外からやってくる者だ。


 前者は言わずもがな、自身が転校や編入を経験することはまずない。

 そして、写本グリモアを扱う上でも一般教養が重要視されるがために、後者の子供が都市の教育機関に来るのは、外の国での教育過程にがついた時がほとんどだ。


 つまりは進学と重なるのだ。


 よって、雪斗の編入という手段は極めて異例と言える。

 さらに、学術都市の教育機関が初めての学校生活というのは、異例どころか学術都市の理念において異端と言って差し支えない。


 レンジュは、彼女自身の境遇もまた特異ゆえに『そんなこともあるだろう』と流したが、そんなことは滅多にないのである。


《ふむ。つまりは皆、雪斗のことが気になっておるのだな》


 自慢げに鼻を鳴らすクロ。

 クロもまた視線を集めることに一役買っているのだが、本猫は気づいていなかった。


「なんか緊張するなあ」

「大丈夫よ、授業が始まればみんな気にしなくなるから」

「だといいんだけど……」


 学園指定の運動服を着た同学年、同い年の少年少女たち。

 雪斗が目を向ければ大半が目を背けるように誤魔化したが、一部の生徒は睨みつけるような眼差しを向け続けていた。


《なにやら因縁をつけられておるようだが……》

「みんなも恭介の被害に遭ったんじゃないかな」

《ふむ! ならば今度仇を取らねばな!》

「そんなわけないでしょ、って言い切れないのがアイツなのよねえ」


 二人と一匹が益体もない話で気を紛らわせていると間もなくチャイムが鳴り、恭介ともう一人、雪斗の記憶にないほんわかした笑顔の女性が演習室に到着した。


「全員静かにしろー」

「は〜い、みなさんお喋りはそこまでですよ〜」


 恭介と女性教師の声で徐々に騒めきが小さくなっていく。

 バレないように、雪斗は声を顰めてレンジュに尋ねた。


「レンジュ、恭介さんの隣の人は?」

「二組の担任よ、ゴンゾー先生」

「そうな……え? 何? ご、権蔵ゴンゾー??」


 レンジュの口から飛び出た、おっとり笑顔の柔らかな第一印象とはかけ離れた名前に雪斗の脳が盛大に混乱した。


「あっ、違っ、本名じゃないわよ?」


 目を回す雪斗の姿に、説明不足だったことを察したレンジュが慌ててフォローを入れた。


「ゾーヤ・ゴンサレスっていうんだけど、本人が大の日本文化好きらしいのよ。だから、姓名順入れ替えて、更に略してゴンゾーって」

《本人が気に入っておるならいいのだが。そもそも元の名前もなかなかいかついのう》

「ご、ごん……あれが……?」


 にわかに信じがたいと物語る雪斗の視線の先で、ゾーヤはほんわか、おっとり、ゆったりという言葉が大変よく似合う仕草と声で生徒たちに注意を促している。


「はいは〜い。気持ちはわかりますが落ち着いて〜。質問は授業が始まってから受け付けますよ〜。なのでお利口にしてくださいね〜」


「名前とのギャップに頭おかしくなりそう」


 未だに受け入れを拒んでいる脳の再起動を試みる雪斗に、レンジュは少し肩を寄せ、いっそう声のボリュームを落とした。


「ところでユキト、ゴンゾーって日本ニッポンだとメジャーな名前なの?」

「……少なくとも、僕の周りにはいなかったかなあ」

《妾にも覚えがないのう》


 雪斗の感覚では1900年代の名前に多い印象があったがここでの議論は不毛なので沈黙を選んだ。


「レンジュは日本に興味あるの?」

「そうじゃないわ。ただユキトも日本出身でしょ? だから少し気になったのよ。ほら……ゴンゾー先生の知識って多分偏ってるから」

「ああ……それは、うん」

《名前の略し方から察するに、時代劇マニアかのう?》


 ちなみに正解は忍者NINJAオタクである。


「うーし全員揃ってんなー」


 演習場への入場時、生徒証を用いた認証システムで出席は確認済み。

 タブレットで全員参加を確認した恭介はやる気なさそうに端のベンチに腰掛けた。


「それじゃ、準備運動してから各自、自分で設定した課題に取り掛かるように、以上!」


 教師としての職務を完全に放棄したような恭介の態度に、何度目だろうか、雪斗とクロの眼光が冷たくなった。


「また恭介さんが適当やってるよ……ん?」

《あの男も懲りないのう。他の教師もいるというのに……うむ?」


 呆れる二人だったが、どうにも周囲の様子がおかしい。

 恭介な適当な対応を、もう一人の教師であるゾーヤは咎めもせず、むしろ相乗りするように『きちんと体をほぐしてくださいね〜』と声をかけている。


