シネマライト
衣純糖度
シネマライト
映画を観ている。
ミニシアターで観客は俺だけ、俺だけが映画を観ている。
映画は始まったばかりだ。主演は一人の男で、画面いっぱいに赤子の頃の彼がいる。きゃっきゃっと高い声を上げて両親から構ってもらっている彼が俺の知っているゴツくて背の高い姿になるのかと思うと不思議な感覚になる。赤子は柔く、その頬はマシュマロのようだった。
「赤ちゃんの頬って食べたくなるよな」
そういえば、彼はそんなことを言っていた。その時はサイコパスかよと思ったが今になってわかる。確かに、画面に映る赤子の頬を食べたいと思った。
映画は続く。
赤子から一人で歩けるまで映画の中の彼は成長した。幼少期の大事件として、彼から聞いたことがあったエピソードが流れる。近所の犬に追いかけられ足に消えない傷が残る怪我をおった事件とデパートで迷子になった事件の映像が壮大な音楽と共に流れる。彼から聞けば二つとも大事件のように聞こえたが、客観的な映像として見れば子供特有の微笑ましい事件で俺の頬も見ながら緩んでしまう。
幼少期の場面は切り替わり、彼は保育園児になった。
成長した彼は暴れん坊という言葉が似合うわんぱくな子供だったみたいだ。落ち着きなく走り回って、給食の苦手なにんじんをポケットに隠して、おとなしい友達を泣かせて怒られていた。
そのまま彼はスクスク成長し、小学生となった。
小学生になった彼は運動の好きな子供で、特にバスケットボールに夢中だった。ミニクラブに入って運動の楽しさを知るようになる。
しかし、ここで彼の人生に翳りが生まれる。彼自身は変わらない。変わらないが、彼の両親が変わってしまった。元々喧嘩の多い2人だったが、修復しようのない亀裂が入ってしまった。その亀裂の由来はわからない。この映画は彼の視点から見るものだから彼が知り得ないことは観客だって知り得ない。
喧嘩の絶えない日々の中、彼の両親は彼が小学校五年生になる時に離婚をした。母親と二人で暮らすことになった。彼は突然父親を失ったことで不安定になった。言いようのない怒りをぶつけたいと思う。けど、一生懸命働いて彼の世話をしてくれる母親にぶつけることなんてできず、一人で枕を叩くことしかできない。
そんな時、彼は母親からのお下がりのタブレットで遊び始める。最初はゲームしかしていなかった、けどそのうち飽きた彼は映画のサブスクのアプリを開く。
彼の母親はすっかり忘れていたが夫とアカウント共有をしており、どんな映画を観たのか、互いにわかるようにしていた。
彼は父親の名前のアカウントに入り、父が過去に見ていた映画を見始める。
なかには見ていることが母親にバレたら止められそうな映画もあった。しかし、彼は欠けてしまった心の隙間を埋めるように、映画を観た。
父親が好きなのは洋画だったらしく、白黒映画のロマンス映画から最新のアクション映画まで様々だった。つまらなくて途中で寝てしまうこともあれば、おもしろすぎて見終わった後もしばらく茫然としてしまう時もあった。
彼は映画を夢中で見た。彼は映画から世界の広さと狭さと残酷さと美しさをくだらなさと面白さ学んだ。
バスケットボールが好きなスポーツ少年の日課に映画を見ることが加えられた。
彼はそのルーティーンを継続したまま中学生となる。
制服に身を包んだ彼はバスケ部ではなく陸上部に入部した。部活終わりにいくらクタクタの状態で眠くても、寝る前に30分程、映画を観た。
両親の離婚後、月に一回、父親とは面会の日が設けられていた。彼はその日に、自分の見た映画の感想を父親へ話した。
茶目っ気のあるいつも笑顔の父親が、彼は大好きだった。父親も彼の映画の話を楽しそうに聞いており、二人は久しぶりに会っても気まずくならず、距離を感じることなく話をすることができた。
映画がある限り父親と繋がっていられるのだと、彼は嬉しく思う。
しかし、中学三年生の中頃、その面会がなくなった。父親が再婚し子供ができたため、明言された訳ではないがいつのまにか面会は減っていき、最後となった。
