第11話 夢と現実と苦しみと
ヘビやイノシシなどに気を付けようと、小さな音も聞き逃さないように、慎重に草をかき分けながら進むと、小さな広場にでた。
そして、目の前に広がる光景に、思わず私は声をもらした。
「夢の……まま……」
正面には夢で見たのと同じ、石を積んだ壁が、半ば森に埋もれるようにしてそこにあった。
所々苔むしており、石の隙間からは草が生えている。
夢で見た光景とほぼ同じことに、私は寒気を覚えた。
夢の中の壁よりも多少古ぼけているような印象を受けるけど、私は確かにこの壁のことを知っているような気がした。
急に怖くなってきた私は、ポケットの中にいれていた鈴へと手を伸ばし、鈴をつかんだ。
……チリン……。
ポケットから小さくこもった鈴の音が辺りに響くと、それを合図にするかのように、
「あん? 誰や?」
という、うさんくさい関西弁がどこからともなく響いてきた。
心臓が大きく跳ねたような気がした。慌てて周りを見回してみたけど、人影なんてあろうはずもない。
身体が、緊張と恐怖でガタガタと震えだすのがわかる。
「なんや今の鈴の音はどっかで聞いた気がすんねんなぁ。なあそこのおっぱいのでかい姉ちゃん、あんたワシと会ったことあったか?」
どうやら相手には私のことが見えているようだけど、どこをどうみても私以外には人の気配がない。
信じがたいけど、正面の壁がしゃべっているようにしか感じられない。まさに、夢で見たとおりだ。
「なんや自分シカトか? 人様に名前を聞かれたらちゃんと答えやって、おふくろさんから習わへんかったんか?」
私より少しくらい若そうな男性の声が、確かに目の前の壁から聞こえてくる。
「あっかんわ……自分、おもろないわぁ。さっきのワシにちゃんとツッコまなあかんやろ。人やあらへんやないかぁ~~い!! ってな。ま、ええわ。ほなもっかい聞くで? お・な・ま・え・は?!」
今の状況がまったくわからず混乱してしまっていたけど、とっさに私は目の前の壁に自己紹介をしてしまっていた。
「柊ねぇ……。柊カナミ……。なんか聞き覚えがあんねんなぁ……」
どうやら柊家というのは、この村では相当有名な家だったのに違いない。なにせ、壁にすら心当たりがあるっていうのだから……。
「ちょいとさっきの鈴をもっかい鳴らしてくれへんか? ほな多分すっきりする気がすんねん」
怯えながらも私は、壁に言われたとおりにポケットから鈴をとりだして一振りした。
……チリン……。
鈴の音に集中しているのか、壁は黙り込んでいる。
その間、私の心の中には、ある疑問が湧いてきた。
(どうして私はこの場から逃げようとしないんだろう)
こんな非現実的な目にあっているというのに、どうしてか逃げ出そうという気がまったくおきなかった。
夢に見たせいなのかな。それとも、過去に同じ体験をしたことがある……のかな。
すると突然、壁がまくしたてるように、
「せや! せやったせやった!! 思い出した!! 自分、あん時のチビやないかい!! ずいぶんでかなったなぁ!!」
大声を張り上げたので、驚いて手に持っていた鈴を地面に落としてしまった。
「ひっさしぶりやな~~~!! 姿がすっかり変わりよって全然わかれへんかったぞ!!」
壁は、もし手足があるのならバンバンと肩を叩いてきそうな勢いで声を張り上げ、ペラペラと留まることなくしゃべりだした。
「なんやねん、身なりはそないにでかなったっちゅうんに、相変わらずビビリなまんまかいな。せやけど、自分ほんまでかなったなぁ!! 人間さんはこれやからめんどいねん。ちぃとの間見らんかったら誰かわからんくなるもんなぁ。ワシも誰もけぇへんから、ず~~~っと寝てたんやけど、ほら見てみぃ?! ワシの美しい身体に草が生えてきとるんやで?! 信じられるかぁ?! しまいにゃ、そこら辺の犬やなんやらがワシにションベンぶっかけやがんねん!! ワシャ
矢継ぎ早にしゃべり倒す壁にしり込みしつつも、慌てて鈴を拾う。
そうだ。確かに私は何度も言われて、怒られていたような気がする。
ぼんやりとだけど、なんだか記憶が戻ってきているような感覚だった。
「ご、ごめんなさい」
普段はなかなか口にできない謝罪の言葉が、何の抵抗もなくすんなりと出てくる。
「ちゅうか自分、急にどないしたん? ちっこい時は、ようさん来てたんに、急にけぇへんくなったやん? ワシ、ほんまさびしかったんやで……」
きっと、本当に寂しかったのだろう。その証拠に、壁のしゃべるスピードとトーンが一気に落ちてしまった。
「せやけど自分、変わったのは外見だけやあらへんみたいやな。ワシんことも覚えてへんかったみたいやし、色々なくしてしもうたんちゃうか?」
壁のその一言が、急に私の心に大きな
「せやったら、なんか見てるこっちのほうが痛々しいねんなぁ。なんがあったんか知らんけど、手ぇ貸してやりたいのはやまやまやけど、ワシって手ぇないやん? せやから、自分でなくしたもん探さなあかんで? それともあれか? ほんとはなんとなく気づいてるけど、気づいてへん振りしとるとかか?」
そこまで言われたところで、私は愕然とした。
気づかないフリ? 忘れてるフリ? 忘れようとしてた?
おばあちゃんのことを? 大切なモノを? 私というものを?
私? そもそも私って、どんな人間だったの? 小さいころの私って、どんな子供だったの?
私。ワタシ。わたし。私……。
私って、なんで生きてるの? なんのために生きてるの? なんで私が存在するの?
そんなことが頭の中でグルグルと急速に回りだし、私は両手で頭を押さえて思わず大声で泣き叫んでしまった。
ここにいちゃいけない。
私はそのまま大声をあげながら、壁に背を向けて脱兎のごとくこの場から駆け始めた。
そんな私の背中に、壁の声が投げかけられる。
「何を苦しんでるんか知らへんけど、そないに苦しいんなら、深夜二時くらいに自分の知っとるクスノキんとこに行くとええ。ひょっとすると、自分の大切なもんの欠片でも残っとるかしれへんで。ええか、クスノキやで――――」
壁の声に応えることなく、私は全速力でその場から逃げ出すのだった。
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