第2話 鑑連公系譜の事① 

 今回は本文2~9Pの内容を間に小話を混ぜ、数回に分けて紹介します。

 なお鑑連公の系譜なので道雪の先祖の話であり、彼の登場はもう少し先です。


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「立花家には吾妻鏡や太平記のように、誇るべき先祖の事績が見つかっておりませぬ」


 と柳川藩の儒学者、安東省庵は大殿である立花鑑虎に申し上げた。


「たとえば、立花…いえ戸次道雪公の御主君であった大友家なら次のような記録が市井に出回っておりまする。



(以下、立花記P2~3の内容を現代語訳する)

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 昔、鎌倉右大将(源)頼朝卿が伊豆国蛭小島(=ひるがこじま)に居た時、上野國利根の郡主 波多野四郎平経家(=大友経家)の娘を寵愛した。

 これを利根の局と言う。


 局が懐妊すると、斎院次官の藤原親能が賜り、承安2年(1172)に親能の家で男児が生まれた。(△大友能直の父が源頼朝というのは江戸時代以降の系図にみられますが、これは捏造ではないかという意見もあり諸説あります)


 童名を一法師冠者として容貌端正にして類悟は他に異なった。

 9歳の時より頼朝卿に近似して、その寵愛はたぐいない。

 文治4年(1188)12月。17歳にして頼朝卿より加冠ありて源の姓を賜り大友左近将監能直と名乗った。これより藤原姓を改め源を姓とした。(×これは誤り。7代目当主が建武3年2月15日に足利尊氏から源氏の一門に加えられ(編年大友史料363号)源姓をもらっています)


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 これは大友記にも書かれている事で、大友家の先祖の事績である。


 余談だが立花記はこれに鎌倉幕府が編纂した吾妻鏡の記述とを加え、以下のような記述が続く。


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 文治5年(1189)8月頼朝は院宣を乞い受けて、奥羽武州の押領使(=軍事官職の名称。 押領は引率するという意味) 藤原泰衝を討ち滅ぼそうとした。

 このとき頼朝は八幡大菩薩と銘を書いた旗を能直に賜った。(✖旗を貰ったという記述は吾妻鏡にも大友家文書録にもなく、道雪の譲り状にも記載がありません)


 能直はこの旗を差して先登(=先頭)に進み、奥州阿津加志山の合戦で(藤原)西木戸太郎国衝の軍を破り佐藤三郎秀員親子を討ち取った。

 その後、功労は度々あり奥州に采地を賜り、はじめて守護となった。(×奥州守護にはなっていません。そのため以下の奥州での活躍も事実かは不明です。)


 建久1年(1190) 泰衝の旧臣、大河次郎兼任という者が奥羽に味方して乱を起こした。

 頼朝はこれを聞いて足利上総介義兼・千葉介常胤・比企四郎能員を大将として奥州に差し向けた。

 能直は急いで3将に加わり兼任を誅した。

 3将が鎌倉に帰った時、能直も同じく帰ろうとしたが頼朝の命令で奥州に留まって国政を執り行い、建久2年(1191)に鎌倉へ帰り侍所の別当となる。

 建久3年(1192)、検非違使左衛門尉に任じ従五位下に叙せられる。

 建久5年(1194)に豊後の守護職を賜ったが、その身は鎌倉にあったので先ず古庄重義を先に下して国政を行わせた。

 しかし、大神惟基の後衛 大野九郎泰基と言う者が三田井・阿南・緒方等の一族を催して政令に従わず度々合戦した。

 建久7年(1196)に能直は豊後に降り、兵を発して賊徒を攻め三田井・河南・植田(=稙田)・緒方らはことごとく降参して泰基は誅に伏せた。(△能直が豊後に来たという史料は未見。京都での活動が主でした。)


 その後、能直は鎮西(=九州)の奉行となって太宰少弐資頼とともに九国の政令を執り行ない(豊後の)大野郡藤北城を築いてこれに住居した。(△藤北にお墓が有りますが、実際に死亡したのは京都と言われています)

 貞応2年(1223)11月27日。享年52歳にして卒去す。


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 本書の作者である安東氏は、陸奥国・出羽国の北部に勢力を張った武士の一族で(柳河藩 享保8年藩士系図下P497)本姓は安倍を称したらしく、奥羽の記述が多いのも家伝書か何かに書かれていた話を入れたかったのかもしれない。

 迷惑な話である。

 