彼は父に会えないこと、映画を語れる人がいないことに寂しさを感じる。けれど、仕方がないと彼は言葉を飲み込んだ。彼は父親にも母親にも幸せでいて欲しかった。
中学を卒業すれば彼はスポーツ推薦で高校に入学した。
彼が高校に入るとそこで俺が登場する。俺は彼の視点から見て相当癖のある人だった。成績は良いが人付き合いのできない、いつもスマホをみている暗い人間。口を開けば相手に合わせる言葉ではなく、自身の理論を振りかざす円滑にコミュニケーションが取れない人間。そんな俺とは同じクラスだが親密に関わることはないだろうと彼は思っているようだった。
しかし、機会は突然訪れた。
彼が俺に話しかけたのは自習の時間だった。テスト明けということもあり、教室では誰も勉強をしておらず騒がしくはないが話し声で満ちていた。
彼は立ち上がり仲の良い友人に話しかけに行こうと机の合間を通る際、スマホを見ている俺の座席の横を通る。無意識に俺のスマホに流れる映像がを見た彼は思わず立ち止まる。
その映像には見覚えがあり、彼が一昨日見て、とても面白いと感じた映画だった。
「それ、何見てんの?」
彼は俺に話しかける。肩を叩かれた俺は突然の事に目を見開く。
俺がイヤホンを外せば、彼はまた「何見てんの?」と聞いた。俺は聞かれたままに、映画のタイトルを答えれば彼の顔は明るくなった。
彼は誰も座っていなかった俺の前の席に腰掛けるとにこやかに話し出した。
「一昨日、ちょうどそれ見て、めっちゃ面白いと思っててさ、俺、めっちゃ映画見るんよ、古賀も?映画好き?」
俺はこの時、クラスの陽キャが気まぐれに話しかけてきたのだと思った。自分が見た映画を、たまたま見ている人がいて、感動のような共感をしたのだろうと。適当に応対したらきっとすぐに離れていくと思っていた。
だから、俺が映画が好きと返答した後に、何の映画が好きか聞かれて戸惑った覚えがある。
ひとりで映画の続きを見たい、そう思い俺はマイナーなタイトルを答えた。知らない映画の話をされれば彼も離れていくと思ったのだ。
けど、予想に反して彼は笑顔になり「それ、見たことある、めっちゃ面白いよな」と答えた。
その時の俺はこのクラスに自分程、映画を見て入る奴なんていないと思っていた。だから自分が答えた映画を相手が知っていることでとるに足らないプライドが傷つけられた気分になった。
「どんなのが好みなの?」
彼の問いかけからから勝負を仕掛けたのは俺だった。
そこから俺の思いつく限りのタイトルを10個ほど上げていく。
最新のミニシアター系のものから00年代のアニメ映画など、きっと全部見たことないと思ったのだ。「えー、知らない、見たこともないや」と彼の顔は曇ると思ったのに、現実の彼は笑顔になり、「全部見たことあるよ」
と言った。
俺が呆然としていれば今度は彼の番だった。
「これは?」
最初に彼の口から出てくるタイトルが有名どころばかりだった。だから俺は安心して「知ってる」と答えてちょっと小馬鹿にしていた。けど、俺が知っていると答えるたびに彼の口から出されるタイトルがどんどんマイナーになっていく。そのたびに画面の俺の馬鹿にした笑みはなくなった。
最終的に彼は俺が見たことない古い洋画を上げていく。俺は「見たことない」と屈辱的な台詞を吐き、心の中で両手を上げた。完全に白旗だった。
この登場人物が俺じゃなければこの展開に俺は笑っていただろう。
複雑な心境の俺とは逆に、彼は自分と同じぐらい映画を観ている俺に感動していた。
そこから、彼は映画の話を俺にするようになった。僕と彼は一緒に映画館に行く仲になるのに時間はかからなかった。
月に1.2回程、予定があわなければ一緒にいかない月もあった。それでも僕らは映画を観る時は互いを隣に置いた。
終わった後にああだこうだと感想を言い合う、よかった場面、わからなかった事、素敵だったシーン。
彼は失ってしまった映画を共有できる人物を手に入れた。
