娘の彼氏と映画にいった母の話。

渡貫とゐち

これはデート?


 娘の彼氏と一緒に映画を見る。……うん、まあ、気になるところはあると思うけど、こんな機会がまったくないわけでもないと思う。

 娘の彼氏と言ったけどそれ以前に知り合いなのだから、チケットが余ったから一緒に映画を見にいきませんか、と誘われて一緒にいくことはおかしなことではないはず……はずよね?

 映画の内容が恋愛映画だったけど……これはたまたまよ。チケットがそうなのだから、彼が私と一緒に見たいと思って買ったものではない。と思うのだけど……。

 さっきから私が抱えるポップコーンに手を伸ばす彼は、どうしてか私がポップコーンを取ろうとする時に限って手を伸ばしてきて……。手と手が触れて「あ」とお互いに気まずくなる。わざとやっているにしては彼も照れているのよね……。


「ねえ、拓馬たくまくん。あと食べていいわよ。私はもうお腹いっぱいだから」

「そうですか? じゃあ、貰いますね」


 ふたりで食べる用で大きいサイズを買ったのだけど、私は四分の一も食べずに彼に渡してしまった。ひとりで食べ切れるかしら、と思ったけれど、若い男の子ならこれくらいぺろりと平らげてしまうのかもしれない。

 口の中が塩味でいっぱいだった。ドリンクに手を伸ばして、ストローを唇で挟む。お茶で喉を潤そうと思えば、口の中に入ってきたのは刺激的な炭酸で――――


「んぅ!?」

「あ、皆実みなみさん……それおれのですよ」


 右手側は拓馬くんのドリンクだった……私のは左側。

 これは私が悪い。


「ごめんなさい……ストローに口紅がついちゃったかも……」

「いえ、いいですよ。気にしませんし」


 言うが早く、私がハンカチでストローを拭うよりも前に、拓馬くんはストローに口をつけた。彼が気にしないならいいのだけど……でも、私が気にする。まるで中学生に戻ったみたいに、間接キスがすごく気になる……。


「はは、ちょっとしょっぱくなってますね」

「え、私のせいかな……? おばさんとの間接キスはしょっぱいの……?」

「ポップコーンを食べたからだと思いますよ。おれも食べてますし、だからどっちの塩味なのかは分かりませんけどね」


 恋愛映画は、気づけばお話が盛り上がっていた。序盤は覚えているけどどうして今の状況になったのかまったく分からない。

 拓馬くんの言動を気にしている内に、映画への集中力も乱されてしまっていた。

 こんな調子で、九十分も席に座っていられるのかしら。


 その後は拓馬くんも私にちょっかいをかけてくることはなく(私が気にし過ぎただけだったのだ)、映画の内容に集中できた。今話題の映画で評価も高いらしい。感動系の映画というので少し身構えてしまったけど、私みたいなおばさんには関係なかった。どれだけ心構えをしたところで、泣ける映画を見れば泣いてしまう。


 不治の病を題材にしていれば助からないのがセオリーだ。そしてこの映画も中盤まではそういう流れで、ヒロインが死ぬまでの思い出を作るために、恋人と楽しく過ごそうとする。幸せな時間が長く、感情移入していれば、終盤でヒロインが亡くなる時に心を打たれるのだ。

 だけど今回は、ヒロインは不治の病と言われていたけど、長い時間をかけて克服した。時間はかかったけど植物状態から戻り、歳を重ねた主人公とヒロインはあらためて結ばれる。

