第11話 別にいいじゃん

 思い返せばあの日、百瀬と別れた後、私は泣けなかった。


 何事もないような顔をして家に帰って、翌朝もふつうに学校行って、いつもどおりの一日を過ごした。

 いや、そうじゃない。もっと、いつも以上にがさつに、強くふるまったんだ。

 まるで、彼らが思いえがいているゴリラ女そのもののように。

 

 それだけじゃない。嫌がることをわかってて百瀬のことを、ももちゃんと呼ぶようになった。

 声を、しゃべり方を、体型を、運動のできないことをからかった。

 あの時のみじめな私を消し去りたくて。

 助けてくれたのに、本当にバカだ。

 ぎゅっとかみしめていた唇をゆるめる。


「あたし、百瀬に…………ちょっと、まって」


 涙をこらえようとしたせいでうんと鼻声になった。鼻が垂れそうになって慌てて押さえる。

 早合点した凛花が声を裏返らせた。


「えっ、ももちゃん? まさか、かなえに女装なんて言ったの、ももちゃんなの?」

「いや、そうじゃなくて……」


 あたしが鼻ティッシュを探してあたふたしている間に、凛花はひとりで怒り出す。


「私も男子にはさんざん言われてきたわ。まな板とか、まな板とか、まな板とかさぁ」


 くりかえす言葉に怨念がこもっていく。

 大きな布リボンが胸元をかざっていて目につかないが、凛花の胸は今も少年のようにストンとしていた。そのことをやたらと気にしているのだ。

 あたしは大きいのが恥ずかしいけど、そんなこと言うとぜいたくだとキレられてしまう。


 顔を涙でいっぱいにしていた杏も、鼻をすすり上げながら、太ももにくいこんだニーハイソックスを見て口を尖らせる。


「そうよ。すれ違いざまに足太っとかさ。笑って流してるけど地味にグサーって来るんだから」


 着圧ソックスなんだろう。太ももには規則正しくならんだしまもようが赤く浮かび上がっている。


「待って、違くて」


 由美子が手渡してくれたティッシュで鼻をかみ、誤解を解こうと口を開くが、もり上がった二人は止まらない。


「わかるー。やめてって言っても聞いてくれないよね。冗談だろ、女のヒス怖って、こっちが空気読めてないみたいに言われんの。許せん」

「言われた相手が笑えない冗談なんて、ありえないよねー」


 凛花の怒りに杏が大きくうなずき同意すると、由美子が感心したように、はーっと息をついた。


「みんな似たような経験してるんだね」

「ウソだ。由美子にそんな冗談言うやついないでしょ」


 由美子の言葉に凛花が大きな声を出す。あたしも想像できない。


「そういう直接的なのはないけど……」

「だよねー。なんか由美子には言いづらいのよ。かなえはいじりやすいけど」


 由美子の言葉をさえぎり凛花はあたしにウインクする。

 由美子にはやっちゃいけないと思うことをあたしには平気でやれる。そう言われてカチンとこないわけがない。


「は? なんでよ」

「なーんか、言いやすい」


 まるでほめ言葉であるかのように親しげな顔をしてくるけど、だまされない。


「あたしはなにを言っても聞いてもらえなくて、かなりゆううつだったけど? 凛花だって人に冗談だろって言われるの、許せなかったんじゃないの」

「うっ……」


 凛花の表情が固まる。それを見て、杏がおずおずと手を上げた。


「……ごめん。私もかなえは本気で嫌がってるわけじゃないと思ってた」

「ずっと嫌って言ってきたのに」


 言いやすい相手をいじったりからんだりするのは、する側は親しみの表現だって言うし、周りにも仲がいいかのように見えてるかもだけど、ちがうよ。


 許してくれるだろう。受け止めてくれるだろう。

 もっと言えば、多少相手が怒ったところでどうとでもなるだろうと、たかをくくられているんだ。

 だから、そんなに怒らなくてもなんて責めることもできる。

 それくらい別にいいじゃん、冗談だろ? なんて言える。


 とはいえ、あたしも同じだ。

 上級生にはなにも言えなかったくせに、百瀬をさんざんいじってきたんだから。

 百瀬も、本当はしんどかったりするだろうか。気にしてないように見えるけど、平気なわけないよね。


「……ゴリラ女」

「えっ?」

「ゴリラ女って言われたの。私。四年生の時に上級生たちから」


 三人の視線が集まる。

 あのときの上級生も軽い気持ちだったのかな。

 あたしならいいだろうって思ったのかな。

 でもその軽い気持ちのせいで、あたしは自分らしさを失って、何年も苦しんだんだ。


「かな……」

 

 凛花の声を遮る。


「待って。絶対、そんなことでって言わないで」

「言わないよ。バカ。バカじゃん。見る目なさすぎ、そいつら」


 小さな二つの拳で胸をやさしくなぐられる。凛花の言葉に由美子がうなずき、杏が再び涙をためる。

 

「幼稚園の頃からずっと、かなえは私の憧れなんだよ?」


 あれからあたしは、自分がうんとみにくく汚いものになったような気がしていた。

 知られてしまったらこれまでの魔法が解けて、みんなにも本当のみにくさがわかってしまうんだって、ずっと怖かった。


 だけどちがった。

 あのことが起きる以前と、ほんとはなにも変わってなかった。

 ひどい魔法にとらわれていたのは、あたしのほうだったんだ。

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