 さらに雪斗たちの周囲、号令を受けた生徒たちは文句ひとつ言わずに粛々と散らばり準備運動を始めていた。


「あー忘れてた! 使う写本グリモアは第八、第七世代限定なー! 第六以上は使用禁止だぞー! 俺が始末書書く羽目になんだから絶対使うなよー!」

『はーい!』


 堂々と『俺の仕事を増やすなと』のたまう恭介に生徒たちからまばらに笑いが巻き起こった。


《ふむ……あの恭介の号令に素直に従っておるようじゃ》

「まさか、恭介さんにここまでの人望があったなんて……!?」

「お前ら好き勝手に言いやがって……!」

「《あ、恭介》」

「せめて授業中は先生をつけろ」


 いつの間にか雪斗の背後に立っていた恭介は、面倒くさそうにしながらもだった。


「恭介さ……先生。これ何やってるの?」

「個別トレーニングだよ。事前に生徒自身が取り決めた課題をこなすのが星海の実技の方針だからな」


 教師は基本、その補助に回る。


「識力の多寡も、相性の良い写本グリモアも、個人によってバラッバラだからな。統一したメニューなんて組めねえんだよ」



 “識力”とは、写本グリモアを扱う上でなくてはならない力だ。


 理解の力の具象化とも、ただの生体エネルギーとも言われている識力は、個人によって保有量の最大値が異なり、また写本グリモアとの相性に良し悪しがある。


 七冊の『原典』から枝分かれした写本グリモアたち。彼らにもまた系統カテゴリと呼ばれる大元の『原典』が司る七つの区分が存在する。


 自然、生命、物質、感情、規律、循環、幻想。


 生命体はこの七つの系統カテゴリへの適正が個体ごとに異なる。

 よって、写本グリモアを実際に扱う授業では教師の目のつく範囲で自由に学べ、それが星海学園のスタンスである。


「えっと、つまり僕も?」

「ああ。つっても今日は初めてだしな……レーベック、雪斗のこと見てやってくれ」


 恭介からの一位指名にレンジュが大きなため息をついた。


「ったく。アンタが見ればいいでしょ? ……って言いたいけど、そうね。他の子が手薄になっちゃうし良いわ。その代わり、ちゃんと仕事しなさいよね」

「わーってるよ。んじゃ頼んだぞー」


 でかい欠伸をかましながらも、恭介は宣言通り生徒の様子を観察するように巡回を始めた。


「ごめん、僕のせいで」


 申し訳なさそうに小さくなる雪斗に、レンジュは首を横に振った。


「だから謝らないで良いわよ。ユキトは編入してきたばかりなんだから」

「でも、こうしてレンジュの時間を取っちゃってるわけだし……」

「いーの! あのバカ教師と比べたら大したことないわよ!」

《比較対象が参考にならぬのう》


 レンジュに時間を使わせていることへの負い目か、はたまた、恭介と比べられたことがショックだったのか。

 雪斗の表情はいまだに晴れない。


「あーもう!」


 そんな雪斗を、ムッとした表情のレンジュが、人差し指で彼の鼻をギュッと押し込んで無理やり前を向かせた。


「連絡先交換した時、私、頼って良いって言ったわよ! だからユキトは気にしないでいいの! あと——」


 ぱちくりと瞬きをくり返す雪斗。

 雪斗が言葉だけでは納得しない頑固な人間だと短い付き合いでわかってきたレンジュは、交換条件を差し出した。


「売った分の恩はあとできっちり回収するから、心配しないでいいわよ!」

《だ、そうだぞ。あるじよ》

「……うん」


 頷いた雪斗は、控えめでかつぎこちない笑顔を浮かべた。


「僕にできることなら」

「無理でもできるようになってもらうわよ!」

「横暴だなあ」


 そう言う雪斗の肩の力は抜けていて、表情も幾分か明るくなっていた。



◆◆◆



「まあ、説明って言ってもの使い方と実技中の注意点くらいしかないのよね。雪斗、スマホ開いて、学園専用回線に繋いで……そうそう」


 レンジュの指示に従って、雪斗は淡々と授業用のアプリを端末にインストールした。


「これは?」

「星海学園の演習室で使える簡易リモコンよ。そこタップしたら案山子が出るから」

「えっと、こうかな?」


 アプリで指示を飛ばすと、足下のマス目が開いて真っ白な案山子が生え出てきた。


「《おお〜!》」

「対象指定が必要な写本グリモアを使う時はこれを狙う感じね。あとは当然だけど人を狙わない、邪魔をしない無理も禁物、困ったら教師に相談する……これくらいよ」

《ふむ。であれば雪斗よ、早速試してみるのが良さそうだのう?》

「そうだね。えっと…」


 やっても良いか、視線で確認を求めた雪斗にレンジュは即座に頷いた。


