地図アプリの怪

多田いづみ

地図アプリの怪

 わたしのスマートフォンはとても古い。もう八年も同じものを使っている。こんなに古いスマートフォンを使っている人もなかなかいないと思う。バッテリーは二度交換したけれど、故障もせず、今も問題なく動いている。


 あたらしいものに興味がないわけではない。日本で初めてA社のスマートフォンが発売されたとき、わたしはすぐに飛びついた。だから利用歴だけはそれなりに長い。それ以降、毎年のように買い替えていたが、あるときをさかいに、とつぜんその欲求がなくなった。


 今や新製品が出ても、見た目も機能もたいして代わり映えがしないというのが、興味を失った理由のひとつかもしれない。

 あるいは画面サイズがだんだん大きくなって、自分の好みに合わなくなったというのも、そうなのかもしれない。

 ほかにもいろいろ理由は考えられるが、ひとことで言えば「飽きた」のだろう。


 むかしはたくさんのアプリケーションソフトをとっかえひっかえで画面に並べ立てていたが、今は数種類のアプリがあればこと足りる。電話、ブラウザ、メール、ショートメッセージにその他いくつか。使わないものを消していったら自然とそうなった。


 厳選していく中でどうしても外せなかったのが地図アプリだ。

 車を運転するひとは必須だと思う。目的地を入力すると、経路をしめし、音声案内してくれる。何も考えず案内のとおりに運転してゆけば、いずれ目的地につく。

 とにかく楽だ、便利だ、これがないと車は使えない、どこにも行けない。それくらいこのアプリに頼っている。


 わたしの地図アプリへの依存はかなりのものだ。使わないと不安になってくる。自分の判断にいまひとつ信頼が置けない。よく知っている道や店であっても、念のため地図アプリを起動させる。渋滞を避けられるし、うっかり休業中の店に行かずにすむから、まんざら無駄でもない。


 同じことはカーナビでもできるといえばできる。わたしの車にも一応カーナビがついているけれど、使い勝手があまりよくない。カーナビはスマートフォンよりもさらに年代物なので、目的地を入力するのに、ボタンをポチポチと何回も押さねばならず、とても面倒なのだ。


 地図アプリなら音声入力で一瞬だ。わたしは音声入力はあまり好きではないけれど、便利さには逆らえない。たぶん最新のカーナビなら音声入力もできるのだろうが、地図アプリでじゅうぶん間に合っているから買い替えるつもりはない。


       *


 その日、わたしは、あまりよく知らない道を走っていた。

 近くの店では売っていないものを探しに、ちょっと遠くの大きなホームセンターまで出かけたのだ。今まで行ったことのない場所だった。

 店へは三十分ほどで着いた。道案内にはもちろん地図アプリを使い、何の問題もなく到着したのは言うまでもない。


 目的のものは見つかり、その帰り道でのこと。


 よく晴れた夏の日だった。夕方近くだったが、まだまだ暑かった。西日の照り返しがまぶしい。フロントガラス越しに肌を焼かれ、だんだんとのどが渇いてきた。ホームセンターの広い敷地をいったりきたりしたので、すこし疲れてもいた。


 わたしはコンビニエンスストアでひと休みしようと思った。

 目当ては、いわゆるコンビニコーヒーだ。コーヒーマシンがその場で挽きたてのコーヒーをいれてくれる。なのに安い。安くてもコクがあるし、なんといっても挽きたてだから香りがよい。あのコーヒーを飲んでひと息入れれば、家まで頑張れる気がする。


 信号待ちの隙を利用し、わたしはスマートフォンに向かって「近くのコンビニ」と声をかけた。

 音声が文字へと変換され、近隣のコンビニエンスストアの情報が何件か表示される。わたしは滑舌が悪いのを自認しているが、そんな声でも変換精度はなかなかのものだ。


 画面のいちばん上に表示された店を選択すると、すかさず「南西に進みます――」と女性アナウンサーのような落ちついた声で、音声案内がはじまった。

 打てば響くこの感じ。まさにナビゲーターだ。安心感がただごとではない。


 しばらくすると、車は広い道路をはずれ、わき道に入った。

 おかしいとは思わなかった。というのも、このアプリは混雑する大通りを避け、知る人ぞ知るという感じの抜け道を通らせようとすることがよくあるからだ。細くて見通しのきかない道は運転に気を使うが、そのぶん時間を短縮できるというわけだ。


 車はわき道からわき道へとすすみ、さらには急な坂を上っていった。

 ――ん?

 地図アプリには絶大な信頼をよせているわたしも、だんだん不安になってきた。いま走っているのはどうみても山道だ。空がやけに暗く、狭くなってきた。周囲には民家すらない。対向車もなく、人通りもない。そもそもこんな山中にコンビニエンスストアなんてあるものだろうか?

 なんかへんだなとは思っても、さりとてこのあたりはまったく不案内だし、地図アプリに任せるよりほかないのである。


 うっそうとした緑に囲まれつつ、曲がりくねった暗い道をしばらく走ると、とつぜん視界がぱっと開け、眼下に街並みが見えた。ふたたび明るい夕日が差してきて、にわかに緊張がほぐれた。

 なあんだ、やっぱり抜け道を通っていたんだとホッとしたそのとき、

「目的地に到着しました。運転おつかれさまでした」と音声案内が終了の合図を告げた。


 わたしはあわてて車をとめた。

 ――え、どういうこと?

 いくら視界が開けたといっても、ここはまだ山中である。

 右側は崖が落ち込んでいて何もなく、左側は急な斜面が道に覆いかぶさるかのように立ち上がっている。コンビニエンスストアなど、どこにも見当たらない。

 しかし地図アプリをよく見れば、たしかに店はここからすぐそばにあるらしい。

 アプリがおかしいのか、地図情報が間違っているのか、はたまた何かの怪異だろうか。


 わたしは車を降りて、ガードレールごしに崖をのぞき込んだ。

 真下に、コンビニエンスストアの屋根が見えた。


       *


 いやたしかに店の真横は真横なんですけど、高さが十メートルくらい違っているのですが……というお話でした。


(了)

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