 さて、話がそれたが省庵の話を聞いた鑑虎は


「ああ。道雪公の御先祖、大友能直様の記録であるな」

 と、感心したように言った。

 大友家初代、大友能直の事績は現在ではネットで簡単に閲覧できるが、本自体が貴重品だった江戸時代は、このような記録を所有しているものは限られていた。

 知識というものに価値があった時代でもある。

 それゆえに、大友家始祖の事績をそらんじる事ができる安東省庵のような学者を呼んだのである。

 省庵はうなずいて

「はい。能直公は吾妻鏡にも記述のあられるお方でございます。なのでこのようにお伝えすることができるのですが…」

 そういうと、省庵は言葉を選びながら続けて言った。


「残念ながら、当家立花家は2代から5代までの事績は書かれておらず。どのような方だったのかわからぬのです」


 真面目な歴史家が豊臣秀吉の少年期を書こうとしたり、織田信長の最後で『何故明智光秀は本能寺の変を起こしたのか?』という疑問に直面するように、立花家の記録は最初から不明な点だらけだったのである。


「というか、そもそも当家(立花家)は何故生まれたのか、実はそこからが詳しくないのじゃが」

 藩祖であり祖父の立花宗茂は知っているし、さらに義父である戸次伯耆守道雪公は、その偉大さも家臣や父から聞かされた。

 だが、それ以前の立花氏と言うと余り詳しくは無かったりする。

『そこらへんは知っとけよ』

 ……もう少し、史書に着いても講義すべきだったか。

 そう思いながら、省庵は大友家から立花家が生まれた流れを説明する事にした。


(立花記4Pを訳す)

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 ②その(能直の)子、利根次郎が家を継ぎ、大友大炊助親秀と名乗った。

 ③その子、大友兵庫頭が継ぎ大友式部大輔頼泰と名乗り従五位下に叙せられ鎮西(九州)の奉行となった。(△奉行が九州探題を指すのなら誤りだが、豊後の守護ではある)

 この時、(中国の)大元の賊軍が来寇したので頼泰は諸軍の将として九国の諸物と共に賊を討ち戦功を挙げた。そのため筑前怡土郡志摩を加封された。


 ④その子は左近将監家を継ぎ、大友因幡守親時と名乗った。従五位下に叙せられ、鎮西の奉行となった。

 ⑤その子も左近将監家を継ぎ、大友出羽守貞親と名乗り従四位下に叙せられ鎮西の奉行となる。


 ⑥貞親には子が無く、弟が左近将監家を継ぎ 大友近江守貞宗と名乗った。

 従五位下に叙せられ鎮西の奉行となる。これを入道 具閑と言う。


 この時に、後醍醐天皇は兵を以て東賊こと北条の一族を誅した。

 具閑は少弐入道妙恵と力を合わせて九州探題の(北条)英時を誅した戦功により豊後豊前の守護職を賜った。


①(具閑の)嫡子左近将監 貞載はこのとき筑前国糟谷郡立花山の城に居て、初めて氏を立花と改めた。。(✖貞載は嫡子では無く2男。長男は大友貞順です)


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「なるほど。大友家の嫡男が立花家の御先祖だったのか。しかし、何故嫡子であるのに大友家を継がなかったのだ?」

「それは当時、後醍醐天皇が鎌倉幕府を滅ぼした時、日本は南朝と北朝に分かれて戦ったのが原因にてございます」

 この時、世の仲の大名はどちらの陣営に味方しても家は存続できるように、兄弟や父子で別々の陣営に付いたり家を分けることが多かった。

 大友家は20歳を越える兄たちと幼い5男で別々の陣営についたり家を分けたのである。

 当時14歳で責任能力の乏しい大友氏泰が暫定的に7代目大友家当主となり足利尊氏率いる北朝に味方し、立花家は大友家を補佐した。

 そして本来跡継ぎとなる長男(大友貞順)は南朝に味方した。


 これが大きな問題となった。

「どちらか一方だけが残れば問題は無かったのですが、全員生き残ってしまったのでございます」

「言い方」

 南北朝の争いは長きにわたって続いたうえ、氏泰一派は中央で敗北した足利尊氏を豊後に庇護。

 その後、博多に渡った尊氏は後の歴史家が『何で勝てたのかわからない』と首をひねる多々良浜合戦で圧倒的不利を逆転し、そのまま京都まで攻め上った。


 ただし、九州では南朝に味方した肥後の菊池氏が猛威を振るい、大友家9代目のを高崎山にまで追いつめて降伏させたり、長良親王を旗印に征西府を立ち上げるなど南朝有利が続き、結果として大友貞順も立花家も大友家も滅亡せずに存続したのである。

 こうなると氏泰の兄だった立花貞載とその弟の立花宗匡は大友家の後継ぎとして名乗りを上げたくなる。

 家を存続させるために分かれたのに、家を巡って兄弟で争うことになってしまったが、これは立花家的によろしくない歴史なのかカットされている。

 その代わりに、立花記では以下のように書かれている。

(長いので次回に続く)


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 立花家初代の貞載は生まれた順番は2番目ですが、1番生まれの大友貞順は庶子だったようで、正室との間に生まれた子供では長男は貞載という説もあります。

 織田信長も順番的には長男では無いものの正室の長男だったので家を継いだのと同じです。


 なお、『その子』の羅列は原本の通りです。読み難いですが、本作の文書の稚拙さを実感していただくため、敢えてそのまま掲載しました。

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