08「募兵官の昼」




 可及的速やかに義勇部隊を編成・運用せよ。


 北部の領都から侯爵閣下名義で発せられた命令を最も心待ちにしていたのは、あるいは自分の上官だったかもしれない。都市メヌエーの役所から離れた区画に借りた臨時募兵受付所の中で、オルスキヤ・マッディは集まってきた人材のリストに目を通していた。


 シャンドリー侯爵からメヌエーの統治を任されている属郡官は、準貴族階級のロンベル家である。すなわちメヌエー一帯の兵を動かす権限を握っていたのがロンベル家当主とその嫡男。そこに、部隊創設の上意が届いた。これでメヌエーは二つの軍事組織を抱えることになる。同時に、都市の中で埋没していた者たちを野に解き放つことにも――。


 北・東部で匪賊の台頭が著しくなっているという情報は少し前から入ってきていた。いずれ領都の軍団単体では対処できなくなるだろう、と誰よりも先に見抜いていたのが、オルスキヤの上官にあたるアトランゼ・ロンベルだった。属郡官の長女。まだ若いが、才気にあふれた令嬢だとメヌエーの人間ならみんな知っている。彼女にとって今までが不幸だったのは、居場所がなかったことだ。父親は娘の嫁ぎ先探しに熱心であったし、長男の兄は自分よりも人気がある妹の存在を持て余し、大した職を任せないままかといって外にも出さず、ただ飼い殺していた。


 都市の外門を守る衛兵隊長など、通例なら下級役人が務める職務だ。同じ官吏とはいえ、属郡官を任される家の人間が配属されるところではない。だというのに、アトランゼは文句のひとつもこぼさず、よく仕事をまっとうしていた。心配して集まってくる者たちに、彼女は不満なことはないと笑い、その流れで頻繁に宴席を開いた。最初はままならぬ現状にさ晴らしをしているのかもと思っていたが、すぐにそうではないと気付いた。匪賊の被害報告が目立ち始めた頃、彼女は言ったのだ。「忙しくなるぞ、オルスカ」と。偶々たまたまふたりきりになった時の会話で、オルスキヤには何のことかすら分からなかった。


 そこに今回の義勇軍騒動だ。正直、身震いを覚えた。幼い頃から彼女を見てきたが、これほどまでとは――。


 当然、侯爵閣下からの命令通り、部隊を整えねばならない。では、誰がその指揮を執るのか。父親は属郡の運営があるからと難色を示し、兄はメヌエーを守らねばと拒否した。他にロンベル家の寄騎たる準貴族の将校がいないでもなかったが、一同の視線はひとりに集中する。責任とふさわしい家格を持ち、それでいて暇を持て余している人材がいるではないか、と。


「――私が、メヌエーの土地と民を守る干城となります」


 市庁舎で行われた会議のさなか、アトランゼは朗々と宣言した。

 室内に次々と響く賛同の声。長年ロンベル家に仕えてきた寄騎たちもこの時を待っていたのだ。退けるに足る理由もなく、ほぼ満場一致で彼女は外征の義勇軍を率いることに決まった。


 そして随行する将校のひとりとして、オルスキヤが選ばれた。一体いつから、どこまでを読んでいたのだろうかと思う。深謀遠慮とはこのことに違いない。


 ひとつだけ分かっているのは、これが彼女の待ち続けていた好機だということだ。義勇軍――有り体にいえば訓練を受けていない一般人の集まりである。まともに戦える者がどれだけいるか、そもそも戦力と呼べるほどの数が集まるのか、それすら不確かな中で、アトランゼは町の外に出ることを選んだ。もうメヌエーここには自分の居場所がないとばかりに。


 戦果だ。彼女には、戦果こそが必要なのだ。寄せ集めの軍を率いて、メヌエーに――侯爵領中に知らしめなければならない。彼女こそがアトランゼ・ロンベル。南部一の名将であると。その先にしか、彼女の未来はないのだから。



 気を引き締め直したところで、オルスキヤの身体が空腹を訴えてくる。


 そういえば、食い詰めた貧民窟出身者や元受刑者、孤児に娼婦に果ては今現在盗賊の疑いのある者まで、リストに並んだ頭の痛くなる面々をどうしてくれようかと悩んでいるうちに、結構な時間が経っていた。さっき部下のひとりが近場で料理をテイク・アウトしてくると言って出ていったままだ。彼が戻ってくるのを待って、休憩にしよう。


 そう思って席を離れたオルスキヤの耳に、ちょうどドアの開く音が聞こえてきた。




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『エルンの大地』 龍宝 @longbao

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