第3話 秘密の章

 小さく震える細い肩を、風の様なりんの声が撫でた。


「どうか、顔をお上げ下さいまし。あき様を責めたい訳ではございません」


 頭を上げたあきの耳に、笑いを含んだりんの声が流れ込む。


「お忘れでございますか? わたくし、には興味がございません、と申し上げた筈でございます。その身を差し出されても、どう……」


 りんの言葉が止まった。

 僅かな間の後、自分に詰め寄る気配に、あきが身を強張らせる。


「その、お身体を使わせて頂くのは、どのような形でもよろしいのでしょうか」

「……ああ」


 あきが、ごくりと息を呑む。


「新しく拵えた薬を試すのに、ご協力頂いてもよろしゅうございましょうか? 実は月のものの痛みが軽くなる薬を拵えたいのですが、どうにも加減が掴めないのです。頓服して感想をお聞かせ願えれば助かります」

「……そんだけ?」

「ええ。よろしければ、早速試して頂いてもよろしゅうございますか?」


 拍子抜けした様に肩の力を抜くあきの耳に、ごそごそ、がさがさと何かを広げる気配と、ごりごりと何かをすり潰す音が聞こえてくる。


「そりゃ構わないけど、あたしは今、その、月のものじゃ……」

「さ、出来ました。手をお出し下さい」


 そもそも辛い方でもないのに、と、ぶつぶつ言いながら差し出したあきの手に、椀が乗せられる。口元に運んだそれから立ち上る臭いに、あきの口角が歪んだ。


「ちょ、これ凄い臭いだけど、本当に飲んでも大丈夫なの?」

「勿論でございます。どうぞ、一息にお飲み下さい」


 あきは意を決した様に椀の中身をあおると……倒れ伏した。からからと椀の転がる音の中、呼吸すらままならない様子で身体を小刻みに震わせていたが、暫くしてよろよろと上半身を起こし、顔を歪めてりんを


「苦……辛、酸っぱ……な、に、これ……」

「月のものを軽くする薬でございます。水は要りますか?」


 無言で差し出したあきの手に、水の入った椀が渡された。がぶがぶと飲み干す喉の動きに合わせ、首に下げた守り袋の紐が揺れる。

 りんは、ふむ、と小さく唸り、


「やはり、少々飲み辛いのかもしれま……」

「少々? かも?」


 あきは、りんの言葉を遮り、鼻息を荒げた。


「不味いどころじゃないよ、酷いえぐみだ。口がもげるかと思った。ああ、まだ鼻も喉もおかしい。悪いけど、こんなの売れっこないよ」

「薬効は確かでございます。仕方がありません、少々値が張ってしまいますが、葛で甘味を足して……」

「味を加えろって言ってんじゃないの、減らせって言ってんの」

「ですが……」

「兎に角、このえぐみだけでも減らしなって。酸いのはまだ何とか……」


 ぼやき続けるあきの愚痴を聞いていたりんが、やがて満足気に頷いた。


「……成程、では少々配合を変えてみると致します。ご協力、ありがとうございました」

「まったく、役に立てたんならよかったよ!」

「もちろんでございます。是非、またのご協力をお願い致します」

「えぇ……また飲むの……」


 あきは唇を尖らせ、


「世の女子おなごには感謝して欲しいね。あーんな不味いの飲まないで済むんだからさ」

「わたくしもあき様のお陰で、自身で試さずに済みました。女性にょしょうではございませんが、感謝いたします」

「……やっぱり、不味いって知ってるんじゃない!」


 歯を剥くあきに、りんはすました声で、


「お礼代わりと言っては何ですが、お口直しに、面白い話などいかがでございましょう」

「面白い話?」

「ええ。例えば……」


 りんが話し始めた。とある村に伝わる幽霊譚。天から落ちた星の欠片の行方とその結末。大鵂と蝙蝠の熾烈な争い。海の色が変わって見えるほどの、小さな生き物の群れ、等々。

 いつの間にか話に聞き入っていたあきに、風のような声が、


「ところで、先に仰っていた『面白いもの』は、何時頃お見せ頂けるのでしょうか」

「……自分で言っといてなんだけど、りんさんて、そういう話に興味あるんだね」

「ええ。どなた様も、面白い話はお好きでしょう? そういう話を幾つか知っていると、存外商売の役に立つのでございますよ」


 そんなもんかね……と、あきが頷く。


「けど、もう少し待って。あたしの用事が済んだらすぐに見せてあげる。反故にしたりしないから……ごめんね、勝手ばかり言って。あたし、凄く怪しいよね」

「分かりました。では、もう一つだけ。あき様のその目は、生まれつきでいらっしゃいますか? もしよろしければ、薬を拵えましょうか」

「これは十の時から。多分、目玉が潰れてるから、りんさんの薬でも治らないと思うよ」


 あきがあっさりと答えた。


「顔に大きな石がぶつかってね。傷は残ったけど、当たり所が悪ければって考えりゃあ、ついてたよ」

「不躾なことを尋ねてしまいました。申し訳ございません」


 あきは、かか、と笑い、


「気にしないで。言ったでしょ、別に不便してないんだ」


 顔を覆った布に両手を添えた。


「まあそんな訳で、見られたもんじゃないご面相を晒すのもなんだからさ、こうして布を巻いてんの。だから、これを取れなんて言わないでよ」

「あき様はお美しゅうございますよ」


 さらりと響く声に、あきが微笑む。


「ありがとう。りんさんが本当にそう思ってくれてるって判るよ。なら、この下は余計に見せられないかなあ。女心ってやつよ、お分かり?」

「女心、でございますか……中々、難しゅうございますね」

「ははは。そうね、けど、面白い話を沢山聞かせてくれて、この見てくれを褒めてくれたんだ、あたしも一つだけ秘密を話すよ。本当はね、あたし、遠くがの」


 りんの細い目が、更に細まる。


「遠く、でございますか。いったい、どれくらい遠くをご覧になれるのでしょうか」


 あきの口の端がにやりと持ち上がった。


「へえ、こんな話を信じてくれるんだ……そうね、昼間の男、あいつが何処から来たか、勿論りんさんは知ってるよね」

「はい。あき様と出会った場所から、四半刻程歩いた先の小村でございます」

「で、そこからこの集落までは、更に四半刻は歩いたよね。そこら辺りからこっちは殆ど。で、ずっと先には川があるよね。その川の少し先位までは、人や風景が。見えるのは、そうね、歩いて半刻先から二刻先位までってとこかな。とは言っても、よっぽど強く念じなきゃ見えないし、はっきり形を成してるわけじゃないんだけど……言葉にすると難しいね」


 だからね、昼間の男が本当に禿げてたのかは見えないって訳……と、肩を竦めるあきに、りんが訊ねる。


「わたくし、川を渡ってこちらに参ったのですが、あき様のお目には留まらなかったのでしょうか?」

「さっきも言ったでしょ? 強く念じなきゃ見えないの。りんさんのことを知らなかったんだもの、念じようがないじゃない」


 さて、これ以上は女子の秘密……あきは呟き、そっぽを向いて話を切り上げた。

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