 歳を取っても、おじいさんおばあさんになっても、恋愛をすれば心は学生に戻れることを教えてくれた映画だった。


 エンドロールが終わり、館内の照明が私たちを照らした。ぞろぞろと、席を立つ周りのお客さんには合わせず、少しずらして出ればいいでしょう。

 拓馬くんも同じ考えのようで、映画が終わっても立ち上がることはなかった。私はハンカチで目元を拭い、お化粧が落ちていないか手鏡で確認しながら――――


「たとえ、おばあさんになってからでもいいから、目覚めてほしかったです」

「…………」


 正直、私はこの映画に誘われた時、断ろうと思った。だって、あまりにも……。私だって見るには覚悟が必要だったから。

 結末は知らなかったから、事前の情報だけを見れば、これは不治の病を抱えたヒロインが亡くなるまでのお話、だった。私にはそう見えた。……娘を思い出してしまう。

 いえ、忘れたことなんてたったの一度だってないけれど……でも。


 映画のヒロインと違って、娘の……智花ともかは、目覚めることなく亡くなったから。


 現実でバッドエンドを見て、映画であったかもしれないハッピーエンドを見せられた。フィクションだから都合の良い理想を見たい欲もあるかもしれないが、拓馬くんは事前情報だけでこの映画に決めたとしたならば、同じ結末を迎えた『仲間』を欲していたのかもしれない――とも思える。

 恋人を失くした別の誰かを見て、それがたとえ映画というフィクションで、架空の相手だったとしても、「あの人も同じ境遇だったんだ」って、多少は心が軽くなることを求めたのかもしれない。


 だとしたら、この映画の結末は、拓馬くんからすれば砂をかけられたようなものだった。

 拓馬くんを追い詰める、結果になってしまったんじゃないかって――――


「拓馬くん……大丈夫?」

「はい。皆実さんこそ大丈夫ですか? 想定していた結末とは違いましたけど、中盤までは重なる部分も多かったですから。すみません、おれの身勝手で、智花のことを思い出せてしまって」

「いいの。気を紛らわせたって、智花のことを忘れるなんてできないし、忘れたくないもの。思い出して、もしも生きていたら……って、そんなことを考えて涙が溢れてくるのは、きっと、ずっと付き合っていく感情だと思うから」


「そうですか……強いですね」

「私は大人よ。拓馬くんも来年は二十歳なんだから……ちょっとずつ大人になっていくものなのよ」


 席にはもうほとんど人がいなくなっていた。話し込んでいる間に大半の人が出ていったらしい。さっきよりも空いている通路を、ゆっくりと歩く。後続もいないので焦る必要もなかった。


「皆実さん、足下段差です、気をつけてください」

「おばさんだけど、介護するほどではないけど?」

「違いますよ。エスコートです。姫様、足下にお気をつけください」


「おだてないで。姫様なんて言われても、三十九歳のおばさんは調子に乗ってスカートを穿いたりしませんからね?」

「え。それ、見てみたいですね……もしよければこのまま婦人服売り場にでも……。試着だけしてくれませんか?」

「着ません。……おばさんのスカート姿を見ても嬉しくないでしょう? 足も太いし若い子よりは汚いし……」


「そんなことありませんよ」

「嘘よ。信じないわ」


 拓馬くんは苦笑した。……私を映画に誘ったことと言い、気を遣ってくれるし、さっきみたいに「姫」なんて言って私を大事にしてくれることが多くなった。

 確かに、私たちは赤の他人だけど、正式な手続きはしていなかったけど私たちの関係性は義理の親子になる。彼が私を大切にしてくれる理由はある、けど……でも。


「…………大事にしてくれてる、けど……それは娘に向けるものと同じよね……」


 拓馬くんはトイレにいっている。

 久しぶりにひとりになって考えてみる。考えれば考えるほど、拓馬くんが私に懐いているのは、好意があるからとしか思えなかった。

 ……十九歳が三十九歳に恋をした? 義理の親子だけど元は赤の他人だから、恋愛に発展してもなにも問題はないけれど……でも、あり得ない。

 そもそも旦那がいるのだから受け入れてはダメなのだから。今日の映画だって、歳の差がなければ娘の恋人と……仮に友人だったとしても、私側がアウトなのだ。

 恋愛感情がなかったとしても旦那がいる身で別の男の子と出かけるのは、良くはないはず。


 旦那が良いと言えばいいのだろうけど……でも、言えない。言いづらい。拓馬くんと出かけるからと言って、ちょっとだけオシャレをしてしまっているから、そこを突っ込まれたらどう言い訳をしたらいいのか……。喋ればボロが出て旦那に突っ込まれるのが私だし。