(俺の映画だったらここはきっと結構な時間をとって省かれる部分なんてなく、重要なシーンとして描くだろう。けどこれは彼の映画だから数多あるシーンの一場面と同じ扱いだ。
この映画では流れないが、俺の視点から見た2つのエピソードがある。
1つは彼と映画に行くようになって何度目かの映画館でのことだった。
映画を観て泣く彼を一度だけ見たことがあった。映画館でエンドロールが終わった後、明かりが灯る。周りの客がどんどんと出ていく中で彼は席を立たずに手を顔に当てていた。ふざけているのかと肩を揺すれば彼は赤くなった瞳をこちらに向けて声もなく泣いていた。
確かに主演の俳優の演技は目を見張るものがあった。ストーリーの構成も唸るものがあった。けど、これは全米が泣く感動の映画ではなく、どちらかと言えば観終わった後に呆然としてしまう映画だった。
けどどこが彼の琴線に触れたのか、俺はわからなかった。どうすればいいのかと戸惑っている俺に彼はごめんと呟く。
「自分でも驚いてる…」
彼は涙を引っ込めようとしていたが収まらず、他の観客がいなくなった後も二人で席に座っていた。俺はあまり話しかけない方が良いのかなと思い、彼の隣で静かに座っていたけれど、ときおりちらりと盗み見れば涙は引っ込みそうになくて、袖口の色を変えていた。
俺は泣いている人間が嫌いだった。人前で泣くことは恥だと教わった。そんな恥を人前で曝け出すなんて行為は情けない。そう、思うと思ったのに。
俺は泣いている彼を見つめていた。
彼の瞳から涙が溢れる、映画を観て、彼が泣いている。明るく柔和で翳りなんて持たない人間(その当時はそう思っていた)の涙の威力を俺は知らなかった。
俺は今までで感じたことのない感情になる。後から思い返せば俺はこの時に彼がただの友人から別の枠に当てはまる人物となった。真っ只中にいる僕は理解できなかったが俺の人生がロマンス映画だったら起承転結の起にあたる部分で、ここから俺の人生は始まった。
二つ目は映画館で上映を待っている間の数分間の何気ない雑談だ。
「映画になってみたい」
彼がそう言ったので映画監督になりたいのかと伝えたら「違う」と言われた。
「映画そのものになりたい」
普段はそういった不思議な発言をしない、相手の理解できないような自分の思想は胸にしまっておくタイプだった。
「映画の終わりに照明が明るくなってスクリーンが暗くなると、立場が反転したみたいになるよな。スクリーンの中が観客で、俺らが映画で…」
彼は自分の考えを整理するように呟く。
「映画になって上映されていたい」
そういう映画のような人になりたい、ではなく、彼は映画になりたいと言った。
俺は普段の彼から想像できない台詞で、俺は驚いたけど、そんなそぶりは見せないようにして冷静に受け止めた。彼はきっと俺が馬鹿にせずに受け入れると思ったからそう言ったのだ。
俺は自分が彼の心情を吐露するに値する人物になれたことを喜ぶ。今まで俺にそんなことをする人間はいなかったから俺は人の特別になれたことを喜んだ。
その詳細を聞こうと思う前に会場が暗転してしまう。それからその詳細を聞けないまま俺たちは高校を卒業した。
これはあくまで俺の思い出だ。この映画は彼の映画だから、俺の思い出は反映されない。
映画の続きを見よう。)
彼の人生に二回目の翳りが訪れる。
高校2年生の進路を決める段階だった。彼は将来、うっすらとだが映画に関わる仕事をしたいと考えていた。そのために大学に進学する進路を望んでいたが、諦めざる得ない状況となった。
母親が精神的な不調を訴えて寝たきりの生活となった。元々ストレスの多い職場だった。しかし、母親は息子のために辞めることもできず、ストレスに耐えながら長い間勤めていた。蓄積したものが溢れかえった時にはもう遅かった。
仕事も家事もできずにうずくまっているだけしかできない母親の世話をすることを彼は決意した。金銭面的に負担をかけず、俺が母さんを支える。
大学進学を諦めた彼は高卒で公務員となる道を選び、勉強をはじめた。彼はそれ自体に文句はなく、母の世話をするのは当然と思っていた。しかし、何も知らない彼の映画を観る友人から映像制作を学びたいという理由から芸術学部に進学すると伝えられた時、密かに彼は泣いた。
