第14話 道雪 筑前征伐抜 岩屋囲宝満山②

 今回は道雪が立花城を落城させた後、筑後の秋月たちと戦う話です。


 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


 立花但馬守鑑載は(※祖先の話から反乱を起こした話までの繰り返しなので省略)大友家に反乱を起こしたが降伏した。

 宗麟は立花に城代として臼杵進士を据え、鑑載は息子と共に命を助けられた。


 しかし、このたび(1568年に)高橋鑑種に勧められ原田下総守、安部民部丞を調略して毛利に援護を請えば、毛利より清水左近将監(宗知?)に1500騎を添えて筑前へ使わされた。

 鑑種の家老 斉藤尾張守も馳せ加わり、合わせて1万が7月上旬、不意に立花山に攻めかかった。

(立花山城の)城中は無勢だったので、臼杵は戦う術も尽きればたちまち城より追い降ろして(立花鑑載たちは城に)籠もった。


 この事は筑前の国士より羽檄を飛ばして豊府へ注進された。

 宗麟は大いに驚いて戸次・臼杵・吉弘の3将へ急ぎ太宰府の合戦を出て、立花を攻め取れと使者を遣わして命じれば三将は2万騎を従えて陣を変えた。

 城中に(立花鑑載家臣の)福井玄鉄という、九国2島にかくれない大剛の兵80人を左右に立て一面に突いて下った。

 両方互いに槍を合わせ火が出るほどに戦って出雲摂津(=十時摂津か?)は大傷を負えば敵は勝ちに乗じて突き下る。

 時に(は)道雪の本陣を押し取った。

 小野和泉・十時右近・足達宗圓の3人は真っ先に進んで、向かう敵28人切り伏せれば各10カ所の傷を被った。


 そうした所に戸次刑部・戸次治部・戸次兵部をはじめ由布美作・十時但馬・綿貫勘解由・足達対馬・竹廻新次兵衛・吉田右京などの大剛の勇士たちが、撃てども射れども事ともせず、死人を乗り越え「われ劣らじ」と息をもつかず攻め登った。

 道雪は一の城戸を攻め破り、邑城に乱れ入る。

 これを見て城中の兵は四方の坂より馳せ下る。

 寄せ手はこれに気を取って、臼杵・吉弘は士卒を励まし、方々より攻め登った。

 原田はこれに気を失いたちまちに降参した。


 安武民部丞は猶、2の郭を支えていたが、奈田(奈多?)主水に攻め詰められて生け捕りとなった。

 清水と斉藤は一隊になって道雪に討ちかかり、大将に組もうとした。


 戸次治部兵衛と竹廻日向守、竹廻彦五郎・池邊龍右衛門・原尻左馬介・十時伝右衛門などの屈強の兵たちが道雪の前後左右にかたまって矛先を並べ切り崩せば、清水・斉藤もかなわないと坂より下に逃げ下る。

 道雪はこの勢いで本城へ攻め入れば、鑑載は力及ばず切腹した。

 道雪は鑑載の首を取り田原太郎治部にもたせて豊府に送った。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「うーむ、この戦いで援軍に来た清水左近将監はかの秀吉公の(1582年)水攻めで有名な備中高松城攻めで切腹した清水宗知(清水宗治の兄)なんじゃが説明した方が良いかのう?」

「それ位、武士なら知っておるでしょう」

 正直、2人とも『ここで個人の説明を入れたらこれから大変面倒なことになるから入れたくない』と思っていたのか、立花家家臣の竹廻氏などの解説も無い。

 入れろよ(現代語訳者の心の叫び)


 なお史実でのこの戦いに関する書状は1568年のもので、7月4日に宗麟は立花山城打ち崩しでの麦生・蒲池・戸次の手追い注文をみている。(先宗1064~6)

 また吉弘左近大夫(鑑理)と戸次伯耆(鑑連)に4日に立花山城落去の報を受け、今度は自分たちが使うための修復を命じ(先宗1067)23日には立花鑑載の首が到来したとあり、7月4日の戦いで鑑載は死亡したようである。(先宗1074)

 なので、細かい内容はともかく、7月上旬に戦が有った部分は合っている。

 これで立花家は一度断絶する。

 なお、九州治乱記でも『立花鑑載謀反、葦屋合戦のこと』で『安武は奈田主水正の手で生け捕られた』『鑑載の首は宗麟に見せるため田原太郎次郎に持たせた』とあるが内容的に正しいのか、単に内容を写したのかは実際の書状が無いため判別が難しい。

 この後、8月14日に立花家旧臣斉藤尾張の復讐戦がP46に書かれているがそれに関する書状もないため事実か分からない。

 九州治乱記では衛藤尾張守となっているし…。


 「まあ、次の話に移ろう。あの秋月との戦いじゃ」

 そう言いながら、安東は元ネタとなる九州治乱記と、立花家家臣の系図を写した書を見比べて続きを書いた。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 文録(永禄の誤り)10年(1567)2月14日の己の刻より戦が始まって、両生摺山(=甘水・長谷山?)にて1月に7度の槍合いがあった。