「よし。クロ、ちょうだい」

《あいわかった》


 雪斗が左手をクロの目の前に差し出すと、クロが何もない空間を爪で引っ掻いた。


《来ませい、幻想空間》


 空間が、割れる。

 クロの爪の先が引っ掻いた空間に刻まれた線が景色を引き裂くように分かたれた。

 生まれた穴から、ずるりと、一冊の本が這い出て雪斗の左手に収まった。


「ちょっ……!?」


 目の前でしれっと行われた、割ととんでもない行為にレンジュが言葉を失う中、雪斗が案山子に向けて右手を拳銃のように構える。


 左手から写本グリモアへ識力が流れ込み、装填。

 右の人差し指の先に、半透明の弾丸が生成された。


「『汝を苛む不可思議の弾』」


 雪斗の口が短い祝詞を発した直後、中指の引き金を引く仕草と共に半透明の弾丸が放たれる。

 一直線に、実弾と相違ない速度で飛翔した弾丸は案山子の脳天に直撃——特になにも起こらず、パチっと静電気が走ったような音だけを残して散って消えた。


「……あれ?」


 本来、案山子は一定量のダメージを蓄積するとアプリの説明には載っていた。

 なので雪斗は一撃で倒せるに足るであろう威力を込めたつもりだったのだが……結果は無風である。


「おかしいな……手順は合ってるはずなんだけど」

《ふむ。恐らく幻痛の類いには未対応なのであろうな。まあそう落ち込むでない、当たった場所は表示されるゆえ、的当てにはなるであろう》

「そうだね。レンジュ、こんな感じで良かったかな?」


 雪斗が振り返って尋ねるも、レンジュは無反応。

 何かに驚いた表情からぴくりとも動いていなかった。


「あれ、レンジュ……?」

《中々珍しい顔で固まっておるのう?》


 二人が手のひらや肉球を顔の前でひらひらと動かしていると、ようやくレンジュが再起動した。


「——はっ! く、クロ! 貴女、今空間に穴開け……」

《これのことかのう?》

「てるわねえ!? なんなのよそれ!?」


 出会って日二日目のレンジュの、恭介に飛び蹴りをかました時以来の大声に雪斗とクロが揃って瞬きをした。


「何って言われると……クロの能力、かな?」

《妾の能力じゃな》


 当たり前のように空間を開閉して遊ぶクロに、レンジュが背景に宇宙を背負うように絶句した。


「喋る識神ってだけでそこそこ珍しいのに、その上……ねえユキト。クロの系統カテゴリってなんなの?」

「クロは幻想の識神だよ。さっきの力も、“ないはずのものをあると定義する”みたいなやつだったと思う」

「幻想は……っ。相変わらず意味わからないわ」


 七つの系統カテゴリの中で最も研究が未発達と言われている幻想系統カテゴリ。その摩訶不思議な能力にレンジュが頭痛を堪えるように顔を顰めた。


「あと……さっきユキトが使ってたやつは? 半透明の何かは見えたんだけれど」

「あ、一応見てはいたんだ」


 絶句しながらもちゃんと射撃を見ていたレンジュに、雪斗は先ほどの弾丸の正体を明かした。


「さっきのは“実弾が当たった時と同じような痛みを錯覚させる”弾丸だよ」

「おとなしい顔して殺意高いわね!?」


 年頃の少年らしい人畜無害そうな表情がデフォルトの雪斗から飛び出した、割とエグめの回答にレンジュが引き攣った笑みを浮かべた。


「というか、幻想系統カテゴリってそんなこともできるのね」

《レンジュは使ったことがないのかのう?》

「使えなかったの。私の識力とは相性悪かったのよね」


 本当は使ってみたかったんだけど——そう言って、レンジュはちょっぴり悔しそうに肩を落とした。

 が、すぐに気を取り直したように目を輝かせた。


「ね! 他にはどんなことできるの?」

「どんなって言われると……クロ」


 を求める雪斗の視線に、クロは悩むことな頷いた。


《うむ。見せることくらいはできよう》

「わかった。それなら“影真似”と“蜃気楼”を」


「——よう、編入生」


 背後からの声に、“幻想空間”から写本グリモアを引っ張り出そうとした姿勢で雪斗が動きを止めた。


「えっと……?」


 左手首から上がマジックのように途切れたまま振り返るというシュールな絵面。

 雪斗が声の主である男子生徒と目を合わせると、男はその高身長から挑発するように雪斗を見下して。


写本グリモアのお披露目がしたいんだろ? だったら、俺とやろうぜ——模擬戦をよ」


 そんな提案をしてきた。

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