高校を卒業し、希望通り公務員となった彼は忙しい毎日毎日を送った。慣れない仕事と母の世話を繰り返す毎日の中、彼の心は疲弊していく。けれども彼には映画があった。あるはずだった。
そういえば映画を観ていないと彼が気がついたのは、最後に映画を見てから二ヶ月ほど経過した時だった。
当たり前だ。朝から仕事へ行き定時に帰宅はできるが、帰宅してから母の世話と家事を行えばもうクタクタで眠るしかできない。休日は雑用と仕事の勉強をして、あとは寝てばかりで、映画を観る時間も気力もない生活だった。
彼は自分の支柱であったものが崩れていく感覚になる。母親の状態が良い休日の朝に彼は映画館へ向かった。気になる映画のチケットを買って座席に座りスクリーンを眺める。久しぶりに見る映画にワクワクした気持ちを持てたのは最初だけだった。集中していたのにいつのまにか別のことを考えてしまう。仕事のこと、母のこと、これからのこと。
スクリーンは視界に入っていたのに、映像を見ていなかったことを気づいたとき、もうストーリーは理解できない場所まで進んでしまった。彼は自分にショックを受ける。あんなに大好きだった、自分の支柱を観ることができなくなってしまった。
彼は上映の途中だったが、席を立ち、映画館を後にした。
以前と同じように楽しめない自分にショックを受けるぐらいならと彼は映画のサブスクを解約し、買ってあったDVDも見えないように部屋のクローゼットの奥にしまった。
その日から彼の生活から映画は消えた。
(俺はこの時の彼に何度か連絡をした。面白かった映画の話、映画に行かないかという誘いに彼は「もう映画は見ていないんだ」とだけ返してきた。映画がなければ俺は彼に連絡をとれなかった。とることができなかった。そこから俺たちはお正月の時にあけましておめでとうとメッセージを送るだけの関係になってしまった)
そこから月日は流れて、彼はいつの間にか29歳となった。彼女ができたことは何度かあった。けど、結婚の話が出てき時、女性たちは彼の母親の姿を見ると全員去っていき、彼は独り身のままだった。
母親は彼の献身的な介抱のおかげでパートで働きにいける程度までは回復をした。彼は穏やかな母親との生活を手に入れる。けど、それは束の間の幸福だった。
母親が亡くなったのは彼が丁度30歳を迎える前日だった。弱っていた身体に癌が発見され、あっという間だった。悲しいと泣くには彼は大人になってしまっていた。
淡々と手続きを進めながら、彼は母を悼んだ。
葬儀を含む全ての手続きが終わり一人となった彼は余白に戸惑う。余暇が増えた日常と母がいなくなって空白の増えた家のスペースに慣れないまま、生活は進む。
今まであったものがなくなって体が浮かんでしまいそうな感覚は、父親がいなくなってしまった時と同じだった。
そんな気持ちを埋めるために彼は家の整理を始めた。自室のクローゼットから手をつけ始めた彼はふと、奥底にしまわれた映画のDVDをみつける。
懐かしさを覚えて、再生すれば彼は新鮮な気持ちを映画を見ることができた。再生したのは高校生の時に見て、友人の前で泣いてしまった映画だった。あの時のことを思い出し、恥ずかしさで悶える彼が画面に映る。あの時のことを彼は思い出しながら再び映画を鑑賞する。
数時間後にエンドロールを見つつ情けないほどに泣いている彼の姿が写しだされる。久しく見ていなかった映画から悲喜とも高揚とも捉えられない感情の揺れ動きをダイレクトに浴びてしまったせいだった。
そうだ、俺はこういう体験をしたくてずっと映画を観ていたと彼は映画に対しての想いを再認識し、また違うディスクの映画を見始めた。
彼はまた映画を観るようになる。
彼が映画から離れていた期間に観たことのない映画はさらに増えていおり、とりあえず有名な賞を受賞したものから順に見ていく。