 はぁ、と、自覚はなかったけど、大きな溜息を吐いてしまっていたらしい。トイレから戻ってきていた拓馬くんが、私を見て心配した顔で、


「……疲れました?」

「ううん。……あ、でも、久しぶりに映画を映画館で見たから、ちょっと疲れたかな……でも楽しかったよ」

「そうですか? なら、また誘ってもいいですか?」


「え……」少し迷ったけれど、「うん。次は洋画がいいかな。ド派手にアクションするヒーローものとか」

「そういうのが好きなんですか?」


 そういうの、というか映画と言えばそういうものがメインと言えるんじゃないかな? 恋愛、ホラー、サスペンス、と色々あるけどやっぱり海外のヒーローものが王道という感じがする。

 アニメ映画でもいいけれど、映画が原作、じゃないと私には難しいかもしれない。


「じゃあ、またチケットを取っておきますね」

「無理しなくていいからね?」

「無理はしませんよ」

 と言いながらも、無理をしてしまうのが若者だ。私も通ってきたから分かる……旦那も、口では言いながらも無茶をするんだから。それが男の子だしねえ……。


「ねえ、拓馬くん。ひとまずお茶にしない?」

「はい。いいですよ――」


 拓馬くんは迷うことなく足を進めていた。通い慣れたショッピングモールなのだろう。智花とよく遊びにきていたのかもね。

 拓馬くんはドーナツ屋さんの前まで私を連れてきてくれた。

 振り向いた彼がごく自然な口調で、


「智花はいつものでいいよね? ――あ」


「……ふふ、私と智花を間違えたの? ええ、いつものでいいわよ」

「すみません……だって皆実さんと智花、そっくりなんですから……」


 そっくりだとは思うけど、年齢の差はさすがに……。でも髪型が同じだから間違えてしまうのかもしれない。正面から見て間違えることはなくとも、隣にいる、という雰囲気でついつい智花と間違えて話しかけてしまうことも、ないわけではない。

 そして、拓馬くんが私へ向ける好意の正体も、はっきりと分かった。


「じゃあ、入りましょうか、拓馬くん」

「はい」


 ――娘を、重ねている。


 私を、智花の代わりにしている。


 私に向けているようで、その好意は亡くなった智花へ向けているのだ。

 娘にそっくりな母を使うことは、拓馬くんの中では自衛行動なのかもしれない。でなければ早々に立ち直った理由が分からないのだから。

 私がこうして代わりをしているから、拓馬くんは塞ぎ込むこともなく、以前までのように振る舞えているなら……、私がここで智花役を降りるわけにもいかないのだろう……なら。


 私も、少しは歩み寄った方がいいのかもしれないわね。

 カウンターでドーナツを買って、店内の座席に座ってから。

 私は小声で、


「……今日だけ、スカートを穿いてもいいわよ?」

「え。……いいんですか……?」

「変でも笑わないでよ? それを約束できるなら、穿いてあげてもいいです」


「写真は……」

「ダメです!!」


 拓馬くんは娘とのデートの写真を私や旦那と共有している。つまり、彼にスカート姿の写真を撮られてしまえば、旦那にも共有されることになり……それだけは避けないといけない。

 不満そうな彼に言い聞かせるように、


「……私と、拓馬くんだけの秘密にしたくはないの……?」

「秘密……はいっ、秘密っ、します!!」


 私のスカート姿を待ちきれない拓馬くんが、ドーナツにかぶりついた。早く食べてもすぐに動けるわけじゃないからね?

 ……それにしてもスカートか……いつぶりだろう。


 旦那にもあんまり見せたことがなかったかもしれない。

 基本、私はパンツスタイルだから。


「……こういう交流も悪くはないのかな」


 そう思った。

 そう思うことで、私は自分を騙していたのかもしれない。


 彼に少しずつ惹かれていたことを、見て見ぬふりをして……。





 …了

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娘の彼氏と映画にいった母の話。 渡貫とゐち @josho

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