第6話 想い出の花。不意の邂逅


 おばあちゃんの家に向かうことになったその日、電車の窓から見える空は雲が多く、今にも雨が降り出しそうな天気だった。


 自分が住んでいた場所からどんどん離れていく。


 コンクリートの建物が次第に消えていく光景は、今の自分にとっては清々しくあった。


 久しぶりに胸が弾むような、そう、わくわくするような感覚が心に浮かんでくる。


 膝の上にお母さんが作ってくれたお弁当を広げ、ゆっくりと周りを見渡しながら食べる。


 空席が目立つ電車なんて、いったいどれくらいぶりだろう。


 自分が働いていた時は、いつも満員電車のすし詰め状態で、電車に乗るという行為自体が好きじゃなかった。


 だけど、この電車はそんな都会の喧騒などどこ吹く風と言わんばかりに、マイペースにゆっくりと乗客たちを運んでいく。


 それに乗っている人々も、どこかしらゆったりとリラックスして雰囲気がうかがえる。


 きっと、心に余裕があるんだろうな。


 自分が住んでいた世界からは想像もできない、まるで違う世界に来たかのような印象を受ける。


 そんなことを思っていると、電車がキイキイと油の切れたような重たげな音をたて、雑草が生い茂った駅へと到着した。


 無人駅のようらしく、降車際に運転手さんに切符を手渡ししてから降車する。


 周囲を見渡す私の後ろで、再び重たげな音を立てながら電車が遠ざかっていく。


 同じ駅で降りた人は、どうやら誰もいないようだった。


 山に囲まれた、広大で開放的な光景は、どこか荘厳な雰囲気さえ感じ、思わず私は息をのんだ。


 風景に感慨を覚えつつ、駅を出てお父さんが持たせてくれた手書きの地図をズボンのポケットから取り出してみた。


 地図を見て、私は思わず吹き出してしまった。なんという、絵心の無さだろう。地図というより、まるでミミズの運動会のようだ。


 地図? を見ながら、改めて周りを見渡してみる。すると、地図なんてあまり必要がないということに気がついた。だって、迷うも何も、道と呼べそうな道は一本しか通っていなかったのだから。


 川沿いのガードレールにそって、山の方に少しずつ歩いていく。


 運動なんかとは無縁の生活を送っていたためか、数分で息があがってしまった。


 しばらく歩くと、おぼろげながらも記憶に残っている道に出てきた。


 その光景はほとんど変わっていなくて、段々畑が広がり、その合間にぽつぽつと民家が建っている。


 山の木々には薄いもやのようなものがかかり、絵にかいたような田舎の風景が広がっていた。


 通り過ぎる家には、手入れの行き届いた小さな畑があり、野菜がみずみずしくたわわに実っていたり、小さな小屋の中には鶏がせわしなく動き回っていた。


 そんな次々と目に映る、どこか懐かしい風景を見ていると、ふとあるものに目がとまった。


 あぜ道のわきに咲いている、白い花々。


 お互いに身を寄せ合うかのように群生しているその花々は、おばあちゃんが大好きだった花だ。


 いつも一緒に散歩をするときは、決まってこの花を二人で見た、想い出の花。


「あれ……この花って、なんて名前だったっけ……」


 しゃがみこんで花の前で唸っていると、


「あんた」


 突然、背後から声をかけられ思わずドキッとして振り返ると、そこには目を細めながらじぃ~~っと見つめるおばあさんがいた。


「こ、こんにちは」


 久しぶりの他人との邂逅に、声が半分裏返りながらの妙なあいさつをしてしまった。だけど、おばあさんはそんなことなど意に介さず、


「あんた、どこかであったような気がするのぉ……。名前ばなんち言うんかい?」


 という思いもよらない返事に面食らっておどおどしていると、おばあさんはイラだったのかガラガラと枯れた声を大きくして再び聞いてきた。


「名前ば聞いちょるんよ」

「あ、えっと、その、ひ、柊といいます……」


 すると、おばあさんは目を大きく見開いてポカンとした表情になったかと思えば、突然大きな声で笑いだし、私の肩をバシバシと叩きはじめた。


 私はびっくりして一歩後ろに下がると、おばあさんはそんな私の様子を見て、また一段と大きな声で笑った。


「なんかい、あんたトモちゃんとこの孫じゃなかね。身体んじょでかなって、肝っ玉ば小さいまんまみたいやのう」


 どおりで見たことばあるはずたいと、おばあさんは一人で納得してシワだらけの顔をさらにしわくちゃにした。


「ほんで、こげなところに何しにきたんかい?」

「うんと、おばあちゃんの家で、ちょっと数日過ごそうと思って……」

「ほう? まあ、いいたい。ゆっくりしてけ。困ったことばあったら、わしの家さ来るとよか。トモちゃんにお迎えば来てから数年経っちょるけん、家の勝手ば悪くなっとろう」


 そう言って、おばあさんは自分の家を指さした。


 私はというと、はっきりと確認もせずに妙な言い回しのわけのわからない挨拶をして、逃げるようにそそくさと歩き出してしまった。


(おばあちゃんの知り合いかぁ……)


 胸に手をあてて記憶を手繰り寄せようとしたけど、心臓がバクバクと脈打つのがわかるほど動揺してしまっていて、うまく思い出すことができなかった。


 一人暮らしをしていた時は、こんなに自分は怖がりなはずじゃなかったはずだけど……。


 なんだろう。何か、大切なことを、忘れてしまっているような、そんな、気がした。

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