仕事終わりの母と食事をしていた時間に映画を流し、一人分少なくなった家事の余暇に映画を流し、母を病院へ連れていく必要のない休日に映画を観た。日々の生活の余白を映画が埋めこまれていく。
俺と彼が高校卒業以来の再会を果たしたのは丁度その時だった。
映画を観なくなった彼と俺の交流は絶たれていたが、映画を観るようになってから彼は俺を思い出す。高校時代に一緒に映画を観ていた友人に「会わないか?」と連絡したのは母親の死後、半年後ほどのことだった。
再び画面に俺が登場する。
(俺はすました顔で久しぶりなんて言っている。けど、本当は連絡が来た際に、メッセージを読み終えて驚きで携帯を落として、それを拾おうとして机の頭をぶつけてしまうという無様な醜態を職場で晒していた。)
久しぶりに再開した俺らはファミレスで近況を話す。
俺が質問をして、彼はこれまでの概要をかいつまんで話をする。現在も変わらず公務員として働いていること、母親が亡くなったこと。それを機に映画をまた見始めて、俺を思い出したことを彼は語る。
それを聴き終えた画面の俺は今度は自分の成果を話し出す。
(自慢じゃなくて彼にすごいと言ってもらいたかっただけだったが画面の俺は得意げに自慢をする、高慢の男のように映っていた。)
それを要約すると次のようなことだった。
大学で映像について学んだ俺は卒業後、映像制作の会社に入社をした。そこでさまざまな媒体の映像編集を学び最終的には映画の編集を生業とするようになった。当時の目標であった仕事に就けたことに達成感を抱きつつ、俺はまた別の野望の計画があった。
それは流行している動画生成AIを通じて、実際に生きている人の人生を映画化するというものだった。
実在する人物の人生の記録、映像や写真、その人の声や姿をデータ化してAIに学ばせてを映像化する。けど、ただの映像化じゃない、映画にするというのが重要だった。
俺の話に興味を持った業界の数名とともにプロジェクトは開始した。最初は数人で始めた小さな計画が、次第に関わる人が増えていき、最終的には興味を持ったベンチャー企業へ売り込むことに成功した。
俺はそのタイミングで転職し、本格的なビジネスとして計画が始動していった。
その映像は、あなたのための映画という意味、「Your movie」と命名された。
最初から映画ができたわけではない。最初は短い思い出のシーンをショートフィルムのように再現したものから始まった。例えば子供のお誕生日会のシーンを残して欲しい、結婚式で流すオープニングムービーで付き合って結婚するまでの過程を映像化してほしいという依頼などから「your movie」は知名度を上げていく。
現在、やっと映画化までいく技術が整ってきており、映像部門の責任者である俺はそこでAIに無数のアングルを学ばせていると彼は長々と説明をしている。
(俺はこのとき、話をすることに夢中で彼が話についてこれていないことに気づけていなかった。あとから彼にこの時のことを聞けば何言っているのかよくわからなかったと告げられた。)
長々とした話を終えた俺に彼は一言でまとめた。
「自分が主演の映画が作れるようにになるってこと?」
俺が自慢げに頷くと彼は「すごいな」と言った、けどその後にどこか上の空になってしまう。しばらくは話を続けたか、俺は彼が上の空になっていることを気づいて帰ろうと伝えてそのまま俺たちはファミレスの前で別れる。
(俺はこのとき、ショックだったことを覚えている。
「すごいな、そんなことやってたのか。俺もそれをやってみたい」
彼がそう言ってくれると思っていた。そうしたら俺は彼の人生を映画化して、彼を映画にしようと思っていた。そのために、俺は映画にかかわっていたから)
俺と別れた後に彼は一人物思いに耽る。すごいことをしている同級生を羨みそうになっていた。俺は何も成し遂げられていない人生を、送っているのに…。重くなってしまった足取りのまま、帰路を歩きつつ、自分がしたかったことはなんだったのだろうと思い直す。
高校生の時に思い描いていた自分はどんなだったか。