 毎戦 道雪は手を砕き、真っ先にかかって戦えば竹廻彦五郎、綿貫勘解由をはじめとして、主に劣らない郎従たちが我先にと切ってかかる。

 その中で十時右近惟忠という者は九国二島にかくれなき協力の剛の者にして大長刀を片手に振りかけ出て、向かう敵を真っ向から打ち割り、逃げる者の胴中を切って四角八方に切って廻る。

 その後、敵一人を長刀に貫いて宙にさしあげ投げれば人はツブテのように3丈ばかり飛んだ。

 このため、ここを弥須郡の人投原と末の代までいう。


 晩景になれば秋月勢は邑城に引きこもり寄せ手も攻め口を退いて陣営を備えた。

 明ければ15日。早天より寄せ手は邑城に押し寄せた。

 道雪は諸軍に先立ち真っ先に駆け、士卒を指揮して戦えば豊後勢は一同槍ふすまをつくり、どっとわめいて攻め登った。

 撃たれても射られても物ともせず死人を乗り越えて攻め入れば邑城を攻め破った。

 種実は城を破られて、死を逃れかねて(あらかじめ)構えていた古所山の城に籠もった。

 この城は四方を岩石がそびえ九折りになる路が一筋にある。登る事10町(約1km)なので寄せ手も急には攻め落としがたいと、道雪は休松に鑑速は庄山に陣営し古所山を遠巻きに囲んだ。


 この城はもとから高山の堅城なので勇猛秀才の種実が大勢を従えて籠もれば、さしも無双の大将もにわかに攻め落とす事を得ず、種実は険をたのみ攻め落されぬばかりで国中に働く(=攻め入る)事ができなかった。

 高橋鑑種も吉岡・斎藤にかこまれ領内を奪われて険阻をたのみ城を落とされないばかりで出陣することもない。筑紫はすでに降参していた。

 かくして秋月も高橋もついに攻め滅ぼされんと見えた。

 そのような所に肥前国佐賀の城主 龍造寺山城守隆信という勇猛不敵の者がいた。

(隆信は)毛利の密意を受けてひそかに筑紫広門、高橋鑑種と申し談じて近隣を脱却した。

 そこへ又 毛利の大勢は近日渡海すべしと豊前・筑前両国を上へ下へと伝えた。

 千手中務少輔鑑元、城井播磨守、後藤与源太右衛門、麻生民部少輔、許斐左馬頭、杉十郎は内々皆 毛利の密旨を受けて心中には大友に背きながら、太宰府で秋月の寄せ手として在陣していた。

 一同が言うには

「近日、毛利の大軍が渡海してはゆゆしき大事になるだろう。我々の居城をおろそかにしてはかなわない。城郭を修補し、また合戦の用意をもすべし」と偽って我兵を引き連れ居城に帰った。

 これを見て豊筑両国の国士はことごとく在所に帰った

 宗麟はこの事を聞いて筑前の諸将も皆、筑後に引き取り合戦の用意をすべしと命じた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 これも九州治乱記の『秋月城軍(合戦)の事』と内容が同じである。

 これは甘水・長谷山の戦いと言われる戦いで、人投原の話も同じなのですが、九州治乱記では1567年8月14日の話となっており、2月とする本書とは時期が異なる。


 ただ、次の話が史実では9月3日の戦いなので8月の話とする九州治乱記の方が時期は正しく見える。

 まあ世の中には悪筆のために『ハンドルを右に』を『インド人を右に』と読み間違えて清書する事もあるので、二と八を見間違えた可能性が無いとはいえなくもない。


 また十時右近惟忠も九州治乱記では十時右近太夫惟定となっており戸次軍談という本でも惟定と書かれていて、どちらが正しいのかは分からない。

 ただ柳河藩上享保八年藩士系図・下では惟忠として記載されているそうなので、こちらは立花記が正しいと言える。

「ここの戦いは十時の系図に活躍が書かれていたはずじゃが、どこにあったかのう」

「九州治乱記に書かれている名前の者が見当たりませぬ。十時家に確認させましょう」

 ネットもパソコンも無い時代、物を調べるというのは体系だった書籍も無く、膨大な紙片から必要な情報を探しだす、地味で根気のいる作業だった。

 なので、基本的な内容は他の書籍から頂き、立花家に関する情報は誤りがないように綿密に調べ、誤りが有りそうならば確認する。

 登場人物が実際の同僚や上司の祖父や父親だった場合、それこそ一文字でも間違いのないように最新の注意を払わなければならない。


 気楽にパソコンや充実した史料で調べて、間違いが有ればボタン一つで改変できる時代の人間が『ここが間違っている』とか偉そうに言っていたら拳で殴りたくなるほど大変な作業である。

 特に、この次の話は立花家にとって重要な話であった。


 多くの家臣が討死した戦『休松の戦い』だったからである。


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 本日、体がダウンし、休みがてら続立花記の現代語訳をするために徳間文庫の朝鮮の役の内容を見ながら内容検証をしていました。

 そこで、元の分の字の悪筆さや、書かれている内容は孫引き引用の為、さらに原本にあたれるものは当る作業をしていて「やってられるかー」となりました。

 立花記も内容は誤りが多いですが、限られた史料の中で纏めた事を考えると、少し反省した次第です。

 多分、明日には忘れるでしょうけど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る