長年思い描くことがなかった願望は明白で、明確で、不純物の混じらない彼の確かな願いだった。
「映画に関わっていたい」
彼は体が軽くなる感覚になる。自分がしたいことはもう、捨てきれないほどに、心の底から湧き上がっていた。
彼は急に母の死から感じていた体の軽さを再認識する。
大切な母がいなくなってしまったその軽さが辛かった。けど、違う。俺は自由になんだってできる。空っぽで浮いてしまいそうだった彼はそのとき、浮かぶことは悪いことではないことに気がついた。俺は浮かんでどこへだって行けるのだ。
そう思って彼は大きく一歩を踏み出した。
踏み出した足は地面につかないで、空気を踏んだ。もう一歩踏み出した足も空気を踏み、彼は徐々に上空に近づく、そうすれば彼を止めるものはもう誰もいなかった。
彼は空を飛び始めた。キラキラと輝く星空をバックに飛ぶ。長い滑空の映像が壮大なBGMとともに流れる。音楽の終わりと共に、彼は自分の家の前に着地をした。
(これは俺がこだわった場面だ。実際には彼は空を飛んでないが、これは映画だし、彼がこの場面を見た時に笑ってくれたからこれでいい。)
そんな彼が目標として掲げたことは映画館をつくることだった。ミニシアターを作り自分の好きな作品を永遠と流す。そんなことを夢に見た。
まず最初に彼は公務員の仕事を退職した。
そのまますぐに大手の映画館でバイトを始める。映画館で働いたことのない自分が映画館を作るなんて無謀だと考えた、そのバイトに慣れてくれば経営の勉強もしてそのうち都心ののミニシアターを巡るようになる。それに俺がくっついていくシーンもある。
(俺は最初、彼のミニシアターを作りたいという夢に戸惑う。しかし、彼のやつれていた暗い顔がイキイキとしていく姿に、高校生時代の彼の面影をを見つける。俺は彼がしたいことを応援したかった。)
ミニシアターを巡るうちに一人のミニシアターの管理人と親密に交流を持つことになる。彼がミニシアターを作りたいと考えていることを伝えれば彼に運営の仕事を教えてくれた。彼よりは20歳ほど年上のはっきりとした物言いの癖のある人物であるが、面倒見が良いのよい豪胆な女性だった。バイトをしつつ、週一回程、ミニシアターで彼女の後ろで勉強をした。
そんな日々を過ごしていれば気がつけば五年の月日が経っていた。
彼女が管理するミニシアターを閉めるという話を聞いた時、彼はすぐに譲り受けたいと申し出をした。
しかし彼女は反対した。設備が古くなっているために改築が必要であるが、不況のため経営が厳しくそれが難しく、もうすぐ老齢になる彼女には負担が大きい。ために仕方がなく閉館すると彼女は悲しげに語る。
それなら俺が改築の資金を集めますと彼は声高らかに宣言をする、しかし彼の声はすぐに小さくなってしまった。
提示された金額を見れば到底用意できないもので彼は困り果てる。自身の貯金もその金額を出せば少しは賄えるが全額ではない。その上、融資はすでに断られていると彼女は言っていた。
彼が頭を悩ませていれば、そこに俺が登場する。
俺は一つの提案をする。
会社で「Your movie」を流す専用の映画館を作る予定があった。依頼されたデータだけを渡すのは味気ないという声があがり、「your movie」を依頼した人物やその人が呼んだ人物を招いて上映会を行うサービスを提供する計画があがり、この映画館を推薦するというものだった。改築の資金も月々の契約金も支払う。通常の映画館運営とともに依頼があれば「your movie」の上映会を行うという契約の内容だった。
彼はすぐにその契約を結んだ。
工事は早急に進められ、話が出てから半年後、彼はミニシアターの新しい管理人となった。
シアターの入り口に掲げられた新しい映画館の名前は「シネマ•ライト」だった。
そこからの彼は夢に見た日々を送る。管理人は楽なことばかりじゃない。けど、映画を上映してそれを観客が観にくる。映画と観客の橋渡しとなれていることに彼は喜びを見出して、生きていることを実感できた。
そして時折依頼が入る「your movie」の上映を行った。彼は様々な人の人生を見た。偉大な功績を残した大企業の社長まで上り詰めたの男性の映画から、病気で亡くなった専業主婦の闘病の映画、それから初恋の人と夏祭り行った場面だけの映画。様々だった。
それを見ながら彼は自分が映画になるのであれば、映画に人生を捧げた男の映画が良いと考えた。
だから、これからの映像はダイジェストだ。
彼がミニシアターの運営を初めて15年程の月日が流れた時、彼の体に癌が見つかった。母親と同じ部位で、見つかった時は手遅れだった。そこからの彼の行動は早かった。ミニシアターの運営を信頼できる人へ託し、経営権利を譲った。
そして観たかったが観れていなかった映画を全て観ることにした。その時に彼が隣に置いたのは俺だった。彼の家で、映画館で、シネマライトで、俺の家で、俺たちはずっと映画を見ていた。
(一緒に見るのが俺でいいのかと彼に聞けば、お前以外に誰がいるんだと返してきた。俺は外せない用事以外の時、彼の隣で映画を観た)
映画を見る日々を送りつつ、彼は自身の「your movie」を作成した。担当したのは俺だった。彼は俺に告げる。「闘病の部分はいらない、映画に人生を捧げた男の映画にしてくれ」
俺は言われた通りに彼の半生を描く。
彼の口から語られる記憶と、彼の写真や映像を用いて映像を作る。リクエストは一切なくて、彼は「古賀から見た俺を残してほしい」そう言うだけだった。
俺はその言葉通りの映像をつくる。
亡くなる直前に彼はシネマライトで完成した自身の「your movie」見始める。映画に人生を捧げた男が、映画となって人生の幕引きをする。
そこでこの映画は終わりだ。エンドロールが流れはじめて、主演の部分に彼の名前がありその数個後に俺の名前があった。
(彼が亡くなった後に初めて見た彼の「your movie」は一度見たことあるはずなのに何故かその時よりも泣けてくる。彼はこれを見て、俺にありがとうと言ってくれた。そして数日後に息を引き取った。その現場に立ち会ったが今でも思い出すと手先の冷たい感覚になる)
エンドロールが終わり会場が明るくなると思っていたのに、なぜか暗いままだった。俺が戸惑っていればスクリーンがまた明るくなり、映像がながれる。
そこには病室のベッドで体を起こしている彼の姿があった。こけた頬と、顔色の悪さから亡くなる直前に撮られていることがわかった。彼はカメラに向かって話している。これは生成AIを用いていない本当の彼の動画だった。
「古賀、観ているか? これは古賀に秘密で撮っている。撮り終わったら俺の映画の後にこっそりとつけてもらうようにお前のアシスタントの人にお願いした。
昨日、完成した映画を見せてもらって、なんだか俺の人生って客観的に見るとこうなるのかと不思議な気持ちだった。けど、違っていることがある。俺はあんなに聖人君子みたいな人間じゃない。表には出さなかったけど、大学に行けなかった時も、父が別の家庭を作ってしまった時も、母が亡くなった時も、なんで俺ばかりこんな目に遭うんだって嘆いて周囲を恨んでいた。俺はなんで独りで、人生を寄り添って助けてくれる人がなんでいないのかってずっとずっと嘆いていた。俺はもっと醜い人間だったよ。
けど、古賀から見たら俺の人生は美しいと思えた。
さっき、俺はずっと1人だったと言ったけど、俺にはずっと古賀がいたんだよな。
古賀がずっと俺を助けてくれていた。父を失った時に映画を一緒に見てくれた。お前に嫉妬して連絡をとらなかった時もお前からずっと連絡をくれて縁を繋いでいてくれた。母が死んだ時に連絡した俺を受け入れてくれた。ミニシアターを作るから退職すると言った時、周囲は反対したけど、古賀だけが応援してくれた。終いにはミニシアターの開業まで。お前がいなきゃ俺は何もできてなかったよ。
お前がなんで俺にこんなに良くしてくれたのかわからないけど…、なんて、言わない。
本当は古賀の気持ちに気づいてた。古賀が隠していることを俺が無理に暴く必要はないなと思って黙っていた。俺の身勝手な判断かもしれないけど、古賀は俺と友人じゃない関係性になりたかったかもしれないけど、これだけはわかってほしい。古賀は俺の映画のエンドロールで、俺の名前の次に流れるぐらい俺の人生での重要な人物だった。5番目なんかじゃない。
この映画は古賀のための映画だ、古賀から見た俺を、お前が何度でも観れるように、思い出せるようになったらいいと思った。
お前から見た俺を、俺はお前に送る。こんなことしかできないけど、恩返しになっているのかわかんないけど、古賀に映画を送るよ。
古賀がいてくれて俺は人生を生きられたよ。俺の人生を、人生にしてくれてありがとう。」
彼の力はない微笑みで映像は終わった。
映画が終わり、照明が灯り、明るくなる。
映画の終わりに明るくなるこの瞬間を彼は観客の世界とスクリーンの世界が入れ替わると言っていた。
けど、俺は違った。俺にとって映画は光だった。
眩しい、眩しい幻の世界を俺に見せてくれて、現実を生きていくための糧をくれるものだ。
父からの暴力も、母からの無関心も、ままならない自分の性格も忘れさせてくれて、寂しさや孤独に塗れた、鬱屈した気持ちを持つ俺を救ってくれたのは映画だけだった。映画を見ている数時間だけ、俺は現実から離れて映画の中にいける。それは自分という精神を保持するために必要な行為だった。
現実は生きるに値しないと思っていた、いつ壊れたっていい、失われたっていいものだった。
けど、それを変えてくれたのは言うまでもなく彼だった。誰かを想う気持ちを教えてくれて、孤独な俺の世界を切り開いて、目標をくれて、現実は生きるに値すると教えてくれた。
俺のおかげで人生を生きられたと、彼は言った。それを言うなら俺もそうだ、お前がいたから、生きれたんだ。
何も上映されていない真っ白なスクリーンを見ていれば、俺はいつかの彼との会話を思い出していた。
あの時の俺たちは今よりも若くて、改築が完成間近のシネマライトの座席に隣り合って座って、何も上映されていないスクリーンを眺めていた。
彼は年相応の落ち着きを得た大人だったが、その時ばかりは年甲斐もなくはしゃいだ声で楽しそうに話をしていた。
隣の席に座って彼の話を聞きながら俺は真っ白なスクリーンを観ていた。
「名前、どうするか」
彼が持ち出した話題は決まっていなかった映画館の名前だった。
「前と同じままにしようとしたら怒られたんだよね、それは私が作り上げた映画館の名前だからって」
「あの人、言いそうだな」
「だから、新しく考えないといけないんだよな」
「何か候補はあるのか?」
「わかりやすくて、シンプルで、象徴的なもの」
「…難しいな」
「俺にとって映画は人生だからさ、ライフイズシネマって名前にしようかなって思ったけど、なんか違うな〜って、なって」
「映画は光だよ、灯り、ライト」
その時の俺は満足感に浸っていて、ついそんなことを口走ってしまった。
「どういう意味?」
彼に聞き返されて俺は正気に戻る。
「…とにかく、光なの、俺にとって」
気がゆるんで綻んだ言葉から漏れ出た本心を隠すために俺は誤魔化す。
「ふーん…、光か…」
その後日、彼は映画館の名前をシネマライトにしたと報告してくれた。
あの時、彼に言えなかったことを俺は隣の空白を見ながら呟く。
「映画は暗い夜明け前の空に朝日が差し込む瞬間で、暗がりの懐中電灯で、夜空の満月で、停電の中の一本の蝋燭で、深海にいる人魚の瞬きからできた泡で、ラメ入りネイルをした爪先で、老人の幸福な過去の回想で、快晴の日に薄暗い部屋からドアを開けて外に出ること。俺にとって映画は光。映画はお前」
俺は一呼吸置いて彼を呼ぶ。
「なあ、わかったか、光一」
名前を呼びかけて、俺は理解する。一人の男が、失った男の映画を見るという俺の映画のラストシーンが今、終わった。
シネマライト 衣純糖度 @yurenai77
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